殺人犯の影法師
Ep.9 タイムリミット
「ふぅ、なんだか疲れたわ……。」
関係者全員のアリバイ確認と食事を済ませ、最上階のスイートルームに帰ってきた心美は、高級そうなソファにぽすんと身体を投げ出す。
「そうだな。だが、本当に骨が折れるのはここからだ。」
「へぇ、どういうことかしら?」
心美はその言葉の意味を理解していながらも、俺を試すように話を促す。
「まず、真島さんが殺されたからといってこれ以上事件が起きないとも限らない。」
そう、栄泉リゾーツ特殊事件対策班班長・武田やホテル支配人・真島の話していた過去に発生した事件は、一度発生したら被害に遭ったホテルは即座に休業を余儀なくされたため、それ以上の加害行為は行われなかった。だが、今回の場合は離島を襲う嵐の影響で外出は難しく、他の施設も機能していないためホテルは営業を続けざるを得ない。同一犯による新たな事件発生の可能性は十分に考えられるため、真島の死の真相にばかり囚われて、警戒心を緩めてはいけない。
「そうね。でもその可能性はかなり低いわ。」
「何故だ……?」
俺の述べた懸念に一定の理解を示しつつも、心美は懐疑的な見方をする。
「真島さんの死はわざわざ自殺として偽装された。つまり、裏を返せば、殺人事件として扱われると不都合だということ。これ以上死人が出れば流石に誰もが怪しむでしょうし、新たな事件発生は考え難いって訳。」
「なるほどな……。じゃあ、また意図的に火災を起こすとかで、事故を装って殺人に及ぶってのは考えられないか?」
「もし始めから複数人を手に掛けるつもりなら、1人ずつ殺すのではなく、全員纏めてやろうと思うはずよ。それに、下手に火災を起こして燃え広がればホテル内の人数じゃ消火しきれなくなって、犯人
もう死者は現れないという心美の見解に、俺は一先ず安堵する。
「それで、他には?」
心美は俺に推論を続けるよう求める。
「あぁ。次はこの嵐だ。一体いつ過ぎ去るのか……。」
現在時刻は午前11時を回ろうかというところ、朝起きたときには既に降り始めていた暴風雨を窓越しに眺めながら、いつになったら晴れるものかと考えていた。
「堅慎のスマホもダメそう……?」
「あぁ。たまに繋がるんだけどな……。」
離島の電波状況が嵐の影響もあり、かなり劣悪なものになっていることを知ったのは、先程心美が真島の死体発見現場で証拠保全のためにスマホを取り出した時だ。俺のスマホを見てみても、ごく稀に電波を拾うこともあるが、基本的には圏外だ。部屋に備え付けられているテレビにもほとんど何も映らないので、それが益々焦れったい。
「天気予報も見られず、武田さんへの連絡も途絶えたか……。」
「随分と厄介なことになったわね。このまま嵐が過ぎて警察が介入したら、私でも一般人として追い出されかねないわ。そうなったら栄泉リゾーツの依頼も
「天下の探偵・茉莉花でも、どれだけ真島の他殺説を主張したところで、証拠が見つからなければ犯人に逃げられちまう。タイムリミットは近いだろうな……。」
流石の名探偵も、苦境に立たされ焦りを隠せない様子だ。
「派手に動けば犯人を刺激する、かといって時間は有限──はぁー、参ったわ!」
そう言って絹糸のような白髪を掻き
「ほれ、少し落ち着きなさいな。」
カップを手渡した俺は、ソファの後ろに回り込んで凝り固まった心美の肩を揉みほぐす。
「堅慎やめてぇ……。折角色々考えてた最中なのにぃ……。頭空っぽになっちゃうぅ……。」
おっさんみたいな唸り声を上げながら、やめてと言う割には碌な抵抗もしない心美をマッサージしながら俺は話題を戻す。
「そう言えば、真島さんの自殺を偽装したいんだとすれば、肝心の証拠がまだ見つかってないよな。」
「なにそれ……?」
さも極楽そうに脱力しながら目を閉じている心美の頭は、完全に機能を停止しているようだ。しかし、俺の発言に関心を示したのかソファの
「遺書だよ。自殺する人はせめて遺書を
「そうね。自殺にしても、そうじゃないにしても、遺書くらい残されていてもおかしくない。まあ無かったところで衝動的に死を求めたってこともあり得るし、別に不自然ではないけど。」
自殺を偽装するなら犯人が被害者の筆跡を真似るか、今の時世なら法的な有効性は別として、パソコンなどを用いて取り敢えずの間に合わせとして作成することも可能だ。本当に自殺であれば尚更、遺書が無いのは引っ掛かる。
「だったら、今から殺害現場に戻って探さないか?」
「あぁ、それなら真島さんの死体を別の場所に移すついでに渋沢さんに頼んだわ。」
あっけらかんと言い放つ心美に俺は驚愕する。
「なんだって!?」
どうやら、俺がアリバイの聞き込みを行っている間に心美は渋沢に真島の死体をホテルの食材等が保管されている冷凍庫の片隅に移動させておくことと、真島の遺書がありそうな場所を隈なく捜索することを依頼していたという。
「あんな
「良いのかよ。渋沢さんに遺体を自由にさせる機会を与えて、遺書まで探させるなんて。何かしら追加で偽装工作をされるかもしれないんだぞ……。」
俺はおそるおそると尋ねる。
「その時は渋沢さんが有力な犯人候補として炙り出されるだけだし、必要な証拠は全て写真に収めているから大丈夫。渋沢さんは真島さんの救命活動にも真剣だったし、彼らは仲が良かったんでしょ? 今のところ、犯人からは最も遠い位置に居るわ。」
「俺には関係者全員を平等に怪しめって言ってたくせに……。」
ぶつくさと不満を言う俺に対して、心美は得意げに微笑む。
「歴戦の探偵である私と素人の堅慎では当てはまる原則も異なるのよ!」
「俺も心美の相棒として百戦錬磨ではあるんだがな……。」
こうして、ああだこうだと現状分析をしていると、部屋の呼鈴が鳴らされる。念のため施錠していたドアを開錠して訪問者を招き入れようとすると、そこには、先刻昼食として提供されたメインディッシュに異臭がしたため食べ切ることができなかった詫びとして、軽食の入ったバスケットを手にしたシェフの中川の姿があった。
「こちら、お約束の品でございます。先程は大変失礼いたしました……!」
バスケットの中には、トーストしたパンにベーコンやローストチキンといった肉類や新鮮なレタス、トマトがふんだんに挟まれた3層のクラブハウスサンドが入っていた。
「良いんですか。悪天候がいつまで続くか分からないから食料は計画的に消費しようと言っていたと聞きましたが……。」
俺の疑問に、中川は眉間に皺を寄せながら答える。
「実は、それは皆さんに集まって食事をして頂くための建前なんです。私は事前の天気予報で、嵐は1日半ほどで過ぎ去っていくと聞いていました。それに食材の残りにも余裕があります。ホテル内に残っている10名程度でしたら、1か月分はあるかと。」
「そうなんですか?」
心美は不思議そうに確認する。
「と言うのも、私には真島さんが自殺したとはとても思えないんです。彼は度重なる栄泉リゾーツへの加害行為によってホテルの経営が苦しくなっても、常に前向きな姿勢で再建方法を模索していました。そんな支配人を疎ましく思った誰かが殺したとしか──」
淡々と心境を吐露した中川は、ハッとした表情で口を噤む。
「す、すみません! 茉莉花探偵の御前においては釈迦に説法でしたね……。」
「いいえ、有力な情報に感謝するわ。美味しそうな料理にもね。」
心美は部屋を立ち去ろうとする中川に笑顔を向けると、彼はふと立ち止まって振り返り告げる。
「おっと、言い忘れていました。渋沢さんから言伝を仰せつかっておりました。『真島さんの遺書はやはり見当たらなかった』とのことです。それでは、改めて失礼します……。」
部屋のドアが閉じ切ったことを確認すると、俺と心美は作戦会議を再開させる。
「渋沢さんが真島さんの遺書を握り潰したってことは?」
「ないわ。自殺を演出したい犯人が遺書を処分するなんてことしない。」
「それもそうか……。」
どうやら俺も、
「こんな天気でもなければ、オーシャンビューのベランダで優雅なひと時をってとこなんだがな……。」
俺はごろごろと不愉快な音を立てる黒い雷雲を恨めしく思い睨みつける。
「まあ良いじゃない。まずはしっかりと休憩を取ってから、改めてアイデアを出し合ってみましょう。」
心美の提案によって、俺たちは昼過ぎから議論を再開することにした。
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