Ep.15 探偵稼業の再出発

 栄泉リゾーツを巡る一連の騒動からおよそ一月後──夏の暑さは最高潮に達している中で、茉莉花探偵事務所の懐事情はまさに火の車となっていた。一方で、良いニュースもある。


「具合はどう……?」


「まだ本調子とはいかないが、取り敢えず傷は塞がった……!」


「良かった! それじゃあ──」


「あぁ。茉莉花探偵事務所、再始動だ!」


 例の殺人事件における犯人確保の際に負傷して以来、事実上の休業状態だった探偵事務所は今日から再開する。今までは心美の世界的知名度の高さによって彼女の存在を憂う集団から身の安全を確保するため、国内の大口案件に限定して依頼を受けるようにしていた。だが、今日からは世界中全ての依頼を分け隔てなくこなしていくという大幅な方針転換をした。これも全て、明日の飯の種を確保するためだ。


 それでも、大っぴらに茉莉花探偵の現役復帰を発表することはしない。メディアが連日取材活動にやって来ることは明白な上、各所から対応しきれないほどの顧客が大小問わず引っ切り無しに押し寄せて来るからだ。そう断言できるくらい、探偵稼業を一時引退する以前の心美が世界中に与えた影響は大きかった。心美の存在が日本の犯罪率低下に寄与したことからも、それは自明だろう。


 そこで、俺と心美はインターネット上で探偵事務所のホームページを作成して、茉莉花の名前を伏せた上で依頼を募った。心美の言っていた通り、浮気調査や人探しに始まり、脱走した犬猫の捕獲、地域住民同士のトラブル解決に至るまで、便利屋紛いの宣伝文句でどんな小口の依頼でも迷わず受注していくスタンスだ。後は仕事の依頼が来るまで、辛抱強く待つのみである。


「それよりも堅慎──貴方ってばこの1か月、ベッドの上でずっと安静にしてたばかりなんだから身体が鈍ってるんじゃない?」


 そう、心美が指摘する通り、俺は撃たれた傷が治癒するまでの間、結局彼女に炊事洗濯から事務所の整理整頓まで全ての家事を丸投げしてしまっていたので、ほとんどベッドから動いていない。意外にも、物覚えの良い彼女は俺の適切な助言の下に全てを卒なくこなしてくれた。ちなみに、心美の作ってくれた食事は何でも美味しかったので、偶にで良いから定期的に作ってくれと頼んだら嫌だと即答された。


「その為体ていたらくで、今まで通り私の用心棒が務まるかしら。今なら私の方が強かったりして……!」


 くすくすと挑発的な笑みを浮かべる心美に、俺は向きになって強調する。


「舐めてもらっちゃ困るな。たったの1か月でそこまで衰える訳ないだろ。」


「どうだか? 私だって、幾度も修羅場を乗り越えて結構強くなってるのよ?」


 日差しの強い昼間には自由に外出することもままならないアルビノの心美は、幼少期から孤独に暇を持て余していたため格闘技に打ち込み、空手の有段者になるまでになったため決して侮れる相手ではない。だが、小さな頃から心美を護ってきた生来の腕っ節の強さは、俺が唯一両親に感謝すべき専売特許だ。近接格闘でも心美に後れを取るようでは、俺の存在意義が危うい。


「だったら、試してみるか……?」



 §



 そんなこんなで俺と心美は、近所の市民体育館を訪れた。平日の昼下がりということもあり、俺たちの他に人影はほとんどない。夏場の直射日光を避けるために日傘に帽子、長袖を着てサングラスをかけている不審者さながらの風貌をしている心美は屋内に入るや否や身に着けているものを取っ払って暑苦しそうに肩で息をしている。


「っ、はぁ……。やっぱり、夏場の日中は、外出には不向きだわ……!」


 既に汗だくとなっている心美の額に伝う汗をタオルで拭ってやり、俺は軽く準備運動をして身体を慣らす。


「身体を動かすのが久々で、何だか変な感じがするな。」


 動ける程度に銃創が塞がったとはいえ、まだまだ絶好調とは程遠い。そんな俺の弱気な態度を見透かしてか、心美は付け入るように言う。


「自信が無いなら、手加減してあげましょうか?」


「抜かせ! 絶対負けないからな!」


「良く考えれば、傷を抉ればワンパンよね……。」


「お前は鬼か! 武道家なら、正々堂々掛かってこい!」


 何やら恐ろしいことを言い出した心美は漸く息を整え、俺と正面から対峙する。心美は実践訓練のため、俺は用心棒として腕を鈍らせないために、俺たちは時折こうして人の少ない市民体育館を利用して手合わせに興じている。だが、心美との模擬戦は久しぶりだ。


「それじゃあ、いくわよ……!」


「手加減は要らないからな……!」


 心美は空手特有の拳足による打撃技に加え、我流による投げや関節技といった組技をも駆使している。その全てを見切り、躱し続けることは至難の業だ。だが、俺も負けてはいない。


「いただき!」


 その華奢な体躯からは想像もできないほどの力で俺の左腕を掴むと、心美はそのまま投げの体勢に移行する。


「うおぉ! そっち側は怪我してる方なんですけど!」


「手加減は要らないんじゃなかったの?」


「怪我人にはもうちょっと優しくしてくれ、よっと!」


 俺は心美に背負い投げにされるが、敢えて無駄な抵抗はせず左腕を支点に1回転して、心美の目の前に着地した瞬間、間髪入れずに足払い代わりの下段蹴りをお見舞いするも、彼女はそれを跳躍して回避する。


「くぅ……。やっぱり、堅慎の奇想天外な戦い方にはいつも驚かされるわね……。」


「それはどうも。」


「勉強させてもらったお礼に、やっぱり傷を抉ってあげるわ。」


「だから、それだけは遠慮してくれ!」


 心美は稲妻のような踏み込みと共に一気に加速して距離を詰め、銃創が完全に治癒し切っていない俺の右足を中心に狙って蹴りを繰り出しつつ、驚異的なパワーを乗せた拳も交えて攻撃の手を強める。俺はまだ万全の状態ではないため、地面を蹴る力も弱く、インファイトから脱出できずに防戦を強いられる。


「どうしたの……? 貴方の力はこんなものじゃないでしょ……!」


「当たり前だ……!」


 打撃を絶え間なく放ってくる心美の手数が緩まる一瞬の隙をついて、俺は腰を落として姿勢を低くすることで彼女の視界から外れ、敢えて彼女の方へと突っ込む。


「きゃあっ……!」


 俺の爆発的な瞬発力から繰り出されるタックルによって吹き飛ばされた心美は全くの想定外といった顔をしており、受け身が取れそうになかったので俺は彼女の頭に腕を回して後頭部を打ち付けないように守ってやる。重なり合うように倒れ込んだ後、下敷きになっていた心美の表情は降参の意思を示していた。


「さ、流石ね……。今日も貴方の独特な戦闘スタイルを看破することができなかった。本当に毎度ながら、御見逸れするわ……。」


「これが俺の存在意義だからな。まだまだ譲れねぇよ……。」


 体育館の片隅で寝転びながら笑い合う俺たちは、傍から見ればきっとよろしくないような誤解を招くだろう。俺は立ち上がって心美の身体を抱き起こす。


「ねぇ、堅慎ってば……。当たってる……。」


「うん……!?」


 俺は心美による突然の意味深発言に言語能力を失い、とめどなく冷や汗が流れる。


「1件ヒットしてるわ! 探偵稼業再出発後、初めての依頼よ!」


 心美の言葉に拍子抜けして安堵する俺だが、内心ではぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを露わにしている彼女と同じ気持ちだ。茉莉花のネームバリューに頼らない以上は、いくらネット上で依頼を募集しても暫くは仕事にはありつけないものと思い込んでいたため、休業明け1日目で早速依頼が舞い込んできたことは本当に喜ばしいことだ。


「ねぇ! どうしたら良い!?」


「お、落ち着け! 一先ずは事務所への訪問日程の希望と依頼内容をお伺いしろ!」


「わ、私こういうの苦手だわ……! 堅慎、帰ってから貴方がやって!?」


「仕様がねぇな! ほら、依頼人の気が変わらないうちに急いで帰るぞ!」


「待ってよ! また暑苦しい長袖着て全身を覆わないと……!」


「手伝ってやるから……! あ、サングラス忘れてるぞ!」


 慌ただしくも微笑ましい得も言われぬ雰囲気の中で、俺は前途多難な探偵稼業も心美と一緒ならどこまでも続けていけると、密かに確信めいた予感を覚えるのだった。



 §



 帰宅後すぐにシャワーを浴びに行った心美のためにジャスミン茶を用意してから、こんな辺鄙な場所にひっそりと構えている怪しい探偵事務所に仕事を頼むような数奇者すきものにメッセージを返す。


 クライアントに事務所の所在地を送って希望する訪問日時を聞くと、今日の夕方にも伺うことができると言うので、そのように対応することにした。当日中に訪問可能だなんて、近所に住んでいる人だろうか、はたまた急ぎの依頼なのだろうかと、心美を真似て探偵ごっこに興じているうちにシャワーを浴び終わった本物の探偵が戻ってくる。


「あら、堅慎。お茶淹れておいてくれたのね。」


「あぁ、沢山汗流して喉乾いてると思ったからな。水分はしっかり摂らないと熱中症になるから気をつけろよ……?」


「なんだか心配性になったわね……? まぁいいわ。ありがとう。」


 確かに、俺は少し彼女に対して過保護になりつつある。というのも、栄泉リゾーツの一件を通して分かったことだが、心美はまだまだ過去のトラウマから立ち直れていない。想像を絶する人々の悪意に晒され続けてきた心美の内なる本心に隠された闇の全貌は、未だ俺の理解の範疇すら超えているのかもしれないとさえ思う。当の彼女は気丈に振舞っているものの、本当はもっと心の傷を癒すための時間が必要なはずなのだ。そんな心美に対してあれやこれやと世話を焼くのは、もう二度と心美の笑顔を絶やしたくないという俺の身勝手な願望故だ。


「それで……? 依頼主は何て言ってたの?」


「それが、今日中に事務所まで来るって言ってたんだ。」


「依頼内容は?」


「聞いてない。会って直接話したいんだと。」


 今し方クライアントと交わしたメッセージの内容によれば、大した依頼内容ではないようなのだが、履歴の残るオンライン上で詳細を伝えるのは憚られるため、実際に事務所を訪れてから面と向かって話したいらしい。


「なんだか胡散臭いわね。さては、また中国のスパイ組織から送られてきた別の刺客が私たちの事務所を狙って──そんな訳ないか……。」


「事務所の場所は先の一件でもうバレちまったろ。あり得ないとも言えない。言われてみれば、いつまたスパイ組織とやらが襲撃してくるかも分からないし、資金が貯まったら引っ越しも検討しないとな……。」


「えぇー!? この辺は静かで住み心地良かったから結構気に入ってたのに! それに、中国お抱えのスパイ組織による国際犯罪の証拠が世に出回って、今の日中関係は戦後最悪とまで言われているらしいわよ? そんな外交問題の最中、時を移さずにのこのこ日本にやってきて、新しい揉め事を起こすとは思えないわ……。」


 そうなのだ。くだんの殺人事件の犯人であるジミーの暴露は、世界を震撼させるスクープとして、その場に居合わせた記者・服部によって世界中を駆け巡った。その結果、日本国会は「スパイ防止法」の制定に向けて重い腰を上げ、日中関係は過去最悪レベルに冷え込んでいる。日本は急場凌ぎの対抗措置として中国人に対する入国規制を打ち出し、日本国内における中国人の行動は大幅に制限され、人々の見る目も厳しくなった。従って、ジミーが所属していた中国直属のスパイ組織の計画も頓挫していると予想され、暫く国内で派手な行動は出来ないだろうという見立てには賛同できる。


「心美の言うことも一理ある。だがなぁ、やっぱり用心するに越したことはない。得体えたいのしれない例のスパイ組織が日本に協力者を何人か持っている可能性が高いことは、心美も知ってるだろ?」


「そうだけど……。」


 栄泉リゾーツの依頼を受けた直後にコンビニで襲撃してきた2人組の男たち──奴等は訛りのない日本語で会話して連携を取っていた。ジミーのように流暢な日本語を習得しているとも限らないが、おそらくは中国のスパイ組織に雇われた純日本人である可能性が高い。なぜなら、そこまで高度な日本語教育を受けた貴重な人材を、あのように捨て駒みたいな扱い方をするとは考え難いからだ。


「まあ、実際に引っ越すにしてもしないにしても、金を稼がないことには何も始まらない。どんな依頼かは知らんが、お互いに重要な復帰戦だ。全力投球で行くぞ……!」


「えぇ。頑張りましょう!」


 ──ピンポーン。


 俺と心美は目を見合わせて、溌溂とした声で訪問者を出迎える。


「「ようこそ! 茉莉花探偵事務所へ!」」

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