Ep.16 カウンセリング
「「ようこそ! 茉莉花探偵事務所へ!」」
「え……?」
事務所の扉を開けて訪問者を出迎えると、意外にも、そこにはウェーブがかった茶髪を無造作に流している、俺や心美と同年代の学生と思しき出で立ちの女性が、あり得ないとでも言いたげな表情で目を見開いていた。
「う、うそ……。」
「どうされましたか。」
「長い白髪に綺麗な紅い目──間違いない! 茉莉花探偵ですよね!?」
予期していたことだが、女性は心美の容姿を見て、すぐに話題沸騰中の名探偵・茉莉花本人であることに気が付いたようだ。
「あの、立ち話も何ですから、どうぞ中に──」
「ヤバい信じられない! え? どうしてこんなところに茉莉花探偵が!?」
「近所迷惑ですのでお静かに! ほら、中へお入りください!」
俺は半ば強引に女性の後ろに回り込んで背中を押して、慌ただしくドアを閉めた。
§
女性を部屋の奥まで案内して、心美がいつも座っているソファの反対側に座らせる。彼女のことは心美に任せて、俺は茶菓子でも用意しようかとキッチンへ退散するが「何故助けてくれないんだ」とでも言いたげな、心美の
「あの、テレビで見ました! 国際スパイの殺人事件を華麗に解き明かしていた茉莉花さんの雄姿、惚れ惚れしちゃいました! とってもカッコ良かったです!」
「ど、どうも……。」
心美は苦笑いを浮かべながら、頻りに俺に助けを求めるように目線を寄越してくる。彼女には悪いが、俺は女性の迫力に気圧されて何もしてやることができない。
「私、まだ高校生だった頃に茉莉花さんを初めて知って、一目見た時からファンなんです! 心美ちゃんって呼んでも良いですか!?」
「え、えぇ。構わないわよ……。」
「ヤバい! 画面越しだとカッコ良い大人の女性って感じだったのに、実物はこんなに可愛いんだ! 髪もさらさら! どこのシャンプー使ってるんですか!?」
「あの──」
「探偵として戻ってきてくれて嬉しいです! てか、何で一度やめちゃったんですか!?」
「あのっ!」
質問攻めに耐え切れなくなった心美は声を張り上げて、訪問者の女性に事情を説明する。
「貴方もご存じかと思うけれど、私たちは例の事件によって少々面倒事に巻き込まれてしまったようでね。探偵業に復帰したことも公にはしていないから、貴方も依頼人として、私の正体や居場所については他言無用に願うわ。」
「守秘義務ってやつですよね! 分かりました! 心美ちゃんの秘密は死んでも誰にも話しませんから!」
胸を張って答える女性を訝し気に見つめる心美の下へと戻った俺は、温かいジャスミン茶の湯気が立ち上るティーカップと来客用の洋菓子を、丁寧にテーブルへと並べていく。
「あの、失礼ですが、こちらの方は……?」
女性は俺の方へと視線を向けながら、恐る恐ると心美に尋ねる。
「あぁ、堅慎は家族みたいなものよ。」
「名前呼び!? 心美ちゃんって、もしかして既婚者だったんですか!?」
女性の唐突な爆弾発言によって、心美は口にしていたジャスミン茶で
「心美、多分お客様はそう言うことが聞きたかったんじゃないと思うぞ……。失礼しました。俺は茉莉花の同僚で事務所の職員ですから、職務上知り得た情報は他言致しませんので、ご安心を。」
「は、はぁ。」
漸く落ち着きを取り戻してきた心美が、一呼吸おいてから改めて確認する。
「ところで、貴方が昼頃にメッセージを送ってくれた依頼人ということで良いのよね?」
「いや、違いますけど……?」
「「はぁ!?」」
俺と心美は予想外の返答に驚愕するあまり叫ぶような声を上げてしまう。
「あ、えっと……。私ではなく、お母さんが依頼人なんです。」
「お母さん……?」
「えぇ。私たちはこちらの事務所まで車で来たんですけど、駐車場が無かったのでどこか適当な場所に停めてから遅れて行くと言っていたお母さんに代わって、先に私がお邪魔したんです。」
そう言うことかと、俺と心美は安堵の溜息をつく。するとその直後、部屋の中にインターフォンの音が鳴り響く。
「あ、多分お母さんが来たんだと思います!」
「分かりました。お出迎えしてきますね。」
俺はもう一度玄関に向かって扉を開けると、派手目の洋服に高級そうな装飾品を身に着けたサングラスの女性が佇んでいる。
「娘が先にお邪魔しているかと思います。
「はい。娘さんがお待ちですので、ご案内致します……。」
§
「あ、お母さん見て! 心美ちゃ──じゃなかった。本物の茉莉花探偵だよ!」
「う、うそ……!」
依頼人を心美の居る部屋まで案内すると、アルビノの彼女の特徴的な姿を見るや、親子共々似たようなリアクションをとっている。
「早速ですが、依頼内容をお伺いしてもよろしいでしょうか……?」
心美がおそるおそる口を開くと、菊水と名乗った母親は娘の手を引いて立ち上がらせる。
「
「え!? なんでよ、お母さん!」
すると何故か母親は陽菜と呼ぶ娘の手を引いて、踵を返して帰ろうとしてしまう。
「あ、あの! どうされましたか?」
「私の依頼はかなりプライベートな内容ですので、情報が外部に漏れると困るんです。だからわざわざ小規模な探偵事務所を探して依頼したのに、まさかこんなところに茉莉花探偵がいらっしゃるとは思わず……。他の事務所にお願いすることにしますので、申し訳ありませんが今日のところは帰らせていただきます!」
「それならご安心を。茉莉花は諸事情によって探偵業の再開を公表しておりません。我々は現在、零細事務所として小口案件を中心に取り扱っているため情報漏洩の危険性は極めて低く、守秘義務は徹底して遵守致します。どうか、信用していただけませんか?」
俺は折角掴んだ仕事を離すまいと、慌てて菊水の説得を試みる。
「そこまで言うなら、分かりました……。良く考えれば、茉莉花さんが協力してくれるなら百人力だわ。一体何故こんなところにいらっしゃるのかは全く分からないけど、これも何かのご縁よね……。」
俺の説得が通じたのか、納得した様子の彼女は改めて、自らを菊水
「つかぬ事をお伺いしますが、メッセージでは大した依頼内容ではないと仰っていたと思います。それなのに、情報漏洩を恐れて小規模事務所に依頼する理由とは……?」
「えぇ。依頼内容自体は大したことないのですが、その背景事情に少し問題があるのです。」
母親の美佳による意味深な発言の真意が分からない俺と心美は、目を見合わせて首を傾げる。
「私の夫──菊水
「えっ……!?」
俺と心美はその名に聞き覚えがあった。なぜなら、菊水次郎と言えば日本国民で知らない者はほとんど居ない、著名な現職の衆議院議員であるからだ。
「現在招集されている臨時国会では『スパイ防止法』制定に向けた動きが佳境を迎えていますよね。」
「はぁ……。」
「当初は複数の野党による議員立法案の提出があったため、そのまま国会審議に移行すると思われていました。ですが、スパイ天国として無法地帯化している我が国において可及的速やかな法整備を実現するためには、国会審議をより円滑化させる必要があるのです。」
「そのため議員立法案に代わり、与党による事前審査を通過した内閣法案が間もなく国会に提出される運びとなっております。衆参両院で過半数を占めている与党の了承を得た法律案ですから、国会審議は形式的なものとなり、法案は遅滞なく可決されるものと考えられます。」
すると、依頼人の美佳は大きく1つ深呼吸して一口に依頼内容を言い切る。
「そこで、貴方たちにはうちの子を──ペルシャ猫のミーシャちゃんを捜して頂きたいんです!」
「「はい……!?」」
──なんだろう。今日はよく心美と声が被る気がするが、これは仕方ない。百人居ても全員が同じリアクションを取るだろうと断言できるくらい、話に脈絡がないのだから。
「実は、夫は衆議院議員であると同時に、与党の事前審査部の現会長でもあります。夫は事前審査の過程で手にした法案や関連資料をまとめて自室の倉庫に保管しているのですが、倉庫には64桁のパスワードを設定していて、その番号をミーシャちゃんの首輪の内側に刻印しているらしいんです……。」
「まさか──」
「そうなんです! 今朝起きたら、ミーシャちゃんが突然居なくなっていたんです!」
──そんな馬鹿な。国家の安全保障に関わるような重大機密を保護するパスワードを猫の首輪に印字した上で、脱走まで許す間抜けな政治家が居るとは。
「まあそんな、猫の首輪の内側なんて滅多なことじゃ確認されないでしょう。それに番号が分かったとして、それが何を意味するのかなんて一般人には到底理解し得ないのでは……?」
「だ、だとしてもミーシャちゃんは大切な家族なんです! 心美ちゃん、お願いします!」
今度は娘の陽菜が便乗して声を上げる。
「でも、急ぐ訳ではないんですよね? 仮に法案の国会審議までに猫探しが間に合わなくとも、法案は与党内で共有されているでしょうし……。」
「いえ、それが実は……。倉庫には法案や関連資料の他に、汚職・収賄などを始めとする与党政治家のスキャンダルから国家機密に至るまで、表に出されては面目が立たないような後ろ暗い資料も数多く保管されています。それが誰かの手に渡って悪用されてしまえば、野党からの集中攻撃と諸外国からのイメージ低下によって日本は揺れに揺れ、各方面への対応に追われるため『スパイ防止法』制定どころではなくなってしまうでしょう……。」
──なんなんだそれは。俺はそのような機密情報の山を1匹の飼い猫に託した愚かな政治家の存在を知らされて、何故日本がスパイ天国として今まで諸外国の食い物にされてきたのかについて、何となく合点が行った。
「堅慎! この依頼、大したことないと高を括っていたら大変なことになるわよ!」
呆れて物も言えなくなっていた俺とは対照的に、心美は何故か焦りを露わにして大きな声で警告を発する。
「どうしてだよ。まあ確かに手掛かりもなく一から猫捜しは骨が折れるかもしれんが、流石に情報漏洩の可能性は低いんじゃないか……?」
「国際スパイ組織が日本に協力者を有しているのを忘れたの!? 中国のスパイ集団からすれば日本の『スパイ防止法』制定は何としても阻止したいはずよ! きっと今頃日本人の協力者を掻き集めて、躍起になって政治家たちの粗探しをしているわ。そのような中で、政治家のスキャンダルを背負って歩く迷い猫なんて──」
「ま、まさかそんな……。」
俺も心美が話したような最悪の事態を想定しなかった訳ではないが、現実味があまり感じられない。
「とにかくその依頼、謹んでお受けいたしますので、まずは捜している猫の特徴を詳細にお教えください!」
§
「ふぅ。なんだかまたしても厄介事に巻き込まれたみたいね……。」
菊水親子が依頼内容を伝えてから家路に就くのを見送った後、心美はソファに倒れ込むようにして愚痴をこぼす。
「まあ、一先ず良かったじゃないか。重要案件だからって、猫1匹捜し当てるだけで100万円だってよ。」
まず、俺たちは着手金として50万円を受け取った。そして、依頼達成の暁には成功報酬として、さらにもう半額を受領するという契約内容と相成った。まさか単なる迷い猫探しが、栄泉リゾーツから受け取った報酬と同額になるとは。
ミーシャちゃんと呼ばれていたペルシャ猫は黒毛なので、もし見かけたらすぐに分かるという。肝心の首輪は黒に良く映える赤色で、内側に64桁のパスワードが刻印されていればビンゴだ。
「全く……。件のスパイ組織の手先がミーシャちゃんの存在に気が付いていないことを祈るばかりだけど、急ぐに越したことはないわ。今日はもう外も暗いし、早速明日から街を捜索してみましょう。」
「あぁ、そうだな……。」
幸いなことに、菊水親子は俺たちの探偵事務所から最も近い繁華街周辺に居を構えているらしいので、猫はそう遠くに行ってはいないだろう。かの有名な政治家の家族が近所に住んでいた事実には驚いたが、彼女らの立場からしたら現在話題沸騰中の天才探偵・茉莉花が近隣住民に紛れていたことの方が驚きだろう。
俺たちは昼夜問わず外を歩き回ることになるであろう明日に備えて、普段よりも早めに床に就いたのだった。
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