寺のバナナ

 僧は一日のうち、どのくらい「バナナ」のことを考えるだろう。小堀遠州の庭の、苔むした灯籠の傘に、四つに剥かれたバナナの皮が屋上屋を架すように被っているのを見ている客の、一体何パーセントが、バナナのことを考えるだろう。ツムツムをやっている人は、どのきっかけでバナナのことを考えるだろう。拝観料を払い、靴袋を受け取った途端「この袋にはバナナが入ってない」などと嘆くのはおかしいだろうか。京都の名刹の水屋の戸袋には現時点で一体何房のバナナが隠されているだろう。

 「あなたはいつだってバナナのことばっかり」と嘆いていた彼女だってバナナのことばかり考えていた。彼女は今も、口いっぱいにバナナを咥えていることだろう。それは、スミフル? ドール? チキータ? デルモンテ?

 勤行に勤しむ僧の一人一人の頭頂部にそれぞれ一枚ずつペンギン印のバナナシールが貼られている。バナナ地獄。見物客は全員が笑いをこらえている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る