Ch.3 GBS強盗犯行予告事件
新たなる夏の呼び声
Ep.27 誕生日プレゼントは海外出張
あっという間に秋が過ぎ去り、事務所のテーブルに置かれた花瓶に飾っていた真っ白な茉莉花の花はみるみるうちに変色していった。その一方で、まるで枯れた茉莉花の色を吸い取ってしまったかのような白銀の冬景色に彩られた年の瀬に、俺と心美は自宅兼事務所でふたりきり、ちょっとした祝宴を催していた。
「心美!」
「堅慎!」
「「お誕生日おめでとう!」」
栄泉リゾーツの密室殺人に始まり、黒猫の捜索から政界大改編にまで波及した一連の国際スパイ組織関連事件を無事に解決へと導いた心美と俺は、その慰労を兼ねてふたりだけの誕生パーティーを開催している。というのも、俺と心美の誕生日は偶然にも同じで、この度20歳の節目を迎えることに相成った。
「はぁー。これがお酒の味なのね!」
成年年齢に達した俺たちは、予め深夜のコンビニで買い込んでおいた酒入りの缶を小気味良い音と共に開封する。初めて味わう不可思議な酒の味が、俺たちが大人になったことを改めて告げているようだった。
「今年の夏は色々なことがあったな……。」
「本当よね……。当面の生活費は手に入ったから、暫くはゆっくりとした隠居生活も悪くないわね。」
俺たちはあれからも、権威ある茉莉花の名前は伏せた上で、インターネット上で探偵依頼を募集している。だが、一連の事件によって天才探偵・茉莉花心美の存在が改めて世間に知れ渡ったことで日本の犯罪発生率は一層低下していったため、これといった依頼はなく、代わりに何処から聞き付けたのか連日にわたってメディアが引っ切り無しに取材依頼のメールを送ってくる。その度に俺は「この連絡先は茉莉花のものではない」と白を切り通しているのだが、今のところ効果はない。心美の言う通り、
「だったらさ、今度気晴らしに海外旅行にでも行こうぜ。」
「流石は堅慎、分かってるわね! 私も同じこと考えてた!」
俺たちは今年一番のテンションで笑い合いながら、
§
あれから3時間ほど、思い出話を肴に休むことなく呑み続けていた俺たちだが、どうやら俺は存外アルコールには強い体質だったようで、ふわふわとした心地良い高揚感を楽しんでいた。一方で、心美はいつの間にやら次第に様子がおかしくなっていき、今やすっかり酩酊状態となっているようだ。
「堅信……。私たちが最初に出会った時のこと、覚えてる……?」
近所の幼稚園に通わされていた俺たちは、会話はなくとも何となく互いの存在を認識していた。アルビノとして生まれ持った個性的な風貌と紫外線対策による奇妙な格好、そして何より、幼稚園児とは思えないほどの卓越した知能によって周囲の人間とは何もかもが異なっていた心美は、残酷な子供社会の爪弾き者とされていた。かく言う俺も、酒とドラッグに溺れた父親から日常的に家庭内暴力を受けていたため、身体中に
そのような状況下で、俺が初めて心美と出会った時は、やっと同類を見つけたと思った。彼女も俺と同じで、表情が死んでいたから。でも実際に話し掛けてみれば、心美は何の変哲もないひとりの人間だった。面白ければ笑い、悲しければ泣く、感情豊かな普通の女の子だったのだ。
ある日心美は、家庭内暴力によって負わされた俺の傷に気付いて、理由を尋ねてきた。周囲の大人たちは、俺の置かれた劣悪な家庭環境について何となく察してはいるものの、積極的に介入して助けようとするどころか、見て見ぬふりをするような事なかれ主義者ばかりだった。そんな中で、心美は幼いながらに俺の身を案じて、いつも俺の話を親身になって聞いてくれた。幼少期からとっくに枯れ果てたと思っていた涙を自制心が芽生えてから人前で流したのは、心美が初めてだった。俺は感情豊かで思いやり深い心美のおかげで、人間らしい感情を取り戻して、素直に笑ったり泣いたりすることができるようになった。
俺は彼女と行動を共にするようになってからというもの、次第に心美の優しく人思いな人間性に惹かれていき、気が付いた頃には自然と彼女の隣を独り占めしていた。だから俺は、周囲の人間が彼女の魅力に気付いていないことを幸運とさえ思った。
そんな俺たちの幼馴染としての関係が決定的に変化することになったのは、10年以上の時を経て、彼女の両親が失踪したことを知らされてからだった。遂に本当の意味で孤独となってしまった心美と、家庭環境が崩壊していたために両親は死に、何処にも居場所の無かった俺は、互いの心にぽっかりと空いた孤独の寂しさを埋め合わせるように身を寄せ合った。さらに、先の強姦未遂事件が引き金となって住処を移す必要に迫られたため、僅かに残された両親の遺産を握り締めて、逃げるように故郷を出た俺たちは人目につかない郊外の土地に探偵事務所を設立した。それから、紆余曲折を経て今に至るのだ。
「あぁ、良く覚えてるよ。心美は昔から辛いとか寂しいとかって感情を表に出さないくせに、俺のことはいつも大切に想ってくれてたからな。心美と出会ってなかったら、俺はどうなっていたのやら──」
「……。」
「心美……?」
心美は俺の呼び掛けに反応を示すこともなく、何やら思い詰めたような表情で黙りこくってしまう。
「私は、小さい頃に堅慎と出会ってなかったら、20歳の誕生日は迎えてなかったと思う。」
数秒間の沈黙の後、蚊の鳴くような声でぽつりと呟いた心美は、俺の膝の上に跨って顔を近づけてくる。
「お前、何して──酔っ払ってるだろ!」
「堅慎、私ね……? 本当に感謝してるの。貴方が居なかったら私はもう何度も死んでたと思うから……。」
俺の顔に両手を添えて真っ直ぐに見つめてくる彼女の深紅の双眸に囚われて、俺は蛇に睨まれた蛙のように身動きを封じられる。
「こ、心美さん……!?」
「堅慎……。これは、私からの誕生日、ぷれぜん、と……。」
次の瞬間、心美は全てを言い切らないうちに、俺に身を委ねるように脱力して眠ってしまう。俺の心臓は、まるで100メートルを全力疾走で駆け抜けた時のような激しい動悸が止まらなかった。
「何だったんだ。心美からの誕生日プレゼントって……。」
心美の突然の奇行によって一気に酔いが醒めた俺は、膝の上で俺の身体に寄りかかっている心美をソファに寝かせて毛布を被せてやって、テーブルの上に並ぶ空き缶などのゴミを片っ端から片付けながら、行き場のない悶々とした気持ちを何とか忘れようとした。
§
翌日の朝、冬の乾燥した冷たい空気に身震いしながらベッドから身体を起こしてリビングへと向かうと、二日酔いの影響か頭を抱えながらうんうんと唸る心美と目が合い、俺はまた心臓が締め付けられるような気持ちになる。
「な、なぁ心美。昨日のことだけど──」
「っ、何かしら。申し訳ないけど、途中から一切記憶がなくってね……。」
いつも俺と会話する時は毅然たる態度ではきはきと話すはずの心美は、寝起きだからか、はたまた具合が悪いからかは分からないが、歯切れの悪い返事を寄越す。
「そ、そっか。なら良いんだ……。」
「あ、でも海外旅行に行きたいって話は覚えてるわよ!」
俺は緊張を紛らわせようと心美のために淹れていたジャスミン茶の入ったマグカップを手渡し、ソファに座って一息ついてから手を叩いて宣言する。
「よし! だったら思い切って、今週中にもどっか行こうか!」
「やったぁ! だったら今から何処に行くか、作戦会議よ!」
そうと決まれば、当面は探偵事務所も店仕舞いだ。俺は事務所のホームページ上で休業のお知らせをして新規の依頼は全て断ろうとパソコンを開くと、1件のメールを受信していることに気が付く。気になって内容を確認してみると、全文が英語で表示されていて俺の読解力では断片的な情報しか読み取れない。
「心美、事務所にメールだ。しかも英語で。俺には読めないから代わりに頼む。」
「良いわよ! えーと、なになに──」
心美が横から笑顔で俺のパソコンを覗き込むが、英文のメールを読み進めていく内に彼女の表情は次第に険しいものへと変わっていく。
「な、なんだよ。怖い顔しちゃって。」
「堅慎……。これ、仕事の依頼だわ。」
──なんだって。今の今まで仕事の依頼など数か月にわたって音沙汰なかったというのに、何という間の悪さだろうか。
「そ、そんなもん断っちまおうぜ! ほら、英語で『お断りします』みたいなフレーズ、教えてくれよ!」
「この依頼主、私たちの知り合いだわ……!」
「なに……!?」
なんと予想外にも、心美はメールの送り主の名前に見覚えがあるという。
「こうなったら、海外旅行のついでに行ってみましょう。オーストラリアへ!」
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