Ep.12 時間差トリックと密室の謎

 翌日の朝、起床した俺はカーテンを開けて窓越しに外を眺める。すると、昨日までの嵐は嘘だったかのように澄み渡る大空と穏やかな海原がどこまでも広がって蒼の双璧をなしていた。如何にも夏らしく、ギラギラと輝く太陽から降り注ぐ光が海面に乱反射して俺の双眸に飛び込んでくるので、思わず顔を顰める。


「この日差しは、心美にとってまさに殺人的だな。」


 アルビノであるため肌の色素が薄く紫外線に耐性がない心美にとって夏の日差しは毒だ。俺はすぐ後ろのベッドで未だすやすやと眠りこけている心美のために、隙間なくカーテンを閉じて彼女を揺すり起こす。


「心美。少し早いが、おおむね中川さんの言っていた通り晴れたぞ。」


「んぅ……。今何時ー?」


「えーと、7時半だ。」


「なら、武田さんに連絡してみて。今なら電話が繋がる、かも……。」


 そう言い残して夢の世界に帰ろうとする心美をくすぐり起こして、言われた通りに武田に電話を架ける。


「っ、もしもし!」


 どうやら電話が繋がったようだ。電話口からはざあざあという水や風を切る音とボートのエンジン音と思しき音が混じり合って、武田の声が小さく聞こえる。


「岩倉様、大丈夫ですか! ホテルの方にも茉莉花女史のスマホにも何度もお掛けしたのですが繋がらず……。」


 俺は真島の死と栄泉リゾーツを取り巻く事件との関連性を、簡潔に纏めて武田に報告する。


「なんと……。電話も繋がらず、例年通りならばそろそろ我が社の施設に被害が出てもおかしくないので、何かあったのかと思い警察を手配しておいて正解でした。ただいま、そちらの方に急行しておりますので、お待ちください!」


 昨夜に心美が予想していた通り、武田は特殊事件対策班長の経験からか既に警察と共にこちらへと向かっているようだ。後は犯人を逃げられないように真島殺害の犯行を指摘して、警察に現行犯逮捕してもらうだけだ。


 武田との通話が切れると、いつの間にか既に身支度を終えた様子の心美がにっこりと微笑んでいた。


「首尾は?」


「上々。」


「それは重畳!」


 俺たちは依頼内容の達成に向けて、最後の作戦会議を始めた。



 §



 時刻は午前10時を迎えるところ、昨日とほぼ変わらない時間に食堂へと集合した俺たちは、先客の存在に気が付く。


「茉莉花女史、ご無事で!」


 見れば武田が数名の警察官を引き連れて既にホテルへと到着していた。


「詳細は今し方、従業員から聞き及んでおります。また、岩倉様から真島支配人が自殺として偽装された上で殺害されたとも……。」


「そうよ。ただ、真島さんが他殺されたという可能性はまだ誰にも話していない。全員が集合したら、食堂の出入り口を封じて頂戴。そこで犯人を逮捕してもらうわ。」


「わかりました。しかし、遂に我が社の宿泊施設で死者が出てしまうとは……。」


「犯行を未然防止できなかったことについては申し訳ないとしか言いようがない……。けれど、真島さんの死に必ずや報いるためにも、貴方も気合いを入れて。」


 栄泉リゾーツの将来を憂う武田に活を入れた心美と俺は、近場のテーブルに座って全員の集合を今か今かと待ち構えた。


 30分後──総勢10名の従業員と宿泊客が一堂に会したタイミングで、裏手に控えていた警察官らが2つの出入口をそれぞれ2人態勢で完全に塞ぐ。


「な、なんだこれハ!」


 ジミーと名乗っていた外国人客は、突然の来訪者によって一変する状況に驚きを隠せない。


「すみません。この状況は一体何でしょう……?」


 すると、近くに座っていた服部記者が尋ねてくる。


「心配要りませんよ。それより、これから明日の新聞一面を飾ること間違いなしの特ダネをご覧に入れます。カメラの準備をしておいてください。」


「ほう……? それは楽しみです。」


 準備は万端だ。俺は犯人逮捕に自信を見せる。すると、心美はメディアがこぞって報道していた全盛期の名探偵さながらといった落ち着きでゆっくりと立ち上がり、突然現れた警察官らに向いていた衆目を一身に集める。


「皆さん! 静粛にお願いします!」



 §



「2日前、当ホテルの支配人である真島大悟氏が非業の死を遂げました。密室での縊死、誰もが自殺と信じて疑わないのも無理はないでしょう。ですが、彼を自殺と断定するにはあまりにも不自然な点が多すぎました!」


 暗に真島の自殺を否定したとも取れる心美の言葉に、聴衆は一斉にどよめく。


「真島氏の死体は、まるで死の直前に何の苦痛も感じていなかったかのように綺麗なまま、一方で床のカーペットが異常なほど水浸しになっていたんです。」


 心美は死体発見現場の様子を収めた画像を見せつけるように掲げながら、泰然たる態度で説明する。


「真島さんは、発見時にまだ僅かな生体反応が認められました。私は医師の渋沢さんや従業員の川上さんに助力を求めて懸命に救命活動にあたりましたが、結果はご存じの通りです。このことから、真島氏の死亡推定時刻は8時前後であると分かります。」


 先程到着したばかりの武田や警察官たちにも分かりやすいように、心美は順を追って説明する。


「しかしながら、この場に居る全員、8時前後には真島氏の死亡現場とは別の場所に居たというアリバイがあったことが分かっています。従って、あくまで真島氏が自殺ではないという前提に立脚すれば、事前に真島氏を無力化した上で何の抵抗も受けずに、8時前後に死に至らしめるようなトリックがあったということです。」


「そんなこと、可能なんですか……?」


 隣で心美の話を聞いていたシェフの中川が、信じられないといった表情で言う。


「時に中川さん。以前は疑ってしまってすみませんでした。」


「な、なんのことでしょう……?」


 心美は中川に話し掛けられたことを皮切りに、話題を転換する。


「真鯛のアクアパッツァ──あれは魚の臭みだけがおかしく、それ以外は大変美味でした。」


「その節は、大変申し訳ございませんでした……。」


 当の中川は、昨日の昼食に出した魚の異臭に気が付かなかったことを改めて詫びる。


「いいえ。中川さんが謝る必要はなかったんです。むしろ、中川さんも被害者の1人と言えるでしょう。」


「はい……?」


「この中で、昨日の昼食に出された魚に違和感を感じた人は?」


 すると、服部はカメラを回しながらおずおずと手を上げる。


「決して食べれない訳ではなかったんですが、何と言うか、アンモニアのような悪臭がしましたねぇ。」


 それは、俺たちが抱いた感想と同じものだった。


「あれから私も気になって、魚を保存していた業務用冷凍庫を調べてみたのですが、一部の魚をよく嗅いでみるとお客様の仰っていたような異臭がしましたので処分しました。一体どうしてなのか……。」


 中川は居心地悪そうにしながらも、正直な証言を述べる。


「その理由は後程。時にジミーさん、とやらは良く洗えましたか?」


「っ!」


 あまりに唐突な心美の言葉に、ジミーはきょろきょろと辺りを見回して分かりやすく狼狽する。


「なんのことダ!」


「昨晩ロバートさんも言っていたじゃないですか。『大切な容器を小便で汚しちまったのか』って。」


「し、知らねえぞそんなノ!」


「そうなんですか? ロバートさん。」


 ジミーはあくまで白を切るため埒が明かず、心美はロバートに話を振る。


「あぁ。こいつ、一昨日の夜に小便まみれのプラスチックで出来た縦長の容器を部屋に持って帰ってきたらしいんダ。俺は寝てたから気が付かなかったけど、昼間部屋に戻ったら臭いがそこら中に充満しててナ。どうにかしろって言って、昨日の夜中、必死に洗ってスーツケースに詰めてたヨ。何でも大切なものだとかなんとカ……。」


「おい相棒! 少し黙ってロ!」


 ジミーは大声を張り上げて、俺たちがホテルに来てから今日までの一部始終をぺらぺらと喋るロバートの口を塞ごうとする。


「暴力は感心しないぞ、ボーイ?」


 俺は昨夜のジミーに対する意趣返しのつもりで、ロバートに襲い掛かるジミーを羽交い絞めにしながら挑発する。


「ロバートさん、今からそちらの警官の方と一緒に部屋に行って、その容器とやらを持ってきてもらっても良いですか?」


「あぁ、構わないゾ。」


「おいロバート、やめロ!」


 あくまで抵抗しようとするジミーに対して、ロバートは言う。


「相棒、俺はお前の疑いを晴らすためにやってるんダ。だがもし、お前が何かヤバいことに加担してるってなら、親友としてお前を止めてやらないといけなイ。どの道、同じことダ。」


 そう淡々と言い残して、ロバートが付き添いの警官と共に部屋を去って行った5分後──彼はスーツケースにすっぽりと収まりそうな、薄いプラスチックの板を持って戻ってきた。


「ここを摘まんでこうするとナ……。」


 ロバートの実演によって、プラスチックの板は縦長の長方形の箱へと変貌する。


「貴方とジミーさんは、このホテルに何日間滞在してるの?」


「あんたらが来て、真島とやらが死ぬ3日前くらいから観光でナ。帰ろうと思ってたら急に嵐がきて連絡船が途絶えたんダ……。」


「その間、ジミーさんは頻りに水を飲んでなかった?」


「そんなの気にしてねえけど、酒だったらしょっちゅう呑んではトイレに行ってたヨ。」


 そこまで聞くと、心美は大きく息を吐いて推理を披露し始める。


「真島氏の自殺とアリバイの偽装工作、全てはこのプラスチックの箱に関係しています。この殺人事件の犯人──それはジミーさんです。」


 心美による衝撃の宣告に、その場の全員の視線がジミーに集中する。


「っ……!」


「貴方はまず、真島氏死亡の3日前から多量に水分を摂取してトイレに行くふりをしつつ、この容器に尿を溜めていましたね。要所に監視カメラが設置されているとはいえ、嵐の予報で客も疎ら、従業員の多くも出勤していません。部屋のトイレは狭くて嫌だとか何かしら理由をつけて共用トイレにでも行けば、容易に下準備ができたでしょう。」


「尿を容器いっぱいに溜めた貴方は犯行前日の夜、シェフがキッチンを離れた瞬間から尿入りの容器を業務用冷凍庫に入れて凍らせ始めた。中川さんが提供する料理から尿の悪臭がしたのは、食材に臭いが移ったためよ。本当は真島氏の遺体が保管されている冷凍室のような場所が良かったでしょうけど、冷凍室の暗証番号は職員以外知り得ない。だから貴方は宿泊中にシェフの行動パターンを分析して、翌日の昼食の仕込みまではキッチンに現れないことを知った。」


「そうして犯行当日の早朝に固まり切らなかった尿をトイレに棄てるなりしてから、寝ている真島氏の部屋に押し入って縄で首を絞めて気絶させ、その縄を天井の鉄筋に結んで真島氏の首を掛けておく──あくまで自殺を演出するため、傍らに椅子を倒しておいてね。」


「真島氏がすぐに死亡してしまってはアリバイ工作ができなくなる──そう考えた貴方は、凍った尿で出来た氷柱に真島氏を座らせて身体を浮かせ、部屋のエアコンを切って熱が籠りやすい密室を作った。そうして部屋を去った貴方は、容器を持って部屋に戻った。」


「蒸し風呂状態となった部屋で、氷が解けるにつれてカーペットは液体化した尿を吸い取り、真島氏の首は徐々に絞まっていき、抵抗することも叶わず数時間後に死亡した。その頃貴方は、ルームサービスとして部屋を訪れた川上さんからコーヒーを受け取っていたからアリバイが成立したのよ。」


 心美の完璧な推理に押し黙って俯くジミーの姿は、黙示的に犯行を自供しているも同然だった。


「お、おい相棒。今の話、マジなのかヨ……。」


 ロバートの反応を見るに、彼はジミーの凶行について関知していないようだ。


「茉莉花探偵──その類まれなる洞察力は、少しも衰えていないようダ……。」


「っ!」


 ジミーが茉莉花の名を口にしたことに驚愕すると共に、やはり彼が犯人であることに確信を得て警戒心をぐっと高める俺とは裏腹に、ジミーは大声で高笑いし始める。


「私の天才的頭脳に平伏して、気でも触れたかしら……?」


「違うナ。その通りだとして、真島が実際に漏らした尿と俺が使った尿の氷柱の成分が異なっていたら、警察の目は欺けないだロ……?」


「警察がそこまで調べるならね。でも、真島氏の死体に目立った外傷もなければ部屋は密室、栄泉リゾーツ関連施設への度重なる被害による心労という動機もある。真島氏は自殺するならこの中で最も自然な人物よ。そこまで詳しく調査する理由はないわ。実際に調べたとしても、その頃貴方は日本に居ないでしょう?」


「だったら、密室はどう説明するんダ。真島が支配人室の鍵を持っている以上は、外から空けて襲いに行くことも、出るときに閉めることも叶わんゾ……?」


「確かに、現場が何故密室だったのか、貴方がどのように密室を作出したのかは、まだ判明していない。けれど、そろそろ出て来た方が身のためよ。さん。」


 心美の唐突な暴露に場内はざわつく。


「共犯者ですか……?」


 傍らで心美の推理を熱心に聞いていた渋沢が問う。


「えぇ。支配人室の鍵は真島氏だけが持っていて、マスターキーでも開けられない。そんな真島氏の部屋に自由に出入りして外から鍵を掛けて密室をも創出できるなんて、数日間滞在しているだけの宿泊客には難しいわ。」


「鍵穴には通常、使用されている鍵を識別するためのナンバーが刻印されている。それを知っている従業員内部に共犯者がいて、殺人犯の計画を受けて支配人室の合鍵を作っておくように指示した──そんなところかしら。」


「これからジミーさんは警察に逮捕されて、朝から晩まで尋問に掛けられることになるわ。そうなれば共犯者の名前もあっさり喋るかもね。だけど、その前に自白した方が罪は軽いわよ。」


 心美の言葉に反応してゆっくりと手を上げる人物に、俺は開いた口が塞がらなかった。


「す、すみませんでした! 私が、合鍵を作って彼に渡したんです……。」


 そう白状したのは、ホテルの従業員・川上だった。


「どうしてそんなことを? 真島氏に恨みでもあったんですか?」


「違うんです。私は、相次ぐ栄泉リゾーツ関連施設への嫌がらせでホテルはそのうち経営が立ち行かなくなり、仕事を失うことになると脅されて……。もし協力すれば、私に割の良い仕事を紹介してくれると、そう言われたんです……。シェフや医師は皆専門職ですから、このホテルが無くなっても仕事があります。でも、私は──」


 川上は俯きながら、真島殺人の片棒を担いだ理由を述べる。


「くだらないわ。密室は密室でも、こんな抜け穴があったなんてね。貴方もこんなことで同僚の殺人に関与するなんて。」


「くだらなくなんてない! 私には養っていかなければならない子どもも居るの! 仕事が無ければ、私たちが生きていけなくなってしまう……!」


「いいえくだらないわ! 私だってつい最近まで一切仕事に恵まれなかったし、真島支配人だっていつ首を切られるか分からない状況でホテルの経営を持ち直そうと、従業員を守ろうと必死だったのよ! そんな人を殺す手伝いをするなんて、どんな理由があろうと許容されることじゃない!」


 心美は今まで幾度となく命の危機に瀕してきた。命という尊くかけがえのないものを粗末にする人間は、そんな彼女にとって最も忌むべき存在なのだ。


「さあジミーさん、もう言い逃れできないわよ! そろそろ、犯行の動機を聞かせてもらおうかしら……!」


 追い詰められたジミーは、衆人環視の中でゆっくりとその重い口を開いた。

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