Ep.2 1億円の代償

「うわっ、マジかよ……。」


「なに、本当に振り込まれてたの!? ちょっと見せなさいよ!」


 俺たちは謎の老紳士から持ち掛けられた依頼を受託した翌日の夜、コンビニへと出掛けたついでに、半信半疑でATMに立ち寄った。そして、前金として支払われると約束されていた大金が、しっかりと振り込まれていることを確認することができたのだ。


「やったじゃない……! これで当面の探偵事務所の経営状況は安泰だわ!」


 心美は人目もはばからず、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを露わにする。


「この馬鹿……! お前は自分の置かれている立場をもう少し考えろ……!」


 心美はその稀有な才能故に、彼女の存在を目の上のたんこぶのように考えている勢力も少なからず存在する。俺はなるべく小声で耳打ちするように、彼女へ目立たない振る舞いを心掛けるようにと口酸っぱく忠告した。


「堅慎ってば考え過ぎよ! だって億よ、億! 夢じゃないのよ!」


 それでも、くるくると跳ね回り、真っ白なワンピースとつややかな白髪をなびかせながら、心美は子どものように無邪気な笑顔を浮かべている。


「やっぱり、私の探偵としてのブランド力は衰えていなかったんだわ! こんな巨大案件、私の全盛期にも中々来なかっ──」


「だからだよ!」


 危機感に欠ける心美の態度に、得も言われぬ焦りを感じた俺は心美のか細い腕を引き、コンビニの店内から慌ただしく外に出る。


「な、なにするのよ……。」


「俺は心美の探偵としての才も名声も疑ったことはない! だからこそ、そんなお前を逆恨みするなり嫉妬するなりして襲い掛かって来る輩が居ないとも限らない。そういう奴等やつらから心美を護るために、危険を避けたり忠告したりするのも俺の仕事のうちだ。いいな!」


 ──やっぱり、俺はこいつと居るとどうも説教臭くなってしまうな……。


 心美は、幼少期から高い知能に恵まれていたために周囲と考えが合わず、馴染むことができなかった。加えて、アルビノ特有の六花りっかのように美しくも白過ぎる容姿から、いつも社会の爪弾き者とされてきた。そんな心美を育てていく自信を失ったのか、理由は分からないが気付いた頃には彼女の両親は失踪していた。俺はそんな心美の親代わりとして、この命に代えても絶対に護ってみせると誓ったのだ。


「す、すまん。怒鳴るつもりはなかったんだ。本当に、ごめん……。」


「謝らないで。私の方こそ、年甲斐もなくはしゃぎ過ぎたわ……。堅慎が私を想ってくれているのは昔から分かってるから、気を付けるようにする。」


 く言う俺にも、親と呼べるような存在はもう居ない。酒とドラッグに身をやつした父親は家庭内暴力の常習犯で、そんな父親による苛烈な暴力に耐えかねた母親は家族が寝静まった夜に、一酸化炭素による一家心中を図った。気が付いた頃には俺だけが病院で目を覚まし、両親が他界したことを知らされた。


 今も昔も、そのことで感じるものは何もない。俺にとって大切なのは、眼前でしおらしく反省の顔色を浮かべる幼馴染だけなのだ。だからこそ、俺も彼女の存在に助けられているのかもしれない。


 ──ザッ、ザッ。


 その時ふと直感的に、何者かが複数人で、足音を殺しつつ俺たちの背後に近づいてくる気配を感じ取った。


「堅慎危ない!」


 刹那、背後から棒状の鈍器が風を切る音が耳元に迫り、咄嗟に飛び退く。


「ちっ……!」


 心美が発した警告のおかげで間一髪回避することができた俺は体勢を立て直し、今まさに俺をその毒牙に掛けようとした謎の男たちとコンビニの駐車場で対峙した。


「くそっ、今のをかわすか!」


「おい、どうする。茉莉花心美が本物だとすれば、護衛も相当な手練れのはずだ。俺たちに太刀打ちできるかどうか……。」


「どうするも何も、やるしかない。姿を見られた以上はな──」


 そう言うが早いか、卑怯にも不意討ちを仕掛けてきた片割れが、俺に向かって再度鉄パイプを振り下ろす。


「てめぇら、心美を狙いに来た刺客か!」


 俺は鉄パイプを両手で受け止めると、強烈な前蹴りを繰り出して武装を解除させる。


「ぐぁ……!」


「答える気がないなら、今からそのに直接聞いてやるよ!」


「待ちな! そこまでだ!」


 俺の反撃によって堪らず転倒した凶漢に奪った鉄パイプを振りかざす手を止めて、声のする方へと目線を向ける。あろうことか、知らぬ間に心美の背後を取った男の仲間が、彼女の首元にナイフを突き付けていた。


「残念だったな。ゲームセットだ──」


 凶漢はそのナイフで、迷いなく心美の頸動脈を切り裂こうとする。


「心美! しゃがんでろ!」


 夜の帳を切り裂くような咆哮と共に、俺は心美を拘束している憎き男の顔面目掛けて鉄パイプを投げつける。すると、彼女は涼し気な面持ちで、凶漢が怯んだ隙にしゃがんで拘束を解いた。


「この、汚い手で私に触れないでよ……!」


 次に心美は、誰が見ても分かるような凄まじい威力のローキックを、倒れ込んだ凶漢の顔面にお見舞いする。


「がぁあああ!!」


 彼女の無事を確かめつつ、顔面を押さえて悶え苦しむ凶漢を取り押さえようと、俺は透かさず歩み寄る。


「残念なのはてめぇらの方だ。相手が悪かったな。」


「そういうこと。私はね、小さい頃から昼間は外出できなくてずーっと暇だったから、護身のための格闘技はお手の物なのよ。」


 そう、心美は日中に外で活動するにはあまりにも不便な体質故、暇を持て余していた彼女はいつの間にか空手の有段者に上り詰めるまでの実力を手にしていた。そんな彼女の渾身の蹴り技をまともに喰らった男は、堪らず鼻血を吹き出している。


「くっ、大誤算だ、逃げるしかねぇ!」


「っ、逃がすか!」


 顔を押さえて呻く男にもう片方が手を貸して立ち上がらせ、それぞれ尻尾を巻いて退散しようとするのだが、手負いの人間相手に追い付けないほど、こちらも鈍間のろまではない。


「しつこいぞ……! これでも喰らっとけ!」


 すると、いの一番に身を翻して駆けだした凶漢は、全力疾走しながら懐から球状の物体を取り出したかと思えば、こちらに向かってそれを後ろ手に投げつけてきたのだ。まさか──その3文字が頭をよぎった時、既に俺の防衛本能は最大級の警鐘を鳴らしていた。


「心美伏せろ!」


「え、えぇ!」


 走り去る凶漢共と後を追う俺たちの中間点で地面に落下した謎の物体は、突如として放射状に閃光を放ちながら、耳をろうさんばかりの破裂音を伴って爆発する。俺は咄嗟の判断で、伏せる心美に覆い被さって爆発の衝撃の身代わりになった。


「うっ……。心美、無事か!?」


「堅慎! 貴方の方こそ、大丈夫なの……!?」


 ほとばしる熱波によって少々背中が焼けただれるような感覚があるが、もし爆風が心美を襲っていたらと考えれば、俺の傷など何の問題にもならない。


「気にするな。しかし、拙いことになった……。」


 まず、たった今強襲してきた凶漢共を取り逃がしてしまった以上、奴等の正体は分からず終いだ。加えて、警察だの野次馬だのが駆けつけてくればアルビノの心美はすぐに目立ってしまう。コンビニで働いている店員には悪いが、俺たちはこの周辺に居を構えていることが知られては困るので、いち早く現場を後にした。



 §



「やっぱり火傷しちゃってる! どうしよう……!」


「別にこのくらい、大したことないって……。」


 郊外の少し奥まった場所にある探偵事務所に帰還した俺たちは、その辺に投げ捨てたせいでぐちゃぐちゃになってしまったコンビニ弁当を食べながら、先程の襲撃犯の正体について考察していた。だが、服を脱ぐときに少し呻き声を上げてしまったことで心美に重傷を疑われた俺は、無理やり傷の手当てをされることになってしまった。


「俺もまだまだだな。たかが2人相手に苦戦して心美への接近を許すなんて。」


「悲観的になる必要はないわ。相手は武装していたし、平然と不意討ちしてきた下種だもの。」


 心美が俺の創部に氷嚢ひょうのうを当てながら、恨めし気につぶやく。


「それにしても、堅慎が手こずるだなんて。あいつら特段強くはなかったけれど、完全な素人でもなかった。」


「それにあの手榴弾。一体どこで手に入れたのか……。」


 心美は俺たちの命を刈り取ろうとした手榴弾から、犯人の正体を特定できないものかと思慮を巡らせていた。


「一瞬だけ見えたあの球形、素人が自作したには出来過ぎだわ。威力も無駄なく適切に調整されたものだったから、おそらくは既製品よ。」


「えっ……?」


「何処からか武器を調達してきた組織がバックについていて、彼らを刺客として送り込んだという可能性が、現時点では濃厚ね。」


 早速ながら、一世を風靡ふうびした名探偵として才能の片鱗へんりんを見せつける心美に対して、俺は率直な疑問をぶつける。


「心美の推理が仮に正しかったとして、その組織の目的は?」


 彼女は暫くの間逡巡する様子を見せた後、平然と答える。


「今まで通り考えるのなら、私の存在を良く思わない国際犯罪組織とかでしょうね。でも、そうだとしたら私たちの居場所や行動が彼らに筒抜けになっていることがおかしい……。」


「なるほど……?」


 俺は続きを促すように相槌を打つ。


「多分だけど、先日受けた依頼と何か密接な関係があると踏んだわ。例えば、私たちに依頼内容を伝えに来た老紳士を何処からか尾行して、私たちの探偵事務所を嗅ぎつけたとか、ね。」


 なるほど、筋は通っている。だとすれば、受託した依頼を遂行していく過程で、その組織の正体にも迫っていくことに繋がる訳だ。などと悠長に構えていた俺の脳裏にふと、落雷のような閃きが走る。


「いや……! その推理がもし的を射ているのだとしたら、かなり拙い!」


「そうね……。すぐに行動すべきだわ。」


 そう。たった今、心美によって披露された一連の推理が見事的中しているのだとすれば、俺たちの本拠である探偵事務所の位置が敵対組織に全て把握されていることになる。彼女も俺と同じ考えに行き着いたようで、瞬時にその表情を強張らせる。流石の俺でも、組織とやらが何人いるのかは知らないが、武装した人間をそう幾人も相手にできるほどの余裕はない。


 ──ピンポーン。


 次の瞬間、辺りは凍り付くような静寂で包まれた。

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