Ep.29 旧知の友が陥った窮地
AC/DCの不朽の名盤に収録された10曲が丁度全て流れ終わった頃、アイーシャの車は漸くゆっくりと減速して、郊外に聳え立つ巨大なビルの地下駐車場へと入って行く。
「ねぇ。パッと見た感じ、ここはどう見ても宿泊施設ではなさそうよね?」
「お気づきになってしまいましたか……。」
「
「旧知の間柄である私と積もる話を朝まで語り明かせる場所──それこそが最高だとは思わない?」
呆れた様子で溜息をつく心美は、突拍子もない詭弁でその場を乗り切ろうとするアイーシャのハンドルを握る腕を力の限り
「いだぁい! 事故るって! 危ないよココミ!」
「旅費はアイーシャが持ってくれるって話、あれは本当なんでしょうね!?」
「そっちは任せてよ! 依頼の報酬とは別に会社が負担するからさぁ!」
「全くもう……。」
アイーシャの腕を離して悪態をつく心美だが、普段の彼女ならば一度嘘を吐いたり約束を破ったりした相手には容赦なく攻撃する。心美にとって、アイーシャは少なくともかつての戦友として、ある種の仲間意識があるようだ。
「それで? ここはどこなのよ?」
「ここは我が警備会社・Great Barrier Securityの本丸です! 立派なもんでしょ!」
「"Great Barrier"って、あの有名な世界遺産のサンゴ礁から文字ってるの?」
「流石はココミ! 皮肉にもぴったりな名前だと思わない?」
「皮肉って……?」
「本来は偉大で価値あるものなのに、まるで海水温の上昇による白化現象に起因して死滅していくサンゴたちのように、
物憂げな表情で語るアイーシャは、自らの発言によって重苦しくなった雰囲気をいち早く察知してか、空元気を出してみせる。
「でもココミが来てくれたんだから、もう大丈夫! GBSの未来も安泰ですなー!」
どうやらアイーシャが口にしていた長ったらしい社名は、頭文字をとったGBSという通称が世間に浸透しているらしい。
「ご期待に沿えないようで申し訳ないけど、事はそう簡単に運ばないわ。まず、手掛かりが少な過ぎる。貴方のことだから、予告状に付着した指紋の有無とかは調べてるんでしょ?」
「まあね。」
「手書きでもない予告状からは筆跡も分かりようがないし、犯人は意図的に痕跡を消しているわね。」
「うーん、ご明察!」
犯人に繋がり得る情報は、絶望的なほどに不足している。こんな状況であれば、たとえ稀代の名探偵であろうと解決は難しいだろう。
「まあ、詳しいことは屋内で聞かせてくれるかしら。外は暑くて頭の中が沸騰しそうだわ……。」
地下駐車場に車が停車して、漸く日の光が遮られた車内で服を脱いだ心美は、下に来ていたシャツをぱたぱたと扇いでいる。
「ごめんごめん、暑かったよね! 最高級とまではいかないけど、それなりに良い客室を用意してるから、まずはそちらまで。」
そう言って車を降りて本社ビルの入口へと向かうアイーシャを見て、エントランスで待機していた数名の守衛が一斉に敬礼する。出会った時からおどけた様子で軽口を叩いていたアイーシャからは現実味が感じられなかったものの、彼女が大企業の創始者かつ現役の代表者であるということに、今更ながら実感が湧く。
「たったの数年で敬礼する側からされる側だなんて、人生何があるか分からないものね。」
「それって、褒め言葉ってことで良いのよね……?」
「さぁ? どうかしらね。」
「ケンシン、君のボスは随分と自由気ままに育ったようね? 年上に対する敬意ってものが欠けてるわ。」
「アイーシャの年上としての威厳が足りてないんじゃない?」
「はぁ、流石良く回る頭ですこと。沸騰してるくらいが丁度良いわよ……。」
心美とアイーシャの独特な関係性から織り成される奇妙なやり取りに巻き込まれてうんざりしているうちに、俺たちはビルのエレベーターのもとへ辿り着く。
「さ、乗って。」
アイーシャに促されるままエレベーターに乗り込むと、一般的なそれとは明らかに速度が違うことを我が身に降り注ぐ重力を以て感じる。
「これ、何階まで行くの?」
「最上階だよ。地上60階!」
「「60階!?」」
外から見た時も相当の迫力を感じる高層ビルだったが、いざ言葉にされるとその途方もない階層に眩暈がする。
「普段は使わないフロアなんだけど、来客用のゲストルームがいくつかあって、ベッドは勿論、トイレもシャワーも完備されてるから滞在中は自由に使ってもらって構わないよ。」
確かに最高級という謳い文句は通用しないだろうが、並みのホテルとも大差ないほどに設備は充実しているらしく、アイーシャの申し出は俺たちにとって非常にありがたいものだった。
§
「はぁー! 運転疲れたぁ!」
「なんで貴方がベッドに飛び込んでるのよ……。」
スーツケースを適当な空きスペースに放り投げて、エアコンの設定温度を下げるためにリモコンのボタンを連打している心美を余所目に、アイーシャは長旅の疲れからか大きめのベッドにダイブして足をばたつかせている。
「ここは来客用の部屋じゃなかったんですか……?」
「細かいことは気にしない! それより、さっきの話の続きをしても良いかしら?」
勢い良く飛び起きたアイーシャは、懐から先程車内で見せられたものと同じ小さな
「うちの会社が警備依頼を受けている施設を狙って集中的に送り付けられた犯行予告状のコピーよ。勿論、これが全てではないけど。」
そのうちの数枚を拾って見れば、強盗、放火、誘拐、果ては殺人など、多岐にわたる内容の犯行予告が綴られているようだ。
「厄介極まりないでしょ。その度に私たちは関係各所への対応に追われて、もう嫌になっちゃう。」
「でも、実際に予告が実行されたことは一度もないんですよね?」
「そうよ。だけど予告状が送られてきた以上は、それがどれだけ信憑性に欠ける
「なるほど。」
ふと心美の方を見遣ると、数々の犯行予告状を目の当たりにして、苦虫を噛み潰したような顔で頭を抱えている。
「心美、どうした?」
「どうしたもこうしたもないわよ……。犯行予告状が送られてきた時の面倒臭さは、堅慎も知ってるでしょ?」
そう、俺たちはこれまでの探偵稼業を通じて犯行予告が行われた事件の解決にも携わってきたため、実はこれが初めてではない。
「犯行予告って言うのはね、大抵の場合、犯罪行為の実行犯側に余程の自信があるからこそ挑発目的で行われるか、ただの迷惑な悪戯かの2択なのよ。」
「あ、あぁ。そうだな……。」
「そんなものを事前に対処するだなんて、いくら私たちでも難しいわ。予告状が送られてくる場所に地理的な関連性もない上、犯人の目星も付かないから、次に予告状が送られてきそうな場所も分からない。」
「ってことは、犯人からの次のアクションを待つしかないってことか。」
現状唯一の手掛かりである予告状から得られる情報は何もないことを考えれば、心美の導き出した結論も仕方のないものだと言えるだろう。
「最低限、通り一遍の聞くべき事だけ聞いておくわ。アイーシャ、予告状はどうやって送られてくるの?」
「予告の対象となってる施設のポストに投函されてたり、テープで壁に張り付けられてたり、色々ね。いずれにしても、周辺の監視カメラに犯人らしい人影が写ったことはないから、おそらくは用意周到に計画を練ってから的確に痕跡を残さないようにしているとしか……。」
「次に予告状が送られてきそうな場所に見当は?」
「さっぱり。全盛期とは比較にならないとはいえ、未だGBSと契約している施設は国内に数多く点在しているから、推測のしようもない。」
「犯人に心当たりは?」
「あったらとっくに言ってるわよ。悪いけど、その予告状以外で犯人を特定できそうな材料は今のところ存在しない……。」
どうやら、状況は思った以上に深刻なようだ。これは心美の言った通り、いよいよ犯人の動向を見守る以外に出来ることがない。
「そっかぁ。ココミでも難しいかぁ……。」
「超能力者じゃないんだから、これに限ってはどうしようもないわね。」
「私にとって、ココミは超能力者も同然だったんだけどなー。」
最後の望みが断たれたとばかりにアイーシャが露骨な落ち込みようを見せていると、部屋の扉がどんどんと叩かれる。
"Hey! I have guests now, you know!? Be discreet!"
(ちょっと! 来客中だって、貴方も分かってるでしょ!? 弁えなさい!)
突然の来訪者にアイーシャが大声を上げて英語で返事をする。俺の英語力では、来客中にもかかわらず不躾にも激しくドアをノックする社員に対して、代表者として叱り飛ばしているのだろうということしか分からない。
「ごめんなさいね! すぐに戻ってくるから、ゆっくり寛いでいて!」
そう言い残すと同時に、アイーシャはすたすたと忙しない足取りで部屋を後にする。俺と心美は目を見合わせて肩を竦めるも、社長様のお言葉に甘えてゆったりと寛いで待っていようかと思ったのも束の間、数分も経たないうちに先程よりも遥かに慌ただしい様子でアイーシャが扉を開け放つ。
「ココミ! ケンシン! バッドニュースよ! 早速だけど次の予告状が来たみたいだわ!」
「なんですって……!?」
俺と心美はアイーシャのもとに駆け寄って、その予告状とやらの内容を確認する。そこに書かれていた内容は、俺たち全員の予想の斜め上を行くものだった。
──Tonight, we will receive the most valuable thing at the GBS head office building.
(今宵、GBS本社ビルにおいて最も価値あるものを頂戴する。)
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