Ep.23 政敵だらけの権力者

 俺と心美は、スパイに買収されて動いている犯人に入れ知恵した黒幕の存在を疑い、心当たりを伺うためにもう一度菊水次郎へと接触を試みた。どうやら、次郎はまだ妻と娘の搬送された病室に居るということを、直接本人との電話で聞きだした。面会許可は次郎が既に手配してくれているとのことなので、俺たちは着の身着のまま傘だけを持って、昨日も訪れた病院にタクシーで向かう。


「心美、暑くないか?」


「普段よりは大分マシよ。夏場の雨は助かるわ。」


 雨天時の紫外線量は快晴時と比べれば少ないとはいえ、それでもアルビノの心美にとって対策は必須だ。日が出ていない分は気温も低いので、心美は多量の汗を流しつつも普段よりは快適そうだ。病院に到着して受付で菊水の名前を出すと、すぐに面会許可証を受け取ることが出来た。俺たちは許可証を首から下げて親子が眠る病室のドアをノックする。


「貴方たちか。入りたまえ。」


 次郎から入室するよう促されると、次郎の妻・美佳とその娘・陽菜の元気そうな姿があった。心配そうな面持ちで彼女たちを見守る心美の緊張を察してか、陽菜は笑顔で手を振っている。友達という存在に縁のなかった心美は、ここ数日で一気に心の距離を縮めてきた陽菜に対してどう接して良いものか分かっていないようだったが、結局少し照れ臭そうに手を振り返す。そんな微笑ましい光景を横目に俺は、見舞いの品として道中にて購入した菓子折りを手渡してから、話を切り出すタイミングを窺う。


「現在は『スパイ防止法』制定に向けた臨時国会の会期中かと存じますが、菊水議員は出席しなくてもよろしいのですか……?」


「ふん。今はあくまで形式的な内閣提出法案の委員会審議中だ。採決が行われる本会議でもない限り、私の出る幕はないよ。」


「左様でございますか。」


「そんなことはどうでも良いだろう。何か私に聞きたいことがあるんじゃなかったのかね?」


 俺がなかなか本題に入ろうとしないことに業を煮やした様子の次郎が話を急かす。俺はその言葉を皮切りに、心美へとバトンタッチする。


「それでは私から質問させて頂きます。与党の事前審査部の現会長である菊水さんは、周囲の人間に機密書類の保管場所である自宅倉庫の存在やミーシャちゃんの首輪に隠された謎、ミーシャちゃんの失踪について漏らしたことは……?」


「機密情報が外部に漏れれば事だ。同じ政党に所属している身内には事情を説明して、ミーシャちゃんの捜索を手伝うように言っておいた。」


 刹那、室内の空気が凍り付き、その場に居る全員が言葉を失う。菊水次郎──正直に言って無能だとは思っていたが、これほどとは。想像以上の詰めの甘さだ。


「何だ……? 何か問題でも?」


 しかも、当の次郎本人は事の重大さに気付く素振りもないということが、ますます始末に負えない。


「問題しかありませんね。美佳さんと陽菜ちゃんを襲った男たちがミーシャちゃんの失踪にいち早く気付き、我々よりも先に発見して首輪に細工を施した上で菊水さんの自宅を突き止めたこと、重要書類の隠し場所とその開錠に必要な赤い首輪について知っていたことなどを総合的に勘案すれば、中国スパイと結託して動く犯人たちの他に黒幕が居る可能性は限りなく高い。」


「まさか、そんな情報を悪用し得る黒幕が、私の身近な人物の中に紛れていると……!?」


 次郎は漸く自身の行動の愚かさに気付いたようだ。そんなに重要な情報ならば、いくら党内部の身内とはいえ不用意に触れ回ることは控えるべきだっただろう。


「要するに『スパイ防止法』制定阻止のためにぶちまけられるスキャンダルによって瓦解は免れない与党の内部で、保身を約束されるなり相応の賄賂を受け取るなりした内通者が中国スパイと協力して菊水さんの情報を意図的に漏洩したのかもしれません。そんな人物に心当たりは……?」


 次郎は記憶を辿るように十数秒に渡って考え込むも、首を横に振って答える。


「全員が怪しいと言う他ない。法案の事前審査部会長という地位を狙ってか、私の失脚を望む政敵は多くてな。」


 ──まあ、そうだろうな……。心美も同じ感想を抱いたのか、期待外れだが予想通りだというような表情で目を見合わせて肩をすくめる。


「はぁ……。聞きたいことは以上です。時間が惜しいので、これにて失礼致します。」


 心美は身を翻して病室の扉へと向かう。これ以上次郎から有用な情報は聞き出せそうにないので、ここらが潮時かと思い俺も彼女に続く。


 病室を出て、エントランスに向かって今にも歩き出そうとしていると、突然後ろから俺たちの後を追う何者かの足音が院内の廊下に響き渡る。


「心美ちゃん!」


「陽菜ちゃん……? ダメよ、まだ怪我も治ってないのに歩き回ったら……!」


 陽菜は問題ないと言わんばかりにへらへらと笑って見せると、急に真剣な表情で俺たちに伝えたいことがあると言う。


「あのね、この前大学に通学していた時の話なんだけど……。」


 聞けば、以前陽菜がミーシャちゃんの捜索を依頼しに事務所を訪れた当日の朝、大学への通学中に見知らぬ40代前後の男に話し掛けられたという。男は次郎の政治家仲間を名乗って陽菜にミーシャちゃん捜索に関する情報を聞きだそうとしていたらしい。


「最初はお父さんに頼まれたからミーシャちゃんを躍起になって探しているだけかと思ったけど、今思い返せばあの人、凄く怪しかった……!」


「ちょっと待ってて!」


 心美はスマホを取り出して与党政党のホームページから顔写真付きの政党所属議員一覧を陽菜に見せて、接触してきた男の風貌に関わる彼女の記憶を喚起させようと試みる。


「ううん。この中には居ないと思う……。」


 生憎、陽菜の記憶が正しければ与党議員の中に彼女と接触した人物はいないようだ。


「40代といったら、政治家としては若い方ね。もしかしたら議員秘書だったのかもしれない。陽菜ちゃん、男は自分の名前を名乗ってなかった……?」


「んーと……。どうだったかなぁ……。」


 次に心美は、国会議員の公設秘書名の一覧表を検索して陽菜に見せる。


「ピンとくる名前があったら教えてほしい……!」


「おい、心美……。国会議員は総勢700人あまり。そいつらの公設秘書となったら、その3倍の人数だぞ。当然似たような名前や同じ苗字の奴も居る。それをしらみ潰しに探すのは──」


「あ! この人!」


 手当たり次第に陽菜の記憶にすがろうとする心美に苦言を呈した直後、陽菜は五十音順に並べられた議員毎に表示されている公設秘書の中に聞き覚えのある名前を見つけたようだ。


「え……? マジか……。」


天道てんどう光明こうめいね。衆議院議員・足立あだち孝則たかのりの第1秘書らしいわ。」


 試しに名前で検索を掛けると、自らのスマホの液晶画面に表示された個人情報一覧から、年齢は42歳であると分かった。陽菜が述べた外見的特徴とも一致するため、情報の信頼度は高そうだ。


「陽菜ちゃん、貴方天才だわ……! 本当にありがとう!」


「うん! 心美ちゃんの役に立てて良かったよ! いてて……。」


 思わぬ収穫と事態の進展に諸手を挙げて歓喜する心美は陽菜と抱き合うも、彼女の傷はまだ治っていないようで、鋭い痛みに顔を顰める。


「あ、ごめんなさい……。陽菜ちゃんはゆっくり養生して頂戴。犯人は必ず、この手で見つけてみせるわ!」


「うん、ありがとう。無茶はしないでね……!」


 伝えるべきことは伝えたといった表情で陽菜は、俺の目を力強く見つめて頷く。きっと心美の身の安全は託したとでも言いたいのだろう。俺も決意を込めた目線を返して、大きく頷き返す。


「それじゃ……!」


 陽菜はそう言って、自らの病室へと戻っていった。それを見送った俺と心美はアイコンタクトで互いの意思を確認する。


「まずは足立に接触してみよう。奴が黒幕である可能性が一気に高まった。」

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