円満解決に潜む黒い闇

Ch.1 ED 依頼完遂の裏に残された謎

「流石は茉莉花だ。あんたにはを期待していたんだがな。」


 今までのような片言ではなく、生粋の日本人と言われても違和感のない日本語で話し始めるジミーに、ロバートは少々驚いている。


「別の役割ですって……?」


「あんたをこのホテルに誘い込んだのは全て組織の意向、計画通りだ。」


「貴方たちの組織って?」


 心美の問いかけに対するジミーの答えは、俺たちの想像を遥かに凌駕りょうがするものだった。


「俺はな、中華人民共和国直属の国際スパイ組織の一員なんだよ!」


「なんですって!?」


 その返答には、流石の心美も度肝を抜かれたようだ。


「栄泉リゾーツからの依頼をあんたらに伝えに行った、代理人の老紳士が居たな。俺たちは奴を買収し、茉莉花探偵の居所を突き止めた。」


 なんと、聞けば栄泉リゾーツとの顧問探偵契約を仲介した例の老紳士は、ジミーの所属する組織の協力者だったというのだ。代理人が頻りに依頼主のことをと言って、含みを持たせていたのもそのためか。


「そして付近のコンビニに私たちが訪れた時を狙って、栄泉リゾーツの宿泊施設で過去に利用された手榴弾と同じもので私たちを殺さない程度に襲撃して、過去の事件と私たちが受けた依頼との関連性を疑わせた──そうでしょう?」


「あぁ。そして依頼主の武田が安全を考慮して、悪天候の予報が出ている離島のホテルにあんたらを護送することも予想していた。」


 ここまでは心美の推理通り、俺たちはまんまと犯人に離島のホテルまで誘導されたことを承知の上で用心していた。問題は、心美に期待されていたとは何なのかだ。


「俺たちは数年にわたる栄泉リゾーツへの嫌がらせ行為によってホテルのイメージを失墜させ、経営が立ち行かなくなったところを買収して乗っ取るという計画を立てていた。本当はすぐにでも何人か死者を出して倒産に追い込みたいところだったが、外国人組織による殺人事件ともなったら、日本全国の警察を相手取ることになって都合が悪い。」


「何のためにそんなことを……!?」


「知ってるか? 日本ってのはな、なんだよ。」


 そう、日本は最先端の科学技術や世界中の機密情報が、狭い国土の中に集中している情報の宝の海だ。しかし、その情報を万が一にも盗まれないため、他国からのスパイを厳格に取り締まるような、所謂「スパイ防止法」が存在していない文字通りのなのだ。


「俺の組織は、祖国のために日本の情報の宝を運び出す拠点として、栄泉リゾーツのホテルを選んだ。ホテルなら、外国人が何人訪れても違和感はないからな。」


「だから栄泉リゾーツが過去に加害行為を受けた施設は、全て日本海側の海沿いに位置していた訳ですか。貿易船に紛れるなどして海路を通じた違法入国や情報通信も可能になる訳ですから、中国人による日本侵攻の足掛かりとしては、地理的にも最適です。」


 服部はカメラを持つ手とメモを取る手を忙しなく動かしながら、合点が行ったように答える。


「だが、栄泉リゾーツもそこそこの大企業だ。ちょっとやそっとの嫌がらせでは客足も完全には途絶えない。だから俺は組織の命令で、遂にホテルで死者を出すように仕向けることにした。殺人は拙い──なら、自殺を偽装すれば良いとな。」


「っ……。」


「そこで茉莉花探偵、あんたの出番だ。日本の警察は手強いが、最も厄介なのはあんたの存在だからな。そんなあんたを敢えて事件現場に呼び出し、目の前で真島の自殺事件を発生させれば当然あんたは調査をするな? だが、警察が来るまで真島の他殺が暴けなければ、世界で最も権威ある探偵・茉莉花本人から自殺のお墨付きを得ることになるも同然。そうすれば警察の捜査の手も緩むだろうから、俺は完全犯罪を成立させることができたはずだ!」


 驚愕の犯行計画を暴露したジミーに対して、心美は腕組みしながら至って冷静に返す。


「それが私に期待した役割ってやつね。」


「そして、いよいよ初の死者が出た栄泉リゾーツは、曰く付きのレッテルと共に経営破綻することになる。そこで我が組織が手を差し伸べるように買収すれば、俺たち中国スパイによる日本侵攻の足掛かりが生まれるはずだったんだ。」


 いけしゃあしゃあと答えるジミーに、武田は怒りを通り越して呆れたように立ち竦んでいる。


「だがな、俺の組織は茉莉花探偵の能力を高く買っている。だからこそ、今回の計画も失敗することは想定済み。今話したことはあくまでもプランAだ!」


「なに……?」


 俺はジミーの纏う雰囲気の微細な変化に気が付いて、警戒心を最大レベルまで急上昇させる。


「茉莉花探偵──やはり、あんたはあの場で殺しておくべきだった。俺はそう思っていたが、組織の意向だったんでな。俺が今まで、あんたの答え合わせに付き合ってやったのが何故か分かるか?」


 その時、ジミーのどす黒く濁り切った双眸に殺意が宿った。


「ここからは俺の独断で、プランBへと移行させてもらう!」


 刹那、ジミーは懐から2丁の拳銃を取り出して両手に構える。嫌な予感を感じ取っていた俺は急いで心美の前に出て拳銃を抑え、手四つの体勢となった。暴発した拳銃から放たれた弾丸は、天井の照明や壁を穿うがつ。


「くっ、ここは危険だ! 全員部屋を出とけ!」


 ジミーと命を懸けて対峙する俺は、心美に危害が及ぶことや他者を巻き込みかねないことを危惧して、部屋中に響き渡るほどの大声で避難勧告をする。


「堅慎! 私も加勢するわ!」


 心美は拳銃を奪い取るため、ジミーの背後に回ろうとする。


「よせ! 下がってろ!」


 俺は有無を言わさぬ怒号を上げ、心美を遠ざける。


「で、でも──」


「こっからは俺の仕事だ! 俺を信じろ、相棒!」


 暴れるジミーに拳銃を向ける数名の警官を残して、他の従業員や宿泊客は蜘蛛の子を散らすように一斉に部屋を出た。


「邪魔するんじゃねぇ! こっから全員殺して、海の藻屑にしてやれば俺の逆転勝利だ!」


「ふざけたこと言いやがって! これはてめぇの身勝手で殺された真島さんの仇だ!」


 俺は腹の底から湧き上がる怒りに任せてにジミーの顔面に頭突きを叩き込み、僅かに生じた隙を突き、片方の拳銃を奪い取って遠くに投げ捨てる。急所への打撃に堪らずったジミーは、うめき声を上げながらも殺意の炎を絶やさない。


「な、舐めるなよ……? 俺はスパイ組織の工作員として、血の滲むような訓練を受けて来たんだ!」


 するとジミーは、だらだらと鼻血を流しながらも痛みに怯むことなく、渾身の力を両手に込めて、片方の拳銃の銃口を次第に俺の方へと傾ける。


「ちっ、くそったれが!」


 俺は危険を感じたため、咄嗟に前蹴りを繰り出してジミーとの間合いを脱する。しかし、それが拙かった。


「馬鹿め! 死んどけ!」


 勝ち誇るかのように、にやりと口角を吊り上げたジミーは、大きく距離を取った俺の右太腿と左肩にそれぞれ銃弾を叩き込む。


「っ、がぁ──」


 焼けるような痛みが全身を駆け巡る中、俺はただの一歩も動けない。その様子を食堂の扉のガラス越しに見つめていた心美の悲痛な叫び声が響き渡る。


「堅慎! いやぁあああ!!」


 だが、これは必要な代償だ。俺が距離を取ったのには明確な狙いがある。


「馬鹿は、てめぇの方だよ……!」


 その瞬間、出入口付近から俺たちの取っ組み合いを傍観していた4名の警官が、孤立したジミーに向かって一斉に発砲する。そのうちの何発かがジミーの身体を貫いて、噴水のような血飛沫を上げた。


「ぉ……。」


 膝を突いてうつ伏せに倒れ込むジミーを見て、部屋の外に待機していた一同が食堂内に戻ってくる。立ち上がれなくなった俺の傍には、心美が凄まじい俊足で駆け寄った。


「堅慎、死ぬな!! 貴方が死んだら私も必ず後を追うわ! 私のことを死なせたくないなら貴方も絶対に死なないで! お願いだから──」


 啼泣ていきゅうする心美の整った顔は、涙でぐちゃぐちゃになってしまっている。そんなことを言われてしまえば、死んでも死ぬことはできない。


「大丈夫……。急所は外れたから多分すぐには死なない、はずだ……。」


 壮絶な痛みと共に焼き切れそうな意識を何とか保ちながら心美を励ますと、即死かと思われたジミーが、くつくつと笑い声を上げながら辞世の句を詠む。


「茉莉花探偵、これで終わりではないぞ……。我が祖国のスパイは必ずや日本に足を踏み入れる……。首を洗って待っておくんだな!」


 身勝手に吐き捨てたジミーは程なくして、糸が切れた操り人形のようにぐったりと脱力して事切れた。ぼやける意識の中で、間もなく俺もこうなってしまうかもしれないという恐怖で自らを奮い立たせる。


「渋沢さん、お願い! 堅慎を助けてあげて!」


「ここには銃創を治療できる設備も器具もございません! 早急に止血や消毒などの応急処置をした上で、急いで本土に戻るべきかと!」


「武田さん!」


「はい! 岩倉様、少々失礼致しますよ!」


 武田は俺の身体を持ち上げると、俺はあまりの激痛に耐え切れず意識を闇へと手放した。



 §



 次に目を覚ますと、俺の目には一面の白が飛び込んできた。心美の髪や肌のような美しい純白を目の当たりにして、直感的に自らの死を悟った時──。


「堅慎! あぁ、神様! 良かった! 目を覚ました!」


 すると、視界の端から今度は本物の心美が飛び出してくる。よく見れば、俺の眼前を埋め尽くしていたのは天井の壁紙で、首を傾けてみればそこは病院の個室だとすぐに分かった。


「心美……!」


 俺が寝ているベッドの脇で、今にも泣きだしそうな顔をしている心美に手を伸ばすべく起き上がろうとすると、全身に信じられないほどの鋭い痛みが走る。


「いっ──」


「動かないで! まだあれから1日しか経ってないのよ?」


 てっきり俺が意識を飛ばしている間に何日か経過しているパターンかと思ったら、どうやら俺の回復力は凄まじく、手術後すぐに目を覚ますことができたという。


「服部記者が一部始終を全て録画してくれたおかげで、世間は大盛り上がりよ。」


 ──国際スパイによる凶悪犯罪! 「スパイ防止法」制定に向けて複数政党が法案提出か


 ──我が国が誇る稀代の名探偵・茉莉花さん、表舞台に復帰して華麗に事件解決!


 ──栄泉リゾーツを巡る怪事件の真相! ブランドイメージ回復へ社名変更も検討


 心美に手渡された新聞には、栄泉リゾーツを巡る一連の事件の真相が明るみに出たことで、日本社会が大きな転換期を迎えていることが示唆されていた。


「私ってば、またしても人気者になっちゃったわ。これから依頼が引っ切り無しに舞い込んで来たら、どうしようかしら。」


「水を差すようで悪いが、生憎俺はこんな状態だ。暫く仕事はできないから、向こう1、2か月は休業だな。」


「そうね。私も少し疲れちゃったし、もう堅慎がこんな目に遭うところを見るのは嫌だわ……。」


 すると、個室のドアが数回に分けて優しくノックされる音が部屋に響く。


「どうぞ……?」


「失礼致します。岩倉様、お目覚めになられましたか。この度は、貴方のおかげで1人の死者も出さずに犯人を無力化することができました。貴方が居なければ私の命も危うかったでしょう。栄泉リゾーツを代表して、お礼申し上げます。」


 深々と頭を下げているのは、栄泉リゾーツ特殊事件対策班の班長武田だ。


「これからは事務方に回って栄泉リゾーツの再興に努めるんでしたっけ。もうこれ以上の風評被害はないとはいえ、難儀なものですね。」


「全くです。まさか国際スパイ集団にリゾートホテルが長年被害を受けてきたとは考えられていなかったため、世間からは同情の声も集まっているのですが……。一度損なわれた信用の回復というのは、いつの時代も難しいものです。」


 溜息を吐きながら自嘲気味に言う武田は、見舞いの品として、高価そうなフルーツバスケットを傍らのテーブルに置いた。


「そういえば、川上さんはどうなったんでしょうか。」


「あぁ。非常に残念ですが、彼女はその場に居た警察により、殺人の共犯者として現行犯逮捕されました……。」


 まあ、当然と言えば当然だ。結果として、真島の殺害において重要な役割を担ってしまったことに間違いはないのだから。そう考えていると、武田は意を決したように話を切り出す。


「この度は我が社からの依頼を遂行して頂きまして、本当にありがとうございました。」


 武田は、以前も見たことのある顧問探偵契約の契約書を鞄から取り出して説明を始める。


「お約束通り、報酬は事件解決の1億円に加え、犯人の逮捕ではありませんでしたが、将来的な事件発生の可能性を排除して頂いた報酬としてさらに1億──合計2億円をお支払いします。」


 2億円──その突拍子もない額面に、またしても目を輝かせて大喜びをしていそうな心美の方を振り向くと、当の彼女は何やら神妙な面持ちで答えた。


「要らないわ。あと、この前前金として頂いた1億円もお返しします。」


「はぁ!?」


 一体どういう風の吹き回しかと、俺は全身の激痛も忘れて大きな声を上げてしまう。


「私たちも最近まで事務所の経営が苦しくって、貴方たちの気持ちは痛いほど分かるつもり。経済的に苦しい会社から3億もの大金を貰い受けるのは、いくら報酬だと言っても後味悪いわ。」


「いえ、ですが契約ですので……。」


「それでもよ。どうしてもと言うなら、当面の活動資金として100万円くらいは受け取っておこうかしら。それで手打ちにしましょう?」


 そうだ、心美はこういう娘なのだ。探偵・茉莉花として普段は飄々ひょうひょうとした態度で欲望に忠実な一面がある一方で、本来の心美は慈悲深く他者を慮ることのできる心の優しい女の子なのである。だからこそ、俺はそんな彼女のことを心の底からしたっているのだ。


「あ、あと堅慎の治療費は労災として、そちらにお願いするわ。」


「も、勿論でございます! 本当に、茉莉花女史や岩倉様には何とお礼を申し上げたら良いか──」


 武田はサングラスをハンカチで押し上げて涙を拭きながら、ぺこぺこと何度も頭を下げて感謝を伝える。まあ、人と人との縁というものは、金には代えられない大切なものだ。心美の言う通り、人助けだと思って報酬を手放すのも悪くはないだろう。


 こうして、栄泉リゾーツを襲い続けた悪意の根源は去り、事態は一応の収束を迎えた。しかし、俺たちに手榴弾を投げつけた暴漢たちも逮捕には至っていないし、今回中国のスパイ組織から送り込まれた殺人の実行犯は所謂だ。黒幕の正体が分かったところで、奴等は日本侵攻を諦めたとは限らない。もしかしたら俺たちは、何か途方もない脅威的存在に目を付けられてしまったのかもしれない。

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