Ep.21 雇われ探偵の再雇用

 耳をつんざくようなガラスの破壊音に、その場に居る全員が視線を移す。するとそこには、見覚えのある握り拳くらいの小さな球体が転がっていた。それを見た俺は一瞬のうちに全身の毛が逆立つような怖気が走り、全力で叫ぶ。


「全員隠れろ!!」


 俺は咄嗟に心美を捕まえて、近くのキッチンカウンターの奥へと飛び込んだ。窓ガラスを突き破るようにして投げ込まれた物体は、放射状に拡散する閃光と轟音を伴って爆発する。悪いが、俺は隣に居た心美を護ってやるので精一杯だった。


「おい、お前は死体運べ! 俺は猫を探して書類を頂く!」


「面倒な仕事を押し付けるんじゃねぇよ、ったく……。」


 武装した男が2人、窓ガラスから菊水家のダイニングへと侵入してくる。先程の爆発はこの男たちの仕業だろう。所謂フラグ・グレネードと呼ばれる広範囲に殺傷効果を及ぼす手榴弾を投げてきたようだ。──おそらくあの時とは違って、こいつらは俺たち全員を殺すつもりだった。


「堅慎、無事……?」


「あぁ。心美は?」


「私は平気よ。」


 幸いにも、奴等は俺たちが死んだものと勘違いしている。死体を回収しに来た片割れがキッチンカウンターの奥を覗きにきた瞬間に不意討ちで無力化して、もう片方を捕まえるとしよう。俺と心美は目配せして言葉を交わさずに作戦内容を共有し、息を殺して機を窺う。


「全く馬鹿だな。茉莉花とかいう奴も大したことない。」


「あぁ。菊水の黒猫を先に見つけて首輪にマイクロチップを埋め込んどくだけで、勝手に家まで案内してくれたんだからな。おかげで倉庫内の重要書類も手に入って、中国のスパイ連中に売り捌くだけで一攫千金だ!」


 ──なるほど、そういう絡繰からくりだったのか。俺たちも焼きが回ったものだ。


「おい、そういや当の茉莉花とボディーガードは何処に居やがる!」


「油断するな。どっかに隠れてるぞ。」


 ──拙い。奴等もただの馬鹿ではないらしい。俺たちの死体が見当たらないことに気付かれたようだ。


「最悪、死体は構わねぇ。まずは書類を根こそぎ頂くぞ。俺が後ろを警戒するから、お前は猫の首輪の暗証番号を倉庫に打ち込め。」


 すると、襲撃者共は目的の優先順位を変更したようで、揃ってダイニングを去っていった。


「くそ! 心美、どうする!?」


「まずは菊水親子の容態を……!」


 俺たちは侵入者が消えた隙に、回避行動が間に合わずに手榴弾をまともに喰らってしまった親子の様子を確認する。双方共に多量の出血に伴って気を失ってはいるものの、脈拍や呼吸は正常なようだ。今すぐ病院に担ぎ込めば助かるかもしれない。


「堅慎、救急車!」


「分かってる!」


 俺は心美に言われるまでもなく、スマホを取り出して119番に緊急通報する。探偵依頼の一環として提供された自宅の住所という個人情報を外部に漏らすことに抵抗がない訳ではないが、依頼主の命にかかわるこの状況で、守秘義務だの何だのと言っている場合ではないだろう。


「書類は頂いた! あとは死体を運び出すだけだ! お前も手伝えよ!」


「分かってる。急ぐぞ。」


 救急車の出動を要請した直後、菊水次郎の自室倉庫に保管された「スパイ防止法」関連資料や国家機密が記された書類を運び出したと思われる男共が戻ってくる。俺たちは再び身を隠す暇もなく、武装した凶漢共と対峙した。


「な、茉莉花だ! 死に損なったか!」


「用心しろ。他の仲間は不意討ちした上で、そこの岩倉とやらに手酷くやられたらしいぞ……。」


 どうやら、覆面で顔を隠した眼前の凶漢共は、以前夜のコンビニで襲ってきた男共とは別人らしい。だが、会話の内容から察するに、例の中国直属のスパイ組織と通じていることは間違いないだろう。


「この売国奴共が。あまつさえ菊水親子の命まで奪おうとするなんてな……!」


「何とでも言え! こそこそスキャンダルを自分の部屋に隠しておくような政治家とその家族なんて、破滅するのがお似合いってもんだ!」


 とはいえ、この状況は俺たちにとってかなり不利だ。男共は俺と心美に向かって銃を突き付けている。この狭い部屋の中ならば壁や家具を利用して戦力差を覆すことも不可能ではないが、ターゲットを菊水親子に変えて彼らを人質に取られればすぐにゲームセットだ。それを理解しているからこそ、隣に居る心美からも攻勢を掛けようという合図は特にない。


「クソ共が……!」


「堅慎、待って。貴方たち、私と取引しないかしら。」


 すると、心美は何か考えがあるようで、男共に取引を持ち掛ける。


「取引だと?」


「そうよ。その書類は全てあげる。貴方たちの犯行も見逃してあげるように家主を説得しておくわ。だからそっちも、私たち全員の命は見逃して。」


 しかし、凶漢の片割れは、心美の提案を嘲笑で以て返す。


「おいおい、あんた本当にあの天才探偵・茉莉花なのか? 俺たちにその提案に応じるメリットなんてないだろ。ここで全員の頭を撃ち抜いて退散すれば済む話だ。」


「はっ、金に目が眩んで衝動的に人の家に押し入って盗みを働くような単細胞は、やっぱり浅慮遠望で救いようがないわね。」


 心美は銃を突き付けられているというのに、敢えて目の前の凶漢共を挑発するかのように大胆な発言で動揺を誘う。


「なんだと……!?」


「政界の重鎮・菊水一家への強盗殺人、おまけにその現場から天才探偵・茉莉花の死体が上がって、極めつけは国家機密の情報漏洩ですって? 貴方たち、金がどうこうの前に、捕まったら死刑確定よ?」


 心美の言葉を聞いた男共は、分かりやすく狼狽する。


「だ、だったら何だってんだ!? 俺らはな、この書類を中国のスパイ共に売捌くために、すぐに国外へ高飛びするんだよ!」


「そんなこと、日本の警察が想定しないとでも? ただでさえ最近はスパイ騒動の影響で出入国規制が厳格化されているというのに、うまく逃げおおせるとでも考えているのかしら?」


 男共と心美による押し問答が続く中、俺は救急者のサイレンのような音が微かにこちらへ近づいてきているのを察知した。


「おい! さっきの爆発音で通報されたのかもしれねぇ!」


「あぁ、こいつの取引に乗っかる形になるのは癪だが、もう行くぞ。」


 焦った男共は、侵入してきた窓ガラスから重要書類が入っていると思われる鞄を抱え、尻尾を巻いて逃走していった。俺はみすみす強盗犯を見逃すことに歯痒さを感じながらも、黙ってそれを見送ることしかできなかった。



 §



「美佳! 陽菜! 無事か!?」


「お父様! 病院内ではお静かに願います!」


 救急車が菊水親子を搬送してからおよそ半日後の病院内、自宅に押し入った強盗により妻と娘を殺されかけたという事情を聞き付けた衆議院議員・菊水次郎が、慌ただしく病室のドアを開ける。俺たちは始め、部外者として病室への立入りを拒否されていたのだが、緊急処置を終えて意識を取り戻した親子によって入室を許可されたため、彼女らの傍で次郎の到着を待っていた。


「すまなかった! 地方への出張中で到着が遅れてしまった! 無事で何よりだ……!」


「お父さん、まずは心美ちゃ──茉莉花さんからお話が……。」


 娘の陽菜が気を利かせて、俺たちに会話の機会を設けてくれる。


「端的に経緯いきさつを説明致します。まず、捜索依頼を受けていた黒猫のミーシャちゃんは、私たちよりも先に中国直属スパイ組織の手先によって発見され、菊水議員の自宅倉庫を特定するため、首輪にマイクロチップが埋め込まれておりました。」


「な、なんということだ……。」


「そのことに気が付かず、菊水様の下へとミーシャちゃんを届けた私たちはその場で襲撃を受け、重要書類を盗み出される事態に……。大変申し訳ございません。」


 深々と頭を下げる心美に対して、次郎は諦念に達したような深い溜息で返す。


「ただ、中国のスパイの手に書類が渡る前に犯人を確保することは、不可能ではないかもしれません。」


「なに……?」


 そうだ。心美の言っていた通り、栄泉リゾーツの一件が世界を駆け巡るニュースとなって以来、日本の水際対策は強化され、不審人物の出入国は厳格に取り締まられる。勿論、不審な持ち物などを海外へ持ち出したり、日本に持ってくることもできない。


「従って、国境を跨いだ書類の受け渡しには相応の時間が掛かるものかと。その間に犯人を取り押さえ、書類を奪還することができれば『スパイ防止法』の制定に影響は出ません。」


「むう……。」


 今度は何か考え込むような仕草を見せる次郎は、俺と心美を交互に見ながら言う。


「それが、貴方たちにはできると?」


「はい……?」


「だから、貴方たちに依頼すれば、犯人の確保が可能かと聞いているんです。」


 次郎による突拍子もない質問に、心美は問い返す。


「警察には頼らないんですか?」


「警察はダメだ。あの書類の中には一般人に知られては困る情報も多々ある。先に警察が犯人を捕まえてしまえば、書類は重要な証拠として持っていかれてしまうかもしれない。」


 この次郎という男──この期に及んで、まだ自らの政治家としての体裁を考えているというのか。見た目は何処にでもいる小心者の小男といった印象にもかかわらず、存外面の皮が厚いらしい。


「分かった。貴方たちにお支払いした1,000万があったろう。あれを前金として、犯人確保に至るまで無期限で、貴方たちとを締結したい。」


、ですか……?」


「そうだ。事態の収束に専念してもらうため、書類を回収するまでの間はその他一切の探偵依頼を断ってもらうが、その分報酬は弾もう。犯人確保と重要書類の回収に成功した場合は、前金の倍額──1,000万を追加で支払う。それとは別に、調査活動費として日当10万を出そう。如何かね。」


 俺と心美は、次郎から提示された法外な報酬額に眩暈がしそうになるも、これと言って特に断る理由もない。正直に言って、次郎の隠蔽体質には辟易しているところもあるが、このままでは日本の危機だ。


「やめてよお父さん! こうなったのは全部お父さんの責任でしょ! あの人たち、私たちを本気で殺すつもりだったんだよ!?」


 すると、娘の陽菜が待ったを掛けるように大声を上げる。


「陽菜! お父さんに向かってなんて口の利き方するの!」


 母親の美佳による叱責にも怯むことなく、陽菜は続ける。


「心美ちゃん! 嫌だったらそんな依頼、受けなくても良いんだよ? 岩倉くんも、いくら強いからって武器を持った大人を追うのは危ないよ……。」


 彼女は心美に似て、とても優しい娘だ。俺たちの命の危険など関心の埒外と言わんばかりに、金で解決しようとする父親のやり方に堂々と異議を唱えて、慮ろうとしてくれているのがありありと伝わる。


「陽菜ちゃん……。ありがとね。でも、私たちは大丈夫よ。何度も死線を潜り抜けてきた相棒がついてるし、貴方をこんな目に遭わせた犯罪者を放ってはおけないもの。」


「あっ……。心美ちゃん、やっと私のこと名前で呼んでくれた……。」


 痛々しい傷跡が残る顔で無邪気に微笑む陽菜に対して、心美ははっとした表情で照れ笑いを返す。そして彼女は、俺が頷き返すのを確認してから、改めて次郎に向き直った。


「菊水次郎さん。口頭契約となり申し訳ございませんが、犯人確保と重要書類の奪還に至るまでの探偵専属契約──謹んでお受け致します。」

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