Ep.3 波乱の予感

 ──ピンポーン。


 冷たいインターフォンの機械音が、静かな事務所内に木霊こだまする。今し方コンビニの駐車場で凶漢共の不意討ちを喰らったことから、早くも追手が来たのではないかと戦慄せんりつする俺と心美の暮らす一室には、熱帯夜に漂うぬるまった空気すら凍り付くかのような緊張が走る。


「心美、下がってろ……!」


「流石に追手だとしたら堅慎だとしても拙いわ! 逃げましょう! 所長命令よ!」


 心美は必死に俺の手を引いて、裏口から避難するように促す。だが、もし追手が来たのだとしたら彼女を連れて逃げ回るなどないし、複数人と対峙することになるなら比較的狭い事務所内の方がむしろ、こちら側にも勝機があろう。


「心美、安心しろ。命に代えてもお前は俺が護る。」


 俺は彼女の忠言に逆らって、そっと玄関扉の鍵を開けた。


「茉莉花心美女史に、そちらは岩倉堅慎様でございますね。」


 意外にも扉の外には、黒服にサングラスをかけたオールバックの中年男性が、同様の格好をした部下とみられる複数人の若者を従えて立ちすくんでいた。


「な、なんだお前ら……!?」


 俺たちはあくまで警戒を解かずに、後退あとずさりしながら尋ねる。


「ご心配をお掛けして申し訳ない。我々は先日、代理人を介して茉莉花女史と顧問探偵契約を締結する運びとなりました栄泉えいせんリゾーツの者でございます。ご存じの通り、ここは危険です。安全な場所まで護送致しますので、一先ず我々と御同行願えませんか。」


 男の言い放った「栄泉リゾーツ」という社名には、聞き覚えがあった。それは昨日、代理人である老紳士と契約を締結する際、提示された契約書に契約当事者として記載されていた社名と一致したからだ。信用を得るためか、俺たちの間に締結した契約の内容が記載された契約書をちらつかせながら外に停まっている車両へと誘導する黒服と相対あいたいして、俺は背中に隠れた心美の方を振り返り目配せしてから、取り敢えず大人しく付き従うことにした。



 §



 どこに向かっているのかも分からない黒塗りの高級車に揺られること5分ほどが経過した辺りで、頻りに何かを警戒していた様子の黒服は、漸くその重い口を開いた。


「先刻発生致しましたコンビニ前での襲撃事件、既に我々も把握しております。契約内容に茉莉花女史の安全保障が含まれていたにもかかわらず、お力添えすることができず大変申し訳ございませんでした。」


 そう言って深々と礼をする黒服の男は、自らを武田たけだ貴一きいちと名乗った。


「お詫びと言っては何ですが、到着次第、岩倉様の傷の応急処置と当面の安全な寝床はこちらの方でご用意させていただきます。」


 生活の本拠である事務所がもはや安全な場所ではなくなってしまった現在において、それは願ってもいない申し出なのだが、俺たちの関心は既にそこにはなかった。


「そんなことより、さっきの襲撃犯の正体、そちらはご存じなんですか?」


 心美は開口一番に、中途半端だった推理の答え合わせを求める。


「なんとお答えしたら良いか……。」


 心美の質問に対して、武田は決まりが悪そうに苦い表情を浮かべる。


「こちらをご覧ください。先程現場で採取した手榴弾の破片です。」


 すると武田は懐から小さなプラスチック製の袋を取り出す。


「栄泉リゾーツが国内に所有する宿泊施設を狙って原因不明の事件が多発している現状については、代理人から説明があったかと思います。」


 心美と俺は首を縦に振って肯定する。


「かつて栄泉リゾーツも、同様の爆発事件の被害に遭ったことがあるのです。その際、現場にこれと良く似た破片のような物体が残されていたことがありました。破片の解析はまだ済んでいませんが、おそらく今回の事件のものと一致するかと……。」


「なるほど。そうなれば貴方の会社を狙って相次いで事件を引き起こしている犯人と、今回の襲撃犯との接点が生まれるという訳ね。」


 それは、一連の事件解決の糸口となり得る重要な物的証拠だ。


「おそらく、栄泉リゾーツを執拗しつように狙っていた犯人は、貴方たちの代理人を介した私たちへの接触に気が付いた。私という名探偵の事件への介入を恐れた犯人は、私たちの居所を突き止めて襲撃した。そう思わない……?」


「た、確かに……!」


 俺は心美の素晴らしい推理を手放しで称賛する。


「はい、ぶっぶー。引っ掛かったー。」


「はい……?」


 泡を食って唖然とする俺の表情を見た心美は、可愛らしくも憎たらしい訳知り顔を向けて、俺の額を人差し指で優しく弾く。


「今のは敢えて間違いを言ったの。おそらく連中は、私たちをあの場で殺すつもりなんて微塵みじんもなかったわ。」


「ど、どういうことだ……?」


「簡単な話よ。本当に名探偵・茉莉花を恐れて私たちを殺すつもりだったのなら、今まで通り夏場に栄泉リゾーツの施設で事件を起こして、のこのこと調査に来た私たちを罠に嵌めるなりして確実に殺せば良くない?」


「あ、あぁ。」


「敢えて夜のコンビニっていう中途半端に人目に付くような場所で襲撃して失敗、そして手榴弾という派手目な武器まで出して、見せつけるように爆発させてみせた──」


「仮に栄泉リゾーツが過去に被害にあったときの手榴弾の破片と今回のものが一致したのだとしても、それはブラフである可能性が高いわ。本命の犯行を隠すための、カモフラージュってこと。」


 さっきまで追手の心配であれほど取り乱していた心美は、平静を取り戻してからの僅かな時間でここまで熟考していたというのか。


「その本命の犯行とは、一体何なのでしょうか。」


 興味津々といった様相で武田は、稀代の名探偵に尋ねる。


「それはまだ分からないわ。犯人の正体が複数犯であること、何か強大な後ろ盾を有していること以外は判明していないから、犯人の目的や今後の犯行を予知することはできない。」


「そうですか……。」


「期待に沿えなくて申し訳ないけれど、私もエスパーではないからね。」


 きっぱりと言い放つ心美に、武田は深い溜息を吐いて物憂げに目頭を押さえる。


「班長、到着いたしました!」


 ドライバーからと呼ばれた武田は、短く返事をして俺たちの方に向き直る。


「おふたりにはこれから、栄泉リゾーツが離島に所有しているホテルへと向かうため、ボートに乗り換えていただきます。」


「な、何故わざわざ離島のホテルに連れて行くんだ。」


 俺は心美のボディガードとして警戒を怠らず、最低限の説明を求める。


「1つは、我が社が所有している他の近場の宿泊施設は何処も満室であるということ。もう1つは、離島のホテルならば四方海に囲まれた天然要塞として、おふたりの身の安全を確保しやすいということです。」


 理路整然と理由を述べた武田の言葉に嘘偽りはないようで、心美とアイコンタクトを取った俺は彼女の手を取って車を降りる。


 すると眼前には、果てしない大海原が広がる埠頭ふとうが現れた。夏真っ盛りの熱帯夜に吹きすさぬるい潮風が、俺たちの肌をねぶるように撫で回す。


「ボートに乗ったら一直線に離島へと向かいます。」


 俺たちは若い黒服たちの誘導に従い、その中の数名と共に、埠頭の先端に停泊していたボートに乗り込む。


「我々も後程合流致します。離島のスタッフにも事情は行き届いておりますので、一先ず今日はゆっくりとお休みください……。」


 武田は今一度深々と頭を下げて俺たちを見送ると、高級車に乗り込んで元来た道を引き返して行った。



 §



 黒服の操縦で穏やかな海上を突き進むボートの揺れに身を任せて美しい白髪を靡かせながら、心美は先程までとは異なり、至って真剣な表情で呟く。


「堅慎、覚悟しなさい。今回の事件、一筋縄では行かないわ。」


「あぁ。下手したら、今までで一番デカい案件になるな……。」


 心美の探偵としての嗅覚は、栄泉リゾーツを巡る不可解な事件がかもし出す得体の知れないきな臭さを敏感に感じ取っていた。


「さっきも言った通り、私たちを事件から排除するつもりなら、あんな小細工はしないはずよ。むしろ、犯人は──」


「名探偵・茉莉花心美を、事件を餌に誘き出そうとしているようだ、だろ……?」


「えぇ。だから、最大限用心するのよ。」


 心美の見立てが正しいのならば、事件の黒幕は心美を殺す素振りを見せつつ、手榴弾などによって敢えて手の内を明かすような真似をして、真の目的を隠そうとしているようにしか思えない。そんな俺たちの嫌な予感を象徴するかのように、闇夜に紛れて不吉な黒雲が空を覆い尽くしていた。

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