第28話 泣き顔と笑顔
閑静な住宅街の中、小さな公園のブランコに能勢となつみは座っていた。
正方形をした公園の周りを緑の木々が取り囲むように植えられ、テニスコートより少し大きいぐらいの敷地の片隅にはブランコが設置されていた。そのブランコは子供用なのだろう。地面との距離が近く、完全に足を伸ばした状態では能勢もなつみも座ることができなかった。
「能勢さん、本当にすみません」
なつみはため息をつき、弱々しく能勢に謝った。
泣き止んではいたが、しょんぼりとブランコに足を投げ出して座っている。
なつみの着ている空色のワンピースも元気をなくし、うなだれているようだった。
「謝らないでよ。私たち友達なんでしょ?」
能勢は笑いながら言った。
なつみの涙で服の肩口から脇腹ぐらいまでぐっしょりと濡れてしまっていたので、能勢は持ってきたジャケットを羽織っていた。寒い季節ではなかったが、風が吹くと涙の水分が体温を奪っていくのがわかる。
でもそんなことはどうでもよかった。服が濡れたことも、急になつみが泣き出したことも能勢は何も気にしていなかった。
それよりも感情のまま泣くことができるなつみがまぶしくて、羨ましく、そしてそれ以上に愛おしいと思っていた。
自分の気持ちを素直に伝えられること。涙を流せること。自分の中の弱い部分を人に見せられるのは、それ以上に強い芯の部分あるのだと思った。
能勢は心の中でため息をついた。自分はやりきれない思いを勝手に解釈し、意味もなく膨張させていた。そして、そんか膨らました思いに心が押し潰されて、いつも息ができなくなりそうになっている。
なつみみたいに、悲しいことや悔しいことにちゃんと向き合って、きちんと泣けたらよかったのに。感情に蓋をせず、を自分の外に出せたらよかったのに。そうしたら、もしかしたら大切なものを大切なもののままで持ち続けることができたかもしれない。
今もちぃちゃんと笑いあえていたのかもしれない。
一瞬見えたちぃちゃんの影に、能勢の思考と心は現実から乖離して、どこか暗い場所へと落ちていきそうになる。
「怒っていますよね」
なつみの声に能勢はハッとした。
ちぃちゃんの影は消え、隣には能勢の方を恐る恐る見ているなつみの瞳があった。目の前のなつみを置いてどこかへ向かおうとしてしまっていた。
「ううん、怒ってないよ」
能勢は、できる限り優しい笑顔をした。多分うまく笑えたと思う。
「でも、服が…」
なつみの視線が私のノースリーブへと注がれていた。ジャケットに隠れていない、脇腹の濡れた部分を見つめている。
「たいしたことないよ」
なつみの視線から隠すように能勢は脇を締めて、濡れた部分を隠した。
「能勢さんは優しすぎます」
なつみはまた泣きそうに、うつむいた。
「待って、待って泣くのは無しにしよう」
能勢は慌てて、なつみを止めた。
素直に泣けることを肯定していたのに、止めるのはおかしいのかもしれない。でも違うそうじゃない。その涙を能勢のために流してほしくないのだ。
「今日は、なつみのことがたくさん知れて、嬉しかったからさ。だから泣かないでよ。ね。また、こうやって遊べたら私は嬉しいからさ」
なつみは泣きそうな顔のまましばらく能勢を見つめていたが、そのうち急に正面を向いて無言でブランコを揺らし始めた。
能勢は戸惑いなら揺れ動くなつみを見つめた。
なつみを乗せたブランコは、ゆらゆらと能勢の目の前を通り過ぎていく。
能勢はどうしたらいいのかどうかもわからず、揺れるブランコを眺め続けた。
どのくらい見ていただろうか、ブランコの揺れ動く角度は座っている能勢の身長を超えていた。
「私悔しいんです!!」
突然なつみが空に向かって叫んだ。そのあとに続く言葉は、ブランコの揺れに合わせて、能勢の前を通り過ぎって行った。
「今日はお礼だったんです!償いだったんです!
私、今日能勢さんにお礼をしたかった!友達になりたかった!だか、いっぱい調べて、頑張った!能勢さんにきちんとお礼できたら、私は引き目なしに仲良くなれるって、そう思っていたんです!なのに、私は……私のことばっかり喋って、泣いて……。私は悔しいです!!私が泣いてる時間、もっと能勢さんと喋りたかった!!」
ブランコは大きく前後に揺れ続ける。悔しいとなつみは空に向かって叫び続けた。
何を言っていいかわからず、それでも何か、何かをしたくて、能勢は座っていたブランコから立ち上がって、前後に揺らし始めた。足で反動をつけて、徐々にブランコさ加速していく。
能勢はなつみと競いあうように、ブランコを揺らし続けた。
全力でブランコをするのはいつぶりだったろうか?
最初は加速するのに必死だったが、徐々に能勢は自身の体調がおかしいことに気づいた。胃のあたりから不快感が込み上がってきて、頭がクラクラした。
「ちょ、ちょっとなつみやめよう」
そう言って、足で地面を擦って、能勢はブランコを減速させた。
胃の違和感ははっきりとした不快感に変わっていた。
ブランコを止め降りると、能勢はそのまま倒れるように地面にうずくまった。視界がぐるぐるして、昼に食べたパンケーキが出てきそうだ。
隣でなつみもブランコを足で減速したのが音でわかった。
「だ、大丈夫ですか」
なつみが慌てて、駆け寄って能勢の背中をさすってくれた。
「大丈夫……。厶、ムキになってブランコし過ぎただけだから……」
不快感の波が収まるまで能勢は必死に耐えた。
自身の三半規管が弱さに腹がたつ。ただじっとうずくまって地面を見ていた。
そいえば前にはよく酔っ払って、こんな風にうずくまって吐いたなーと、そんなどうでもいいことを思い出す。嘔吐するぐらい飲んだ時は毎回、ひと思いに殺してくれと、わりと本気で思っていたっけ。
「能勢さんてバカなんですか?」
なつみは能勢の背中撫でながらそう言うと、声をたてて笑い始めた。
「ほんとバカみたいです。能勢さんも私も」
「……何が?」
「能勢さん、ありがとうございます」
「……え?だから何が?」
「何でもないです」
なつみが撫でるその手の平からは微かな温もりが伝わってきた。少しずつ、吐き気はおさまってきた。能勢は額にかいた冷や汗をぬぐって体を起こす。
「ごめん、ありがとう」
そう言って、なつみを見ると悪戯っぽい笑顔をして、ニヤニヤと笑っていた。
「私、能勢さん好きです」
「え?」
「服汚れていますよ」
なつみはニヤニヤした笑みのまま、ジャケットについた砂を払ってくれた。能勢は納得のいかないまま、自分でも服の汚れを払いとした。能勢はブランコの手すりを掴んで立ち上がった。
「歩けそうですか?」
「うん、ありがとう。もう大丈夫」
その能勢の言葉を聞くとなつみは上機嫌で、能勢の手を握った。
「能勢さん、まだパン屋さん間に合いそうです。急いで行きましょう」
「ちょっと、待って、今蹲ってたばかりだけど」
「歩いているうちに回復しますよ」
笑いながら、なつみは能勢の手を引っ張って歩き出した。
「今日はありがとうございました。急に泣いてすみません」
駅のホームでなつみが謝った。手にはパンが詰まった大きな紙袋を抱えている。
「そんなに何回も謝らないでよ。私はすごく楽しかったからさ」
そう言いながら能勢も大きな紙袋を抱えていた。
なつみの教えてくれた絶品パン屋さん。試食したパンが美味しすぎて、思わず買いすぎてしまった。
大きな紙袋を抱えた能勢となつみは、端から見たら変な二人なんだろうなーと思うと、自然と笑みがこぼれてしまう。
「そしたら、また、ご飯に行ってくれますか?」
紙袋で、顔が隠れながらなつみが言った。
「うん、もちろん。帰ったらすぐに連絡する」
「ありがとうございます」
顔が見えなくても、なつみが笑ったのがわかった。
到着のアナウンスが流れ、すぐに電車がホームに入って来た。
「私、この電車なので」
なつみはそう言いながら、能勢の真隣に並んだ。紙袋を持ったまま、横顔で能勢の方を見た。
「私も今日は楽しかったです。能勢さんと出会えてよかったです」
花のように笑うと、なつみは駆け足で電車に乗り込んで、両手で抱えていた紙袋を床に置いて、手を大きく手を振った。
ドアが閉まり、電車はゆっくりとホームから離れて行く。
能勢も慌てて、紙袋をホームに置くと手を振った。
それを嬉しそうになつみが見て笑っていた。
電車は加速して、すぐに見えなくなった。
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