第8話 精霊に惚れてもいいですか?

 チャンセは大人の魅力に溢れている。

 童貞の俺には刺激が強すぎる。


 中学高校時代は陰キャでアニメオタクだったので、女子と話す機会は全くなかった。たまに業務連絡みたいに話しかけられても、照れ隠しできつい言葉で対応していたので、クラス中の女子から嫌われてしまった。


 大学に入ってからはパチンコ三昧ギャンブル三昧で、女性と関わる機会はもう限りなくゼロに近かった。パチンコ屋の店員やコンビニの店員などといった仕事中の女性以外で、俺に話しかけてくるのは怪しい宗教の勧誘くらいだった。


 そんな女性免疫がほぼゼロの俺の目の前に、堪らなく色っぽい大人の女性が座っている。俺の目をじっと見つめて話を聞いてくれて話しかけてくれる。それだけで、この異世界に転生してきて良かったと思える。



「チャンセはさ、何で他の精霊みたいじゃなくてそんなに人間みたいなんだ?」


「私は偶像に過ぎませんわ。あなたが見たいものが私として投影されているのです。心当たりはないのですか?」



 そう言われると、似ている。俺の初恋の女性に。高校受験のために雇っていた家庭教師の大学生の雰囲気に凄く似ている。中学生だった自分には大学生の彼女が凄く色っぽく、魅力的な大人の女性に見えていた。


「私は癒しの精霊ですもの。あなたが癒されたいと思った対象が、この私ということなのでしょうね」


 一度、思い出すと、もうその家庭教師にしか見えなくなってきた。忘れていた初恋が顔を出したように、胸がドキドキしてくる。


 もしかしたら、俺はチャンセに恋をしているのかもしれない。この胸の高鳴りは、初恋のそれによく似ている。精霊とは言え、見た目は完全に人間なのだ。前回の召喚の際に、抱き締められた時のぬくもりは人のそれと変わらなかった。あのぬくもりに恋をしたのかもしれない。


 精霊を召喚すると二十四時間以内に能力を使わなければならないが、裏を返せば二十四時間は一緒に過ごせるということだ。チャンセの当選確率はかなり低いとのことなので、せめて今回はギリギリまで一緒に過ごしたい。幸いなことに、この付近には魔物とかドラゴンとか敵はいないようだし、今のところは怪我も痛いところもない。話し相手として側にいてくれるだけでも、かなりの癒し効果がある。



「チャンセ、どんな願い事でも叶えてくれる?」


「それがあなたの癒しになるのなら、最大限私は尽くしますわ」


「あの、それじゃ、キスとかハグとか、その先なんかも出来ちゃったりしちゃったり?」


「それは別にいいのですけれど、そんなことに願いを使ってもよろしいのでしょうか?」


「え?それはどういう?」


「テントの外に魔物の気配がしますわ」



 チャンセの言葉を受けて、俺はテントの外に目をやった。特に変わった様子はなく、魔物の影も見えない。


「チャンセ、断るのにそんな冗談はひどいよ……」 


「空から降ってきますわ」とチャンセは語気を強めた。



 慌てて空に目をやると、大きな翼を持った馬のような生き物がこちらにめがけて猛スピードで近づいて来ていた。


 なんだありゃ?


 ドーンという激しい音を立て、その生き物が地面に着地した。頭には一本の角が生えていて、真っ黒な胴体に白い翼が生えている。ユニコーンが実際に存在したとしたら、こんな感じかもしれない。


 ユニコーンはこちらを見つめて、視線を外さない。目を逸らしたら襲われそうで、俺もユニコーンから視線を外せない。どうすればいい?突然過ぎる展開に思考が追い付いてこない。


 何も武器になるようなものはない。

 例の呪文を唱える余裕もなかった。


「雲外さん」と背後からチャンセに声をかけられて振り返った瞬間に、俺の体は宙を舞っていた。浮遊能力を手に入れた訳ではない。ユニコーンの角に突き刺され、投げ出される形で空を飛んでいたのだ。


 腹部に激痛が走った。ユニコーンの角が貫通したのかもしれない、呼吸が上手く出来ずに苦しい。テントから数メートル先に落下して、背中を強打した。意識が遠のいてゆく。ぐわんぐわんぐわんと空が回っているように見えた。この苦しみの感覚を俺は知っている。前世で、俺が死ぬ間際に感じた痛みにそっくりだった。


 こんな一瞬で、状況が一変するとは思ってもいなかった分、死ぬことへの恐怖が倍増して襲ってくる。いずれ殺されるにしても、今ではないと思い込んでいたのだ。異世界ということを甘く見ていた訳ではないが、あまりにお粗末過ぎる展開に、涙が溢れてくる。結局、この世界でも俺は何も出来ないのか。


 ユニコーンが空に飛んでいくのが見えた。その姿はあまりにも美しく、この世のものとは思えない。ああ、そうか。ここはもう既に俺の知っているこの世ではないんだった……


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