Ep.17 黒猫のミーシャちゃん

 時刻は午前8時──テレビから垂れ流される朝の天気予報は全国的に雲ひとつない日本晴の上天気であることを伝えていて、本日正午には今夏の最高気温を迎える見込みらしい。紫外線に弱いアルビノの相棒にとっては、この上なく過ごし辛い最悪の天気だ。


「心美どうする。日を改めるか……?」


 俺は心美の身を案じて、寝惚け眼を擦りながら小さく欠伸をしている彼女に尋ねる。


「先延ばしにしても今の季節は暑くなっていく一方だし、ミーシャちゃんの首輪に隠された秘密を嗅ぎつけたスパイ組織の協力者が『スパイ防止法』制定を阻止するために先手を打って、猫をさらってしまうかもしれないから……。」


 仕方ない。心美には大きな負担となってしまうが、肌の露出を抑えるため長袖に黒いキャップ、サングラスを着用した上で日傘を差すという完全防備で、炎天下の街中を歩き回ってもらうしかない。アルビノ特有の白髪を靡かせて歩く心美はかなり目立つので、厚着をして外出するのは紫外線対策に加えて、名探偵・茉莉花としての正体を隠して世を忍ぶための変装も兼ねている。だが、どれだけ季節外れの不審者風コーディネートで街を闊歩しても、心美はまるで海外ドラマの登場人物かのように、何処か様になっていると感じさせるような美貌を持っている。


「どうかしら……。変じゃない?」


「変かどうかと聞かれたら返答に困るな。なんか海外セレブのパパラッチ対策みたいだ。」


「なによそれ。ていうか、もう暑いんだけど……。」


「喉が乾いたらすぐに言えよ。ジャスミン茶は水筒に入れておいたから。」


 俺は地獄のような酷暑に耐えている心美の代わりに、1.5リットル入りの水筒を2本と菊水から貰い受けたミーシャちゃんを誘き寄せるための猫用おやつ、最終手段の捕獲用ネットをリュックサックに詰め込んで背負う。心美に持たせるのは、携帯用の小型扇風機と首に巻くための濡れタオルだけだ。


「時間が惜しいわ……! 行きましょう!」


 俺たちはなるべく早くミーシャちゃんを捜し当てるため、意を決して事務所の外へと繰り出した。



 §



「まずは、猫の集まりそうな場所や猫に餌をあげている人の目撃情報を集めたいわね。闇雲に探しても、いたずらに体力を消耗するだけだわ……。」


 あくまで冷静に現況を分析している心美だが、家を出てから少し歩いただけで既に息を切らしている。それもそのはず、彼女は紫外線に弱い皮膚を守るため、マスクまで着用してる徹底ぶりだ。正直、夏場の猫捜しなど到底一筋縄では行かない大仕事である。心美の体質を考慮して、俺は何度も自分ひとりで捜しに行くと言いかけた。だが、簡単ではないからこそ探偵としての腕の見せ所であり、どう説得しようと心美は必ず付いて行くと言って聞かないことは知っていたため、俺は敢えて何も言うことはなかった。


「猫の集まりそうな場所って、具体的には?」


「日向と日陰が適度にあるような、公園や神社とかが有力ね。猫は水を嫌うから、雨が降ったら日陰に隠れる一方で、明るいうちは日向に現れやすいのよ。」


 なるほど、心美の見立てによって一先ずの目的地ができた。まずは依頼人・菊水一家の居住地である繁華街周辺に位置する、猫の溜まり場となっていそうな場所を当たってみるとしよう。


「それにしても、そんなに大事な猫なら首輪にマイクロチップでも付けて対策しておくべきよね。菊水次郎──与党在籍の衆議院議員が聞いて呆れるわ……。」


 現職の国会議員ともあろうものが、重要書類を保管している倉庫のパスワードを猫に預け、猫が失踪した際の対策も講じていないという危機管理能力の低さに、心美は辟易しているようだ。


「まあまあ。そのおかげで、俺たちもこうして割の良い仕事にありつけたんだ。今はそのおっちょこちょいな議員様に感謝しようぜ。」


「黒猫なんて、よく不吉の象徴だって言われるじゃない? 何か別の厄介事に波及しなければ良いんだけど……。」



 §



 俺たちは事務所から歩くこと10分ほど、商店や飲食店といった商業施設が多く立ち並ぶ繁華街を通り抜け、住宅街周辺の街区公園に到着した。子どもたちの通園・通学中だと思われるこの時間帯は人影も疎らで、猫捜しに奔走している俺たちの姿を怪しむ者も居ないだろう。俺はまず、心美に水分補給がてら休憩することを勧め、公園のベンチに座って日傘を預かる代わりに水筒を手渡すと、ごくごくと気持ち良さそうに喉を鳴らして大容量の水筒の中身を半分ほど飲み干してしまう。


「あぁ、頭がキーンってするわ……。」


 余程喉が渇いていたのか、たっぷりと氷が入ったジャスミン茶を一気に飲んだ心美は、両手で頭を抱えながら悶えている。


「どうだ、少しは涼めたか?」


「そんな訳ないでしょう……? これは栄泉リゾーツのホテルに閉じ込められた時より堪えるわ……。」


 そう言って悪態を吐く心美は本当に辛そうで、見ているだけで可哀想だ。俺は心美に対してしてやれることがほとんどないという無力感に、居た堪れない気持ちになる。詮方なく、せめてもの奉仕として、心美の顔を滝のように流れる汗をタオルでそっと拭い、きめ細やかな柔肌に張り付いた銀糸を丁寧に除けてやる。


「ありがと……。」


 吐息交じりの掠れ声で、絞り出すように礼を言う満身創痍の心美を見ると、やはり強引にでも家に残してくるべきだったと後悔する。でも、そんなことを口にすれば彼女から雷のような叱責を受けて余計に体力を消耗させることが目に見えているので、言える訳がない。


「まだ気温が低い今のうちに捜索を始めましょう。私は日陰を探させてもらうから、貴方はあっちで集会している猫たちの中に黒い子が居ないか見て来て頂戴……。」


 心美が指差す方向を見遣ると、十数匹にも及ぶ色とりどりの猫たちが集まって、日向ぼっこに興じている。彼女は猛暑に喘ぎながらもしっかりと周囲を観察して、もう既に探偵としての仕事に取り掛かっているようだ。俺も気を引き締めて、一刻も早くミーシャちゃんを捜し当て、心美を休ませてやらねばならない。


「分かった、任せろ。水筒はベンチに置いておくから、体調に少しでも違和感を感じたら無理せず休むんだぞ。」


「分かってるわ。ありがとう堅慎、頼りにしてるから……。」


 そう言い残して、ふらふらとした足取りで木陰や植え込みの下を捜し始める心美を見送ると、俺は燦々と降り注ぐ太陽の熱波によって鉄板のように熱されたアスレチック遊具の上で、暖気のんきに伸びをしている猫たちの傍にゆっくりと忍び寄る。


 距離数メートルの場所まで近寄って注意深く観察してみると、自由気ままに単独行動している猫があちこちに点在する反面、一所に集まって井戸端会議に興じている猫も居た。目的の黒猫も数匹居るようで、各所に散らばっている。


「赤い首輪、赤い首輪っと……。」


 俺は猫に詳しくないので、ペルシャ猫という品種の特徴は一切分からない。依頼人・菊水からざっと聞き及んだ情報によれば、ペルシャ猫は長毛種のキング・オブ・キャッツと呼ばれ、高級感のある長い被毛と丸く大きな顔面がチャームポイントのがある猫なのだとか。そんなもの知るかと言いたくなるところだが、実際に写真を見せられた時は、確かにこんな猫が野生の野良猫に紛れ込んでいたら目立つだろうと、そう納得できる風貌だった。とはいえ、黒猫のミーシャちゃんは雌らしいので、キングではなくクイーンと言うべきか。


 ペルシャ猫はその見た目の通り、優雅でマイペースな一面を持つ一方で、意外と人懐っこくもあるという。ミーシャちゃんも御多分に漏れず、典型的なペルシャ猫の性格を受け継いでいるらしいので、菊水から預かった猫用おやつを片手に黒猫を捜索する。


「流石にどの猫も首輪をしている様子はない、か。」


 俺はあまり目が良くない方だが、眼鏡やコンタクトをするほどのことでもない。不用意に接近すれば警戒されてしまう恐れもあるため、遠巻きに猫たちを眺めているだけだが、それでも黒猫が赤い首輪を身に着けているかどうかくらいは一目瞭然だ。辺り一帯の猫を全て確認し終えた俺は、心美のもとへと引き返す。


「あれ。心美が居ない……。」


 だが、どういう訳か、先程まで心美が捜索していたであろう木陰や植え込みの付近に彼女の姿はなかった。


「どこまで行ったんだよ……。」


 俺は日陰を捜索すると言っていた心美の言葉に従って、公園内の日陰を伝って彼女の足跡を追跡する。すると、驚くべきことに彼女は人目に付かない木陰の裏で、苦しそうな息遣いで倒れ込んでいた。


「おい心美! 大丈夫か!」


 急いで心美の傍に駆け寄ると、俺は彼女の身体を抱きかかえて、顔や髪に付いた土や砂を払い除ける。


「けん、しん……。」


 目を閉じたまま俺の腕の中でぐったりと脱力している心美を抱え、急いでベンチに戻る。リュックサックを枕代わりにして、心美を木陰の芝生の上に寝かせて水分を摂らせようとするも、彼女は中々口にしようとしない。


「ちょっと待っとけ!」


 俺は急いで近くの自動販売機に向かって、水入りのペットボトルを数本購入した。全速力で心美のもとへ舞い戻り、彼女の膝裏や脇に冷たいペットボトルを添えて、身体の熱を冷まそうと試みる。


「無理だけはしてくれるなって言ったろ! 日射病か!?」


 メラニン色素が薄いアルビノの彼女の場合、肌が弱いため僅かな紫外線量でも火傷のような症状が出て、最悪の場合はその場で卒倒してしまう。だから、極度の高温で倒れたからといって、屋外に居る場合はどういう症状かすぐには見分けがつかないのが非常に厄介だ。


「そうみたい……。肌は痛まないから、大丈夫……。」


 良かった。心美の絶え入るような一言に俺は一先ず安堵するも、熱中症ならば暫くは安静にしていなくてはならないだろう。


「こっちにミーシャちゃんは居なかったから、少なくとも午前中の捜索は打ち切りにしよう。日が傾いてくる夕方や夜の方が探しやすいだろ。ほら、猫って夜行性だし……。」


 俺はあくまで心美に責任感を負わせないため、励ますように声を掛ける。


「猫は薄明薄暮性なのよ……。」


「ん?」


「だから、厳密には夜じゃなくて、明け方と夕暮れに活発化する動物なの……。ここから先の時間帯は猫たちにとって就寝時間だから、堅慎の言う通り、捜索は午後に回して休憩しましょう……。」


 俺の心配とは裏腹に、存外心美の意識はしっかりしていて、思考も明瞭なようだ。彼女の体調が歩けるまでに回復した後、俺たちは公園を離れて人目が避けれる閑散とした喫茶店に足を運んだ。

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