Ep.10 証拠整理

 サンドウィッチを綺麗に平らげた俺と心美は暫しの休息を経て、真島の死亡現場と各人の証言を基に、改めて真島は他殺であることを前提に考察を開始する。


「まずは真島さんの遺体の状況から整理していきましょうか。」


 心美はスマホに収めた証拠写真を表示させながら口火を切る。


「これは、真島さんの爪か……。」


 不自然に綺麗なままだった真島の爪が捉えられた写真が映る。


「これを見る限りだと、真島さんは縄で首が絞められている間、頚部圧迫による気道や血管の閉塞に起因する耐え難い苦痛を伴ったはずなのに、迫り来る死に抗った様子もない……。」


「そうだな。普通だったらどれだけの覚悟で自殺することを決めても、本能的に生に執着しようと体が勝手に動きそうなもんだ。」


「このことから考えられることは?」


 敢えて心美は俺に問う。


「普通に考えたら、真島さんから一切の抵抗力を奪ったということだから、後頭部を殴りつけるか、睡眠薬や筋弛緩剤とかの薬物を盛ったか、何らかの手段で気絶させたってのが有力じゃないか……?」


「私もそう思うわ。ただ、真島さんには首元の縄痕以外に目立った外傷は見受けられなかった。それに薬物を使用すれば、後からやって来る警察による検死の目を欺くことはできない。」


「となれば、どのみち首元の傷痕は残るんだから不意を突いて首を絞めて気絶させて、その後改めて縄に括って自殺を偽装したってとこか……?」


「悪くない推理ね。」


 心美はスマホの画面をスクロールして次の写真を表示させる。


「続いてはこれよ。真島さんは地獄の苦痛の中で、あるいは意識消失時に尿失禁を起こしたようね……。」


 だが、真島の下半身の湿り具合と床のカーペットが吸い取ったであろう尿の量が、見れば見るほどに釣り合っていない。


「尿の水分量が多すぎるな。この量はトイレに行くのを我慢しながら首を吊ったってレベルだ。」


 率直な感想を述べる俺に対して、心美は大きく頷いて同意を示す。


「全くだわ。そこも私が違和感を感じた点よ。」


「自殺の偽装トリックに何か関係あるということか……?」


「どうかしら……。無関係ではないはずよ。」


 続いて心美は、45℃と表示されていた、死亡現場となった支配人室の温度計を見せる。


「あの部屋は密閉空間で熱気も籠るし、嵐の影響で湿度も高かった。普通に過ごしていたら、熱中症になってもおかしくないくらいのサウナ状態だった。」


「あぁ。部屋に入った時の熱気も凄かったし、自殺する前にあの不愉快な部屋で密室状態を作り出すなんて、明らかに不自然だ。」


「問題は、自殺を偽装した真犯人が居るならば、そいつはどうやって、何を意図して灼熱の密室を作り出したのかよ。」


 心美は密室となった現場に論点を合わせる。


「真島さんが亡くなった8時前後には、全員がアリバイを持っている。だから、事前に真島さんを気絶させて部屋まで運んだ上で、8時前後に自殺として亡くなるような時間差トリックと、その後密室を作出するためのトリックがあったはず。」


「なんだそれ!? そんなこと可能なのか……?」


「可能だったからこそ、彼の死体や現場には数々の隠れたダイイングメッセージが残されているんだわ。それを解読できなければ天才探偵の名折れよ。何より、真島さんの死に報いることができない。」


 神妙な面持ちで考えを巡らせている心美に、俺の脳は付いていくことを諦めつつある。ならば、俺は俺に出来ることをするまでだ。


「とにかく、判断材料となり得る証拠が足りないな……。よし、だったら俺が支配人室をもう一度隈なく調査して、聞き込みに回ってくるよ!」


「もう現場は全て確認し終わったから無駄よ。密室ではなくなった以上、今更になって新証拠が出て来ても逆に怪しいだけだわ。それに、目立った行動を取れば犯人に気取られて何をされるか分からないって、さっきも言ったでしょ──」


「だったら、どうするんだよ……! このままシェフが言っていた天気予報の通りに1日半で天候が回復したら、警察は事件を自殺として処理するぞ……。」


 すると、心美はソファから立ち上がって、焦燥感に駆られて語気を強める俺の身体を信じられない力で引っ張る。


「なにすんだ心美……!」


 刹那、宙を舞った俺の身体は起床時から一切整理されていないベッドの上に叩きつけられた。


「うおっ──」


「ふわぁー……。」


 大きな欠伸をひとつ、心美は俺の隣で目を閉じて、猫のように身体を丸める。


「ん……? 心美さん?」


「ご飯食べたら、何だか眠くなっちゃったわ……。少し昼寝して脳を活性化させましょう。堅慎も付き合いなさい。」


 突拍子もないことを言い出す心美に、俺は開いた口が塞がらない。


「時間が無いって話、聞いてたか?」


「急がば回れって言うでしょ。このままあれこれ悩んでいても、建設的な議論は期待できそうにないから。」


「そういうもんかね……。」


 そう言って心美の抱き枕代わりにされる俺は正直に言って全く眠くなかったのだが、彼女の安らかな寝顔とふかふかの高級ベッドに身を包まれているうちに、いつの間にか夢の世界へと誘われていた。



 §



「いや……! 離して!」


「おいお前! そっちの腕押さえろ!」


「あんまりやり過ぎんなよ……? 後がつかえてんだ。」


「やめて!!」


 少女の悲鳴と獣のような男たちの話し声によって、俺は止めどなく流れる寝汗に塗れて目を覚ます。


 ──また、この夢か……。


 昼寝と言いながら、気が付くとすっかり熟睡してしまっていた俺は悪夢を見ていたようで、あまりの恐怖感に耐え切れず飛び起きた。どくどくと五月蠅い心拍音に息切れを起こすも、隣で暑苦しそうに汗をかきながら寝息をたてている心美を見ると、急速に心が安堵感に包まれる。俺は彼女の額に浮かぶ汗を袖で拭ってやると、そっとベッドから抜け出して部屋を出る。やはり、じっとしている訳にはいかないのだ。


 エレベーターを利用して1階まで降りて医務室に向かうと、目的の人物は居なかったため、引き返そうかと思っていたところに、背後から声を掛けられる。


「あの、岩倉様でしょうか……?」


 振り返るとそこには、警備員の神薙から二階堂と呼ばれていた20代と思しき若い女性看護師の姿があった。


「あぁ、丁度良かった! これ、先生からお預かりしていたものを今からお届けに上がろうかと思っていたところだったんです……!」


 そう言って二階堂は、俺に小さな袋と共にプラスチック製の容器を手渡してくる。おそらく、午前中に渋沢へ頼んだ痒み止めの軟膏が入っているのだろう。


「これはご丁寧にどうも。二階堂さん、でしたよね。」


「はい。火傷の具合は如何ですか……?」


 心配そうに尋ねる二階堂に対して、俺は問題ないことを伝える。


「それは良かったです。あ、あと、先程シェフが夕食は7時に用意するので、それまでに食堂に集合するようにと言っていました。」


 ──なに、つまり現在は間もなく19時を回る時刻と言うことか。随分と寝過ごしたものだ。


「そのことで各部屋にお電話差し上げたのですが、茉莉花様のお部屋だけお出にならなかったので、後でお薬を持ってお伺いしようと思っていたんです。岩倉様に来て頂けて助かりました……!」


「それは良かった。それでは後程、食堂まで心美を連れて伺います。」


「はい、お待ちしております。」


 きびきびした言動で精彩を放つ二階堂に礼と別れを告げて、俺は一先ず部屋に向かって引き返そうとする。しかし、離島を訪れてからの2日間で深刻な運動不足を感じていた俺は、このままでは有事の際、業務に支障が出ると感じたため10階まで階段を使って戻ることにした。


 すると、3階から4階へと向かう階段で何やら言い争うような声が聞こえたことに違和感を感じた俺は、4階の客室が立ち並ぶ廊下へと歩みを進める。だが、どうやら諍いの現場はここではないようだ。俺は1つ下のフロアに降り立って声の主を探す。すると、廊下奥の客室から日本語ではない怒号が飛び交っているのを聞き取った。


 ──Don't leave the things out! Can you clean what you use and put them away?

(物を出しっぱなしにするなよ! 使った物は洗って片付けてくれないか?)


 ──I'll do it after everyone else is asleep!

(他の奴等が寝静まってからやるよ!)


 ──The container smells like piss so ingrained it stinks!

(その入れ物に小便臭いのが染みついてて堪んねえんだよ!)


 ──I got so drunk, and I must've saw wrong it for a toilet, don't get too angry!

(酔っ払ってて、トイレと見間違えたんだろ、そんなに怒るなよ!)


 なるほど、昼間見かけた外国人観光客2人組はこの部屋に宿泊しているようで、何やら揉め事を起こしているようだ。英語には疎い俺にとって、彼らの会話内容は断片的にしか聞き取れなかった。特別重要な手掛かりという訳ではないが、部屋に戻ったら心美に報告しておこう。


 俺は階段を一気に駆け上がって最上階で心美が待つスイートルームへと向かう。彼女はまだ寝ているだろうか。間もなく夕食の時間なので、声を掛けておかなくては。そう思ってドアを開けると、俺は予想だにしていなかった光景を目の当たりにする。


「っ、ぅあ……。」


 そこには、ベッドに寄り掛かるようにして床に三角座りしながら、両腕に顔を埋め、声を押し殺して泣いている心美の姿があった。


「どうした心美!?」


「あ、堅慎、おかえりー……。どこ行ってたの……?」


 あくまでも平静を取り繕って薄ら笑いを浮かべる心美の肩は、ふるふると震えが止まらなかった。その震えを止めたくて、俺は彼女を自らの腕に押し込める。すると、どくどくと異常なまでに高鳴る彼女の心音が皮膚を伝って感じられる。


「っ、悪夢を見たの。昔、私が探偵じゃなかった頃の夢……。」


「大丈夫! もう、大丈夫だ……。」


「起きたら隣に堅慎が居なくて、私、またひとりぼっちになったかと思って……!」


 心美が探偵として活動し始めた1年前のこと──当時15歳だった彼女は学校に通うこともなく、失踪した両親の代わりに今は亡き祖父母の援助を受けて1人暮らしをしていた。彼女は過去のトラウマから人との関わりを持つことを恐れ、親族からの同居の提案や学校への通学の勧めを断固として拒絶していた。そんな彼女を見兼ねた俺は、中学校に通う傍らで放課後には毎日彼女の自宅を訪れ、勉強を教えていた。尤も、優秀な頭脳を持つ彼女に教えるようなことなどほとんどなく、ただ話し相手として過ごしていただけなのだが。


 そんなある日の放課後、いつものように心美の自宅を訪れた俺は信じ難い光景を目にする。そこには、スーツ姿の見知らぬ男共が複数人で心美の四肢を抑えつけ、今にも乱暴しようとしている様子と、悲痛な叫びと共に俺に助けを求める心美が居た。後から聞いた話では、児童養護施設の職員をかたる男がアルビノの珍しい少女がひっそりと孤独に暮らしているという情報を聞きつけ、数名で彼女の自宅に押し入って強姦未遂に及んだらしい。


 憤怒と憎悪の炎に焦がされた俺の脳内は思考が焼き切れ、目の前の卑劣漢を力の限り殴りつけることに支配された。奴等が動かなくなった後も、壊れた機械のように殴り続けた俺は心美の声に目を覚ました。彼女は自分が途轍もなく恐ろしい目にあったことよりも、俺が警察に暴行容疑で逮捕されることを危惧しているようだった。


 ──どうしよう、どうしよう……。


 そう譫言うわごとのように繰り返す心美をこれ以上不幸な目に遭わせる訳にはいかないと思った俺にとって、彼女の手を取ることに躊躇ちゅうちょはなかった。互いに親を失くしている俺たちは、そのことをきっかけに二度と元居た場所に帰ることはなかった。俺の助言によって彼女が探偵を志し、大金を稼いで俺と生活を共にすると決めたのも、その翌年からだ。


 心美は底抜けに優しい少女だ。俺が悪夢を見たのは、心美の純潔が汚されかけた恐怖によるものだが、彼女があの時の悪夢を見るのはきっと、俺を犯罪者にしてしまったことに罪の意識を感じているためだ。そんなことはない。俺が心美を連れ出したのは己の我儘で、彼女と共に暮らすのは俺の望みだ。俺は自分の本心を伝えるために、心美を抱き締める腕に一層力を籠める。


「っ、堅慎! ごめんね、ごめんね……!」


 嗚咽を漏らしながら泣き続ける心美は、次第に過呼吸を引き起こしていった。


「っ、はっ。はぁ……。」


「おい、落ち着け心美! お前が悪いことなんて何ひとつとしてないんだぞ!」


 呼吸が速く、浅くなっていく心美の深紅の双眸そうぼうを覗き込んで諭すように説得するも、ぶんぶんと首を横に振って苦しそうに否定する彼女を落ち着けるため、頭を撫でながら努めて優しく伝える。


「こんくらいのペースでゆっくり深呼吸しろ。俺は心美と居るだけで幸せだし、お前の受けてきた苦しみや悲しみに比べたら俺なんて大したことはない。何も気に病むことはないんだよ。」


 俺の言葉が心美に届いたのか、彼女は漸く安定し始める。


「ご、ごめんなさい。起きたら堅慎の姿がどこにも見当たらなかったから気が動転して……。貴方に限ってそんなこと、あるはずないのに……。」


「そうだぞ。もう長い付き合いだ。見縊みくびって貰ったら困る。」


 無断で部屋を飛び出したことを詫びつつ、俺は部屋の時計を見る。


「やべ、時間だ! 7時には食堂に集合だって、さっき言われたんだよ。どうだ、行けそうか?」


 泣き腫らした目を擦りながら髪を整える彼女は、こくりと頷いて勢い良く立ち上がる。


「みっともないところを見せて悪かったわ。寝過ごしてしまったみたいだけど、おかげで頭もすっきりしたし、ここから本領発揮よ──相棒!」


「あぁ、その意気だ!」


 俺たちは決意を新たに、2階の食堂まで足を運んだ。タイムリミットまでは、もう丸1日も残されていない。

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