救国の英雄と終わらない悪夢

Ch.2 ED 生涯初めての友情

 事件解決からおよそ1か月後、茉莉花の枯れる季節への移ろいが感じられる薄れゆく夏の残暑の中で、ある晴れた心地良い穏やかな風が吹く日──探偵・茉莉花心美は自らの事務所内にて、満面の笑顔を咲かせていた。


「陽菜ちゃん退院おめでとう!」


「心美ちゃんありがとー!」


 臨時国会の本会議において賛成多数で無事に可決され、翌年から発効する運びとなった「スパイ防止法」の制定によって、中国直属のスパイ組織による脅威は一先ず遠退いた。また、菊水家へ侵入した強盗によって放たれた手榴弾で深手を負っていた美佳と陽菜の傷も完治し、先日漸く退院する運びとなった。


 その一方で、菊水次郎議員は心美との約束通り、自室倉庫に隠し持っていた政治家たちによる汚職の証拠の数々をメディアを通じて発表したため、世間からの総攻撃の矢面に立たされている。これにより、衆議院内では近く内閣不信任決議案が可決されるという予測が立っており、内閣総辞職に伴う衆議院の解散に際して総選挙が行われる見立てだという。


「全く、世間も大変よね。次から次へと新しい問題に振り回されて。」


「うん。でも一番大変なのは心美ちゃんだよ……。」


 そう、菊水次郎が自らの利権をかなぐり捨ててスキャンダルを暴露した理由を問われた際に、あろうことか「茉莉花心美の助言に従った」という事実まで明かしてしまったのだ。確かに、心美の名前を出すなとは一言も忠告しなかったが、心美の事情を鑑みて配慮してくれても良いだろうに。菊水次郎──最後の最後まで鈍い男だ。


 おかげさまで、世間の茉莉花人気はとどまるところを知らず、今般の足立議員による議員会館内発砲事件にも心美が関係しているのではないかという憶測が飛び交い、挙句の果てには「茉莉花心美ファンクラブ」なるものが密かに開設されているという。


「はぁー、頭が痛くなる話ね。猫捜しの報酬も結局貰っちゃったし、こうなったら私が海外に高飛びしようかしら……。」


 そう、実は報酬の受領を辞退したはずの俺たちが住まう事務所の郵便受けには、先日次郎から宛てられたものと思われる札束入りの茶封筒があったのだ。きっとかたくなに現金を受け取ろうとしない心美の鉄の意思を見抜いた次郎が、気を遣って遠回しに渡してくれたのだろう。封筒には宛名書きもなく、今更菊水家に出向いて突き返したところで知らぬ存ぜぬと白を切られそうなので、ありがたく頂戴することにした。

 

 自分の与り知らぬところで噂に尾鰭おひれが付いていく様を想像して冗談を飛ばしながら頭を抱える心美だが、此度の一件は探偵事務所の運転資金が手に入ったことを抜きにして考えても、必ずしも彼女にとって悪いことばかりではなかった。



 §



「私の言えた義理ではないが──」


「はい……?」


「こちらからも1つ、お願いがあるんだ。探偵・茉莉花さんへの依頼ではなく、1人の人間・心美さんへのお願いだ……。」


「な、何でしょう……?」


 それは、菊水次郎がの満了を伝えに来た日のことだった。


「私が隠蔽している大量のスキャンダルを暴露することになれば、私は世間の批判を一身に受けることになる。それは自業自得として甘受しよう。だが、娘の陽菜は私の仕事とは一切関係がないんだ!」


「えぇ……。」


「私の説明責任を追及するために、きっとメディアは連日我が家の門扉を叩く。当然、その影響は家族にも及ぶだろう。そうなれば、陽菜はきっと今まで通りの生活を送れない!」


「っ……。」


「そこでどうか! 心美さんには、陽菜と友達になって、娘を精神的に支えてあげてほしいんだ……!」



 §

 


 菊水次郎の政治家としてではない、父親としての願いをしかと受け取った心美は、改めて陽菜の病院へ見舞いに行った際に友達になってほしいと申し出たのだが、当の陽菜は初めて出会った時から友達のつもりだったと返され、赤面していた。


 心美にとって、俺は親友以上家族同然といった存在なので、真の友情というものを味わうのはこれが人生初の体験なのだろう。陽菜と一緒に居る心美にはいつもの冷静沈着な凛とした面影はなく、友達という存在に良くも悪くも振り回されている年頃の女の子といった感じだ。そんな陽菜だからこそ、彼女は俺すらも知らないような心美の喜怒哀楽に満ちた表情を次々と引き出してくれる。


「いい友達が出来たな、心美。」


「そ、そうね……。」


 照れ臭そうに口元を隠しながら答える心美の姿に、心の底から何か得体のしれない感情が込み上げてくる。俺はそんな感情を表に出すこともなく、ぶんぶんと首を振って心美に笑顔を返す。


 今日は秋の訪れを感じさせる穏やかな陽気だ。程よく風も吹いているため、アルビノの心美でも、厚着をして外に出ようがそこまで暑苦しい思いをせずに済むだろう。陽菜は、そんな心美にとって過ごしやすい良い天気の日が訪れるのを待っていたのか、退院してから始めて心美を外出に誘ったのだ。


「お父さんのことでマスコミが取材に来るから、私も世間の人気者になっちゃってさー。今日はお忍び変装デートだね!」


 あっけらかんとした態度で陽菜は、心美が紫外線対策として身に着けている不審者コーデと同じような格好をして、微笑んで見せる。内心辛い思いをしているのは明白なのに、それを決して表に出さずに、気丈に振舞って見せようとする性格は本当に心美と良く似ている。


「ふふっ、私の変装歴は19年よ! まだまだ甘いわね!」


 心美はにっこりと微笑み返して、陽菜の髪と帽子を整えている。


「そんじゃ俺は、久々にゆっくりと孤独の休暇を楽しませてもらうとしますか! おふたりさん、良い1日をお過ごしくださいねー!」


 俺の仕事は探偵事務所の所長である心美の相棒として、彼女の御身を護ること、そして裏方の事務作業全般をこなすことだ。依頼は完了済み、さらに心美はプライベートとして陽菜と出掛けるため、俺は何年ぶりかも分からない1人の時間を心ゆくまで堪能できる──はずだったのだが。


「堅慎ってば、何を言ってるのかしら。貴方も当然私たちに付いてくるのよ?」


「は、はい……?」


「そうですよ岩倉くん。心美ちゃんは今や時の人! 悪意のある人間以外にも、彼女を取り囲んでわーきゃー言うような輩が増えてしまったんです! 心美ちゃんの護衛を名乗るのであれば、しっかりと彼女の傍に居て護ってあげないといけませんよね……?」


「陽菜ちゃんの言う通りだわ。堅慎、悪いけど私たち、これからショッピングに行くから荷物持ちをお願いね。あ、あと熱中症や脱水症状にもまだまだ気を付けなきゃいけない季節だわ! 2人分の水筒を用意しておいて頂戴! それと──」


「うわぁああああ!」


「あ、ちょっと堅慎! 待ちなさい!」


 ──さらば、俺の穏やかな休日よ。



 §



 女性陣の買い物に掛ける熱意は凄まじく、彼女たち2人は無尽蔵の体力を備えていた。心美は外出するときは年中長袖を着るため、新作の秋物洋服が立ち並ぶアウトレットに目を輝かせて衝動買いしていた。俺は足が棒になるまで歩き回り、ぼろ雑巾のようにこき使われる羽目になった。流石に明日は土下座してでも、この傍若無人な所長様に休暇を申請することにしよう。尤も、それが許可されるのであれば、初めから困ってはいないのだが。


 夕闇に包まれた空の下──俺たちは帰り道すがら、ミーシャちゃんを見つけた河川敷へと足を運んでいた。


「私たちはこの河川敷で偶然ミーシャちゃんを捕まえたの。」


「思い返せば、この時点でミーシャちゃんの首輪に埋め込まれたマイクロチップに気が付いていれば、菊水さんの家が襲われることもなかったよな……。」


「こら堅慎! 終わったことを蒸し返さないの……!」


「心美ちゃん、良いんだよ。それに、何はともあれ、ミーシャちゃんが無事で本当に良かった。」


 黄昏時の茜空に浮かぶ金色の太陽に照らされた陽菜の表情は、何処か儚く物憂げだった。


「陽菜ちゃん、どうしたの……?」


 陽菜は、無言のまま涙を流していた。


「私さ、お父さんの事件のことで、家には四六時中引っ切り無しにマスコミの取材が来るから、大学ではちょっとした有名人なんだ……。影で色々と噂されることもあるけど、私には心美ちゃんがついてるから──」


 嗚咽を漏らしながら少しずつ話す陽菜の肩を、心美は黙って抱いている。


「心美ちゃんと友達になれて、本当に良かった……! これから辛くなった時は、私には最強の親友が居るんだって、皆が羨む心美ちゃんに猫を捜してもらったこともあるんだって、優越感に浸っちゃおうかな……!」


 涙を拭ってはにかみながら心境を吐露する陽菜に対して、心美は優しく背中を撫でてやることしかできなかった。


「なぁ、菊水さん。君さえ良ければ、暫くうちの事務所で匿ってあげても良いんだぞ……?」


 俺は重苦しい雰囲気に居た堪れなくなって、1つ提案をする。


「ううん、それじゃあ心美ちゃんにも迷惑が掛かっちゃう。それに、私にはお母さんも居るから……。」


「そっか……。」


「なんか、湿っぽい感じになっちゃったね! 私は全然大丈夫だから! 心美ちゃん、こんな私でも、ずっと友達で居てくれる……?」


「勿論よ! そんなの、当たり前じゃない……!」


 心美は人生で初めて、相棒である俺以外の人間の為に涙を流した。それは、彼女の19年にわたる生涯において初めて、俺以外に心を許せる人間が出来たことを意味していた。


「よし! 良いこと思い付いた!」


「ん……? 何かしら?」


「今日はちょっと手間の掛かる豪勢な料理を作ってやるよ! 菊水さんも食べてってくれ!」


 鬱屈とした空気を吹き飛ばすように両手を天へ向かって突き出して伸びをしながら、俺は高らかに宣言する。


「おー、良いこと言うじゃない! 安心して陽菜ちゃん。堅慎は見た目によらず料理が得意なのよ。」


「へぇ、意外!」


「おい、それどういう意味だよ!」


 一転、明るくなった雰囲気に絆されて笑みを浮かべる陽菜の姿に、俺は憎まれ口を叩きながらも内心深く安堵した。


「そうと決まれば、暗くならないうちに食材買いに行くぞ!」


「えー……! 私たち先に帰ってるから、堅慎だけで行って来てよ!」


「馬鹿言うな! こんなに大荷物持ってたら買い物どころじゃないだろ! 心美にも手伝ってもらうからな!」


「日傘で手が塞がって荷物なんて持てませーん。」


「もうすぐ日没だし、片手は空いてるだろ!」


「ふふっ、2人共喧嘩しないの!」


 俺たちは和気藹々と会話に花を咲かせながら、笑顔で帰路に就いたのだった。この後、俺たちを待ち受けている数々の事件と、国際スパイ組織の次なる一手など知る由もないままに。

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