日本の命運を握る迷い猫

Ep.18 捕獲作戦

 昼食と休憩を兼ねて、心美と共に路地裏のさびれた喫茶店に辿り着いた俺たちは、刻々と天へと昇って行くにつれて熱気を増している太陽から逃れるように店内へ入ると、冷房が効いた屋内の過ごしやすい空気に癒されていくのを感じる。


「いらっしゃいませー。2名様でしょうか。」


 すると、カウンター席の裏手から若い女性店員が出迎えてくれたので、俺は首肯してより涼し気な奥側のテーブル席へと案内してもらった。心美は着席するや否や、周囲に他の客が居ないことを確認すると紫外線対策兼変装として身に纏っていた長袖の上着やマスクなどを慌ただしく取っ払って、ぜえぜえと肩で息をしながらサービスで出された水を一気にあおる。


「はぁー……! 生き返ったわ!」


 元々新雪のように白く滑らかな心美の肌は、熱中症の影響で先程まで一層蒼白くなっていた。そんな彼女の顔色が漸く元に戻ったのを見て、俺はほっと胸を撫で下ろした。正直言って、半袖にサンダルといった服装で、暑さには我慢強いと自負している俺でさえ、今日の猛暑は耐え難いものがある。それなのに、厚着で1時間近く炎天下を歩き回った上、弱音の1つも吐かなかった心美の精神力には驚かされる。アルビノとして生まれた彼女の宿命と言えばそれまでなのだが、あまりにも心美が不憫だったので、せめて今日くらいは目一杯甘やかしてやろうと考える。


「心美、今日は暑さで水分も塩分も大分消耗しただろうから、何でも好きなものを好きなだけ食えよ。」


 俺の言葉に心美は今日初めての笑顔で聞き返す。


「え、いいの!? どういう風の吹き回しよ! いつもは『事務所の金庫番として散財は見過ごせない』とか言ってる癖に!」


 俺の声真似のつもりか、小馬鹿にしたような言い方をする心美に俺は思わず顔が綻ぶ。


「良いよ。依頼を達成すれば結構な収入になるし、今日の心美は気の毒で見てられなかったからな……。」


「うーん、やっぱりここ最近の堅慎は何だか私に甘くなったわよね……。一体どんな裏があるのかしら……!」


 腑に落ちないといった様子で訝し気に俺を見つめる心美の言葉に、俺は最近の自分の言動を振り返る。確かに、俺は今まで心美のボディーガードとして気負うあまり、彼女に対して厳しくしていた一面もあった。だが、最近になって彼女に甘く、過保護になっていく俺のこの気持ちは何と形容すれば良いのだろうか。


「裏なんて何もねぇよ……。いいから、取り敢えず昼飯にしよう。」


 俺は照れ隠しするように、テーブルに備え付けられた呼び出しボタンを押す。店員が注文を確認しに来るので、咄嗟に帽子やマスクを着け直して変装する心美をくすくすと笑いながら、束の間の休息をゆっくりと楽しんだ。



 §



「ごちそうさまでした! 美味しかったー!」


「いくらなんでも食い過ぎだろ……。」


 俺たちは偶の贅沢だと思って食べたいものを食べたいだけ注文した。すると心美は、ハンバーグにスパゲッティ、カレーライスなどをたらふく平らげた後に、食後のデザートとしてチョコレートパフェとコーヒーを注文していた。熱中症で倒れたばかりだというのに、何処からそんな食欲が湧いてくるのか。こんな事なら、多少目立ってでも場末のファミリーレストランとかに行けば良かったかと、一抹の後悔が脳裏をよぎる。


「まあいいじゃない。夕方からは頑張って働くから、そのための英気を養ったのよ。」


 それでも、最近は間違いなく心美のおかげで事務所の経営は上向いている。相棒として、その功績に報奨を与えてやることもできなければ彼女に申し訳が立たないだろう。


「さて、一息ついたところで、まずは仕切り直してミーシャちゃん捕獲作戦を立てなければいけないようね。」


「そうだな。夕方に焦点を当てて捜索するんだとしたら、具体的に取るべき行動を打ち合わせておいた方が良いだろう……。」


 茹だるような酷暑によって、またしても心美に卒倒されては拙い。彼女の体力を温存しながらミーシャちゃんを確実に見つけるためにも、綿密な作戦を練っておく必要がある。そう考えていると、いつの間にかテーブルの傍にいた女性店員に声を掛けられる。


「あの、コーヒーのおかわりは如何ですか……?」


「あっ……。」


 心美は変装を解いてリラックスしていたため、不意に現れた女性店員に対して困惑の表情をしている。


「あぁ、驚かせてしまってごめんなさい。実は、うちのマスターがお客様にお越し頂いてからすぐに茉莉花さんだと気付いたみたいで。誰にも言い触らしたりしませんから、どうか気兼ねなくお寛ぎください。」


 どうやら、図らずもつい先日メディア露出を果たしてしまった心美の存在は人々の脳裏に深く印象付けられたようで、変装も無意味だったらしい。カウンター席の裏手を見遣ると、先程は見かけなかった喫茶店のマスターと思しき中年男性が微笑みながら会釈する。


「ご活躍は兼ねがね……。暫くは表舞台から退いていらっしゃったので、てっきり探偵業は引退なさっていたのかと。茉莉花さんのおかげで日本の治安は一層良くなりましたから、街の皆さんも感謝していると思います。勿論、私たちも。」


 若い女性は心美の姿を見てテンションが上がっているようで、用件を忘れて話に夢中になっている。


「それはどうも……。あの、コーヒーのおかわりを──」


「あっ、失礼しました。すぐにお持ち致しますね。ちなみに『お代は結構です』って、マスターが仰ってました!」


 なんと、それはありがたい。俺たちは彼らの好意に甘えさせてもらうことにした。


「ついでと言っては何なのだけれど、1つ聞いても良いかしら?」


「はい。なんでしょう。」


「この辺りで猫が集まる場所や猫に餌をあげている人を知らない?」


「猫、ですか……?」


 心当たりを探るように考え込む仕草をする女性店員との会話を聞いていたのか、マスターと呼ばれていた男性店員がコーヒーを2人分持ってきて答える。


「それなら、ここからすぐ近くの河川敷に行ってみると良い。よく暇を持て余した老人がパンくずをハトや猫にやってるのを見かけるよ。それを知ってか、この辺の動物は餌を求めて河川敷に集まるんだよ。」


「それは……。有力な情報、ありがとうございます……!」


「いやいや! まさかこんなひなびた喫茶店に茉莉花さんが現れるなんて驚いたよ。犯罪者捜しの次は猫捜しかい?」


「守秘義務がありますので何とも言えませんが、まあそんなところです……。」


 すると、マスターは笑顔で「頑張って」とだけ言い残して、裏手へと引き返して行った。女性店員も「暫く客は来ないので寛いで行ってください」と会釈をしてから、後に続いた。俺たちは彼らの親切心に深く感謝して、日が傾く時間まで談笑しながら、ゆっくりとしたひと時を過ごした。



 §



「堅慎、そろそろ行きましょう!」


「あぁ、そうだな。」


 時刻は16時30分を回るところ、宵闇が迫る夏空にぼつりと浮かぶ橙色の太陽は、次第に熱気を弱めている。心美が身支度している間に俺は会計を済ませ、店員に礼を言ってから彼女と共に店を出る。空調が効いた店内で長時間過ごしたことで芯まで冷え切った体が、じめじめとした生温い空気によって内部からじんわりと暖められていくのを感じる。


「心美、どうだ? 行けそうか?」


「まだ暑いけど、午前中よりは大分マシね……。」


 俺たちは喫茶店のマスターによる助言通り、裏路地を抜けて少し歩いた先にある河川敷まで足を延ばしてみることにした。息も絶え絶えに何とか歩を進める心美を気遣って定期的に水分補給を勧めながら歩くこと15分弱──下校途中と思しき小学生たちがランドセルを背負って追いかけっこして遊んでいる、長閑のどかな河川敷へと到着した。舗装された遊歩道にはランナーやサイクリストが行ったり来たりして、草木が生い茂った広場にはボール遊びに興じている少年少女が楽しそうに声を上げている。


「平和ね……。」


「あぁ、そうだな……。」


 心美の表情はサングラスとマスクに覆われて確認することはできないが、燃えるような夕日に照らされながらぽつりと呟く彼女の声には、どこか哀愁が漂っているような気がする。学校に通うこともなくずっと孤独に過ごしてきた心美の目に、子供たちの笑顔はどのように映っているのだろうか。俺はそんな彼女に何をしてやるべきか、どんな言葉を掛けてやるべきか頭の中でぐるぐると思考を巡らせるも、結局黙って突っ立っていることしかできなかった。


「何をそんなに辛気臭い顔してるのよ……?」


 当の心美からは俺の表情など丸見えだ。彼女の目に、今の俺はそんな風に映っていたのか。俺はせめて心美に不安を感じさせないように頬を叩いて気を引き締める。


「別に。夕日をバックに河川敷をぼーっと眺めるなんて、何かエモいって言うか、感傷的な気分になるなと思っただけだよ。」


「ふふっ、何それ! 堅慎にそんなロマンチックな感性があったなんてね!」


「うっせーよ……! 俺にだって、偶にはそういう気分になることもあるんだよ!」


 何故か少し馬鹿にされたような気もするが、寂しそうだった心美の声にいつものような活気が戻ってきたことが何より嬉しかった。心美の表情や声色は、いつ何処をどう切り取っても映画のワンシーンのように美しく情緒的なものだが、結局のところ彼女には笑顔が一番似合うのだと、にこやかに細められたサングラス越しの目元を見て思った。

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