Ep.28 夏の女王の凱旋
長期休業直前、滑り込むようにやってきた依頼を引き受けることになった俺たちは、日本同様に三箇月周期で異なる四季を有する世界有数の国・オーストラリア第3の都市・ブリスベンの国際空港に降り立った。だが、海外旅行を兼ねて仕事を受けようと提案した当の本人である俺の相棒は、あれだけ海外旅行を楽しみにしていたくせに、隣で仏頂面のまま固まっている。──とはいえ、今はその美しい顔を拝むことはできないのだが。
「あっつい……! 何でこんなに暑いのよ!」
そう、北半球側に位置する日本が冬を迎える今頃において、南半球のオーストラリアはこれからが本格的な夏季の始まりだ。アルビノの心美にとって、旅行の行先としてこれほどまでに不向きな土地もないだろう。加えて現在の時刻は、現地時間で正午ぴったり。最高到達点から降り注ぐ日光によって、体感温度も最高潮だ。
「まさかとは思うが、そんなことも知らずに仕事を引き受けたのか……?」
「悪かったわね!? 堅慎と久々の海外旅行で浮かれちゃって忘れてたのよ!」
俺を睨みつけながらそう吐き捨てる心美は、いつもの黒キャップにサングラス、マスクの3点セットで完全防備の上、スーツケースには替えの洋服がこれでもかと詰まっている。帰り支度には苦労しそうだ。
「まあ、悪いことばかりじゃないだろ? 宿は依頼主の方が最高級の場所を押さえてくれているらしいし、旅費も全額負担してくれるなんて太っ腹じゃないかよ。」
心美によれば、依頼主が送り付けてきたメールには仕事内容に添えて、旅費や滞在中の宿などの必要なものは何でも取り揃えてくれているらしいということが綴られていた。オーストラリアといえば四方を海に囲まれた日本と同じ島国として、サーフィンやシュノーケリングなどの海中アクティビティが楽しめる絶景のビーチなどが有名だ。他方で、日本とは比べ物にならないほどの広さと迫力を兼ね備えた自然豊かな国立公園や動物園など、日差しに弱い心美でも楽しめるような観光スポットは山ほどある。心配せずとも、心ゆくまで遊んで帰ることができるはずだと、俺は高を括っていた。
「堅慎は楽観的で良いわね……。依頼主は私たちの知り合いって言ったでしょ?」
「あぁ、言ってたけど、それがどうかしたか?」
「そいつの性格上、こんなにも好条件で仕事を依頼してくるなんて何か裏があるに違いないわ。」
「だから結局、その知り合いってのは誰なんだよ……。」
「ここまで来たなら、もう会った方が早いわよ。空港で待ち合わせって言ってたから、堅慎もプラカード持った人を探して頂戴。」
どうやら、仕事の依頼主というのは空港で俺たちと落ち合うために、一目見れば分かるようなプラカードを掲げて待っているとだけ伝えてきたらしい。そうは言っても、俺は英語など一般的な日本人の平均程度の読解力しか持ち合わせていないため、役に立つことはできないと思うが。
そう思ったのも束の間、俺は日本国旗を肩に掛けながら「茉莉花様御一行」と書かれたプラカードを掲げる怪しげな外国人の姿を認める。──尤も、ここでは俺たちの方が外国人だが。
「な、なぁ。あの人ってもしや……。」
「はぁ。相変わらずふざけた奴だわ……。」
暑さと面倒臭さで気怠そうにとぼとぼ歩を進める心美に付いていくと、外国人の方も俺らの存在に気が付いたようで、自身の存在をアピールするかのように陽気に手を振っている。
「ハロー! ココミ! 会いたかったわよ!」
「ハローじゃないわよ。こんな暑苦しい季節にアルビノの私を呼びつけるなんて、申し訳ないとと思わないのかしら──アイーシャ……?」
なんと、予想外にも俺たちを迎えに来たのは20代後半と思しきスタイル抜群の女性だった。しかも、言われてみれば、その女性の人相には俺も何となく見覚えがあった。
「あら、ココミ。まだそのボーイフレンドと続いてたんだー?」
「五月蠅いわね……。何度否定したって聞かないんだから、もう突っ込まないわよ。」
俺の記憶が正しければ、素っ頓狂な物言いであの心美を翻弄しているブロンドのショートボブが特徴的な彼女の名はアイーシャ・アンダーソン──現職の警察官だ。
彼女との出会いは、およそ4年前に遡る。当時の世界を震撼させた同時多発猟奇殺人事件の犯人を探るため、オーストラリアで組織された捜査本部の中心で陣頭指揮を執っていたのがアイーシャだ。彼女も心美と同じく、若くして天才と呼ばれた期待のエースで、心美がオーストラリアに渡って国際犯罪の首謀者を暴き出した後に、彼女の推理に基づいて国内に滞在していた実行犯を逮捕したのはアイーシャの功績だった。当たり前のように堪能な日本語を喋っているアイーシャだが、それも彼女の教養の深さによるものだ。
「私たちのために最高級の宿を用意して、旅費も全額負担だなんて。今や警察として順調な出世街道を猪突猛進ってところかしら?」
「警察……? あぁ、あんな堅苦しいところ、もう辞めたわ。」
あっけらかんと言い放つアイーシャの言葉に、俺は耳を疑った。
「マジですか!? アイーシャさんは4年前の事件で捜査本部長に抜擢されるくらいのやり手だったのに……!?」
「ココミのボーイフレンド──確か、名前はケンシンだっけ。世の中ね、人には合う・合わないってのがあるのよ。それよりも君、少し見ないうちに
「アイーシャ……! 用がないなら、私たちはもう帰るわよ!」
蠱惑的な瞳で挑発するアイーシャの視線を遮るように心美は俺の前へと立ち
「あらあら、怖いわねぇ。そんなに急かさなくても良いじゃない。ココミもすっかり、大人のレディになったのねー!」
「それで? 貴方は今何をして、何で私たちを呼びつけたのかしら……?」
「それは──っと、こんな人の往来の中では話せないわね……。裏手に車を停めてあるわ。詳しい話は車内でゆっくりしてあげる。」
そう言って肩に掛けていた日本国旗をひらひらと靡かせながら駐車場へと向かうアイーシャの後を追いながら、俺と心美は小声でこそこそと密談する。
「この人、何にも変わってないな……。警察辞めたってのも嘘なんじゃ──」
「アイーシャはあれで至って真面目よ。つまらない嘘を吐くような人間じゃない……。今回の依頼と関係があるのかもね……?」
「聞こえないけど聞こえてるわよ! ぼさっとしてると置いてっちゃうから!」
歩調を速めるアイーシャに置いて行かれまいと慌てて屋外に出た俺たちは、夏の強い日差しから逃れるように、彼女に案内されるまま空港の駐車場に停めてあった1台の赤いピックアップトラックに乗り込む。そしてアイーシャは、俺たちがシートベルトを締める間もなく、意気揚々とアクセルペダルを踏み込んだ。
§
「選りにもよって、何でこんなヘンテコな車に乗ってるのかしら!」
窓を四方全開にしてAC/DCの名曲『Highway to Hell』を大音量で垂れ流すアイーシャのトラックに揺られながら、心美は大声で叫ぶように言う。
「え!? 聞こえないんだけど!?」
「聞こえてるじゃない! 音下げなさいよ、おと!」
「五月蠅いなぁ! 良いじゃん別に!」
「五月蠅いのは貴方でしょ!」
車内に吹き荒れる暴風と音楽に負けじと声を張り上げて、風に靡くロングヘアを手で抑えながら運転席に座る破天荒な依頼主を睨み付ける心美の抗議に耳を貸さず、アイーシャはハイテンションで事情を話し始めた。
「この車はね、社用車なのよ!」
「社用車ですって!?」
聞けば、アイーシャは警察官を辞職した後に独力で警備会社を立ち上げたらしい。彼女の警察官としての輝かしいキャリアは先の殺人事件の解決に始まり、オーストラリア国民の間ではかなり有名らしく、起業した後は引っ切り無しに仕事の依頼が舞い込んできたのだとか。その甲斐あってか、彼女の警備会社は国内市場占有率6割を優に超える世界有数の大企業へと変貌を遂げたようだ。
「通りでお金持ちって訳ね! 貴方が理由もなく私たちをもてなしてくれるとは、微塵も思ってなかったから!」
「あはっ、酷いこと言うねぇ! でも、悪いけどお金にはそれほど余裕がないんだよ!」
「はあ!? どうしてよ!?」
「私の警備会社はたった今、倒産の危機にあるんだよ! 今回の依頼もその辺の事情が絡んでるんだよね!」
「どういうことよ! 話が見えてこないわ!」
「まずはこれをご覧に入れましょうかね!」
アイーシャはがら空きの一本道をアクセル全開で飛ばしながら、1通の手紙のような紙切れを心美に差し出す。
「俺にも見せてくれよ!」
「えぇ……!」
俺は後部座席から身を乗り出して、助手席に座りながら手紙を開封する心美の手元に注目する。そこには、パソコンで打ち込まれたような機械的なフォントの英語で、極めてシンプルな一文が刻まれていた。
──Tonight, fire will be set to a museum that houses the most expensive artwork in Sydney.
(今宵、シドニーで最も高価な芸術品が展示されている美術館に火を放つ。)
「これは、犯行予告!?」
「そ! 3日前のね!」
「3日前!?」
「実際にはなーんにも起きなかったよ!? けどね、そんな犯行予告状が何通も引っ切り無しに国内の色んな場所に送られてるんだって! その共通点──ココミなら、もう察しが付いたんじゃない!?」
アイーシャの示唆する共通点とは、一体何のことだろうか。俺は心美の言葉をそわそわしながら待つ。
「アイーシャの警備会社が依頼を受けている施設にだけ、予告状が送られているってこと!?」
「ビンゴ! さっすがココミ! やっぱあんたに頼んで正解だったわ!」
話を聞く限りアイーシャは、以前依頼を受けた栄泉リゾーツと似たような窮状に陥っているようで、被害者の筆頭人物にもかかわらず、まるで他人事のように振舞っている。
「もう分かったわよね! 正体不明の犯人から送り続けられる予告状のせいで、我が社の信用や株価は漏れなくガタ落ち! 警備の依頼はほとんど無くなって閑古鳥! ココミ、旧友の頼みを聞いてくれないかな!?」
心美は暫く考え込むような素振りを見せてから、俺の同意を確認して告げる。
「取り敢えず、依頼は依頼だから、助力は惜しまないわ! ただ1つだけ、条件がある!」
「私にできることだったら何でもいいわよ! ちなみに、私は女の子相手でもイケる口だけど……!?」
「んなこと聞いてないわよ! もし依頼を達成した暁には──」
心美はルームミラー越しに右隣でハンドルを握るアイーシャと目を見合わせて、にやりと笑みを浮かべながら声高らかに自身の要求を突き付けた。
「オーストラリア人として、私でも楽しめる夏の観光スポットを案内しなさい!」
アイーシャは助手席に座る心美の方をちらりと見遣って、ほっと一息ついてから微笑み返す。
「持つべきものは、最高の友達だね!」
一頻り会話が終わったタイミングでぴったりと大音量の音楽が途切れると、暫しの沈黙に続いて『Girls Got Rhythm』が車内に流れ始めた。
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