Ep.4 栄泉リゾーツの受難

「ようこそお越しくださいました。私は当ホテルの支配人──真島まじま大悟だいごと申します。」


「ど、どうも。」


 離島へと到着し、黒服の案内で数分歩くと、我が探偵事務所にも負けず劣らずの豪華絢爛な装飾が施された、風情ある一流のホテルといった外見の建造物が見えてくる。そして、入り口前まで出迎えに現れた男は、ホテルの支配人を名乗った。


「事情は武田さんから聞き及んでおります。岩倉様、まずは医務室へとご案内します。」


 草木に囲まれた海沿いの広大な敷地にひっそりとそびえ立つ宿泊施設など、語弊を恐れず言えば、いわく付きの低級なものだと考えていた。だが、その予想に反して、ホテルは専属医師駐在の医務室まで完備している徹底ぶりだ。


「治療は受けさせてもらうが、心美も一緒だ。」


 俺はボディーガードとして、彼女から一時も目を離す訳には行かない。


「承知しました。では、おふたりともこちらに。」


 警戒心を緩めず、少々物言いがきつくなってしまった俺に対して嫌悪感を示すこともなく、懇切丁寧な態度で接する真島によって医務室まで案内された俺は、そのまま火傷の治療を受けることになった。



 §



「浅いですが、Ⅱ度の熱傷が広範囲に及んでいますね。さぞ痛かったでしょう。」


 俺の背中にある火傷痕を見て、年配の男性医師は淡々と診察結果を告げながら治療に当たる。


「そんな、大丈夫なの!? 傷跡は残ってしまうの? 後遺症は? 死なないわよね堅慎!?」


 心美は大袈裟おおげさ狼狽ろうばいし、治療中の医師の腕を揺すって詰問きつもんする。探偵として生まれ持った天性の推理力は非常に頼りになる彼女だが、相棒である俺の身に関わることとなるとはっきり言って、ポンコツである。


「はいはい、先生の邪魔をしてはいけませんよ……!」


 傍で待機していた若い女性看護師が心美を医師から引き剥がす。


「傷跡については何とも言えませんが、少なくとも後遺症などはあり得ません。ご安心を。」


 医師の言葉を聞いた心美は、新雪のように美しい顔を一層白くさせてへたり込んでしまう。


「ごめんなさい! 私のせいで、堅慎をこんな酷い目に……。」


 心美は一度こうなると、なかなか機嫌を直してくれない。俺が何と声を掛けようか逡巡していると、医師は冷静に告げる。


「とは言え、傷跡に関してはそこまで心配する必要はありません。応急処置としてすぐに創部を冷やしていたようですし、それが功を奏したため治療もそれほど手間取りませんでした。すぐに治りますよ。」


 医師は柔和な表情を作って、悲愴感ひそうかん漂う心美を慰めるように声を掛ける。


「そ、そうだよ。心美が無理言って手当してくれたおかげで何ともなかったんだから、感謝しかない……!」


 医師の言葉に同調するように、俺も心美を励ます。


「私さえ居なければ、堅慎が怪我をすることもなかったのに……。」


 ──


 それは心美が朧気おぼろげながらも、唯一覚えている両親から掛けられた言葉だ。アルビノとして生まれた彼女をうとましく思った彼女の両親は、常に心美の存在を呪っていたと彼女自身が昔、俺に対して語ったことがある。心美はそんなことを気にも留めていないかのように気丈に振舞っているが、こうして時たま、かつてのトラウマを口に出していることからも分かるように、深層心理では俺とは比べ物にならないほどの深い傷を負っているに違いないのだ。


「心美、俺の目を見ろ。」


 床に座り込んで俯く心美の顔に手を添えて、強制的に俺の方へと向ける。


「俺は心美に雇われたガードマンとして命に代えてもお前を護る。そうだな。」


「う、うん。」


「だけど、それは建前の話だ。俺は幼馴染として、大切な家族として、心美を護る責務を感じてる。お前の代わりに負う傷なんて、俺にとっては全てが勲章なんだよ。」


 心美はルビーのような紅眼を見開いて俺の手に自分の手を重ねると、笑顔で答えた。


「ありがとう。たまには格好良いこと言うじゃない……。」


「う、うるせぇな。小恥ずかしいこと言わせんな……!」


 照れ隠しに憎まれ口を叩くも、その美しい宝石から雫が零れ落ちる前に彼女を勇気付けられたことを心から嬉しく思う。


「あの、治療はお済でしょうかね……?」


 いつから見られていたのか、ホテルの支配人・真島が俺たちの背後にある医務室の扉から、こちらの様子を窺うように尋ねる。


「えぇ! 今し方終わりましたよ!」


 俺は慌てて飛び跳ねるように心美から離れる。


「もう夜も更けておりますので、早くお休みになりたいことかと存じますが、少々連絡しておかなければならない事項がいくつかございますので、暫しお付き合い頂けますでしょうか?」


「はい、勿論です。」


 動揺を隠せない俺の代わりに、あっさりと落ち着きを取り戻した様子の心美が答える。完全無欠な天才探偵の世間体故か、人前だと分かるや否や、変わり身が早い。


「まずはお部屋までご案内します。付いてきてください。」



 §



 真島に連れられるまま乗り込んだエレベーターは、迷うことなく最上階を目指していた。


「おふたりは当ホテルを所有しておられる栄泉リゾーツの顧問探偵──すなわち賓客ひんきゃくとして、最大限のおもてなしをするよう仰せつかっておりますので、最上階のスイートルームをご用意しました。」


「あら、気が利くじゃない! こんな良さ気なホテルのスイートルームだなんて、すっごく楽しみだわ!」


 そう言って子供じみたはしゃぎ方をする心美を余所目に、俺は真島に問いを投げかける。


「エレベーターは数台ありましたが、どれも使われていないようでボタンを押したらすぐに1階へ降りてきましたよね。他に客はいないのですか?」


 すると真島は、ぽりぽりと頬を掻きながら口籠くちごもる。


「お恥ずかしながら、仰る通りでございます。栄泉リゾーツが所有する宿泊施設が立て続けに風評被害に遭っていることについては、既にご存じかと思いますが。」


「えぇ、聞いてます。」


「離島のホテルということもあり、日本人の客足が遠のいた結果、百前後ある当ホテルの客室はほぼ空室となっておりまして、本日に至っては数名の外国人観光客の方が利用しているのみです。」


 なるほど。度重なる栄泉リゾーツへの嫌がらせ行為によって客足が途絶えたために、このホテルには評判を良く知らない離島に観光に来ただけの外国人観光客しか訪れなくなったという訳か。

 

 ──チーン。


 エレベーター上部に設置されたパネルには10Fと表示され、フロアへの到着を知らせる電子音が鳴り響く。


「それでは、こちらです。」


 扉を押さえる真島に軽く一礼をして俺たちは最上階である10階の廊下に降り立つ。真島に導かれるまま突き当りまで歩を進めると、明らかに異質な高級感を放つ部屋の扉が目に入った。


「こちらがスイートルームになります。」


 開け放たれた扉の先には、元々格調高い雰囲気のあったホテルの内装とはまた一風変わった、より高級感のある、西洋風の家具が取り揃えられた広々としたツインベッドの部屋があった。


「堅慎見て! ベッドがふかふかよ!」


 心美はいつの間にかベッドにダイブして、その柔らかな感触を堪能していた。世間体とやらは何処に行ったのか、ゴージャスなスイートルームの装飾に胸を膨らませた彼女は我を忘れたように跳ね回っていた。


「す、すみません。あれでも我が事務所が誇る敏腕探偵・茉莉花心美本人です……。」


「えぇ。失礼ながら、特徴的な風貌でいらっしゃいますので、疑ってはおりません。」


 そう言うと、真島はひとつ咳払いをして、その表情を強張らせる。


「そろそろ、本題に入らせていただいてもよろしいでしょうか。」


 刹那、部屋全体に緊張が走ったことを察知した心美が駆け寄って来る。


「ええ。お願いしようかしら。」


 そう言って腕組みする心美は、すっかりへと移行していた。


「再三言及している通り、当ホテルの所有会社である栄泉リゾーツは正体不明の犯罪組織から夏の繁忙期を狙って不可解な嫌がらせを受けています。」


「死者が出たことは未だかつてありませんが、爆発騒動にボヤ騒ぎ、果ては食堂にてビュッフェスタイルで提供している料理への異物混入など、枚挙に暇がございません……。」


 神妙な面持ちで俯きながら、ぽつりぽつりと話す真島の顔には疲労感が滲み出ていた。


「相次ぐ被害によって施設利用客の激減は如実に表れていきました。曰く付きの烙印らくいんを押されてしまったホテルで、前任の支配人は次々と自主退職していったため、肩書上ではありますが今は私が支配人を任されております。」


 言われてみれば、この真島という男は少々窶やつれているために年老いた印象を受けるが、良く顔を見ればまだ30代かといったところだ。


「被害は数年間にわたって継続しております。無論、栄泉リゾーツも総力をあげて犯人の特定を試みていますが、分かったことは組織的な複数犯であるということのみです。おそらくは、社の保有する宿泊施設の世間的な信頼を失墜させるために動いているものかと……。」


「それなら、既に私たちも把握しているわ。」


 心美は俺たちが直面した事態をつまんで真島へと説明した。


「なんと、そのようなことが……。」


「顧問契約を結んだ以上、もはや貴方の悩みも私たちにとって決して他人事ではない。だからこそ、貴方も私たちを全面的に信頼して知っている事は全て話して頂戴。」


 何か含みを持たせるような心美の言葉に、真島は困惑する。


「私の知っている事は、これで全てですが……。」


 心美はやれやれと言った様子で口を開く。


「栄泉リゾーツの施設が夏の期間に被害を受けることが分かっているのに、何故警備を強化したり対策を講じたりしないのかしら。ざっと見てきた限りだと、このホテルも警備員は受付に1人しかいなかったわ。」


 確かに、事件の発生時期と場所がある程度限定されているのであれば、被害を想定して事前に厳重な警戒態勢を整えておくこともできるはずだ。


「それは、当ホテルの立地故に、未だかつてここで事件が発生したことがないためです。また、明後日までに離島周辺は局地的な嵐に見舞われるという予報が出ておりますので、数少ない宿泊客の皆様に対応できるだけの人員を残して、他の従業員には帰宅を命じております。」


 真島はいけしゃあしゃあと、驚愕の事実を言い放った。


「なんですって……!? 武田は離島が悪天候で帰れなくなるってのにこんな辺鄙へんぴな場所に連れて来たの!?」


 真島の言葉に心美は怒り心頭と言った様子で食って掛かる。


「お、落ち着いてください! だからこそ、でございます!」


「どういうことですか?」


 俺は冷静を装って真島に続きを促す。


「茉莉花様は現在、我々を陥れている犯人グループと同一組織と思われる連中に狙われていると伺っております。そのため、悪天候で外部と遮断される孤島にある施設の方が御身を保護しやすいと判断した、武田さんの命令です。」


 心美は続けざまにまくし立てる。


「それにしても楽観的なことね! 今まで一度も被害に遭ったことがない施設だから大丈夫だろうだなんて。それにしたって警備を強化するのに越したことはないはずだわ。」


 頭に血が上りながらも、心美は至極真っ当な意見を述べる。


「それについては返す言葉もございません。ですが、栄泉リゾーツは毎年夏の書き入れ時に風評被害を受けるものですから株価が大暴落している最中でございまして、莫大な損失が発生したことにより人的にも経済的にも、リソースに余裕はないのです。」


 真島は自身の置かれた窮状きゅうじょうを訴えるように語気を強める。


「加えて、この度栄泉リゾーツは武田さんを班長としたを組織致しましたので、日本各所にある社の宿泊施設にひと夏の間、常に十分な警備員を配置するため警備会社に外注することも自社で人員を用意することも叶わない状況でございます。何卒、ご理解を……。」


「だからって、海や悪天候といった自然現象を警備員代わりとはね。」


 心美は呆れたように吐き捨てる。


「ですが、ご安心ください。契約内容には茉莉花様の護衛が含まれているため、当ホテルの従業員は私含め実践的な護身術を備えた熟練者ばかりでございます。有事の際には、お近くの従業員へ助けを求めてください。」


「あぁ、そう。それは大層頼りになるわね。ふわぁー……。」


 心美は憎まれ口を叩きながら大きく伸びをしながら欠伸をする。時刻は午前3時を回ろうかというところ、コンビニ前の暴力沙汰から離島のホテルに辿り着くまであっという間に数時間が経過していたことに、本能的な睡眠欲求によって気が付かされる。


「長話となってしまい失礼致しました。続きは後日改めてお話ししましょう。一先ず今日のところは、ゆっくりとお休みください。」


 深々と頭を下げてから、真島は部屋を後にした。


「心美、疲れただろう。もう遅いから、いつでも動けるようにしっかり寝ておけ。」


 俺はベッドに寝そべる心美の傍に近づいて、その美しい銀糸の束を撫で付ける。すると彼女は勢い良く寝返りを打ってこちらを振り返る。


「堅慎、怖かった……。」


 彼女は緊張の糸が切れたかのように、ふるふると肩を震わせて俺の服にしがみつく。流石の名探偵・茉莉花心美も、本来の姿は常人と何ら変わらない、ただの女の子だ。


「大丈夫だ。もうお前を傷つけようとする輩はここには居ない。」


 俺は彼女を安心させるようにベッドのかたわらに膝を突いて、背中を優しく叩いてやる。


「堅慎もしっかり寝ておかないと明日以降の仕事に支障がでるわ。ほら、おいで……。」


 そう言って心美は布団をめくって隣のスペースをぽんぽんと叩く。


「い、いやいや! 俺はこっちのベッドで寝るからいいよ!」


 一体何のためのツインベッドだと、俺は断固として主張する。


「ダメよ。これは所長命令だから。所長のメンタルケアも貴方の業務のうちだわ。」


 もっともらしい詭弁きべんを弄する心美に言い包められるようにして、俺は彼女が空けた僅かなスペースにすっぽりと収まって布団を被る。流石にそう何度も所長命令に違反するようでは、彼女の相棒は務まらないと自分自身に対して必死に言い訳しながら。


 心美は本来、誰もが生まれながらに両親から受けるはずの無償の寵愛ちょうあいというものを知らない。それどころか、彼女は誰からも愛されたことがないのだ。代わりに、その人間離れした知能と陶器のように透き通った肌色によって迫害されてきた過去を持つ。


 幼い頃から唯一の親友だった俺が心美に対して、探偵として才能を発揮するべきだと進言したのは彼女が16歳の時だった。彼女は多岐にわたる事件解決に協力したことでめきめきと頭角を現し、世界的な名声を得るまでになった一方で、彼女の才能を邪魔だと考える勢力は今でも彼女の命を狙っている。


 俺は心美に探偵になれなどと言わなければ良かったのだと今でも後悔しているが、それを口にすると彼女は、自身の生きる意味を見出してくれた俺に感謝していると言い切る。だから俺は、せめて心美の命だけは何があっても護るという責務を感じるのだ。


 そんな彼女はずっと孤独に暮らしてきた反動で、人に対する甘え方を知らない。俺のことを心の底から家族同然だと思ってくっ付いてくる上、男女としての距離感というものも良く分かっていない。俺は彼女の信頼を裏切らないように、すやすやと眠る彼女の横で大人しく羊の群れを数えることで精一杯だった。

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