第27話 パンケーキのあとに
パンケーキを食べた後に産地から茶葉を取り寄せたという紅茶を飲んで店を出た。
バターの余韻に浸りながら、私たちは裏通りのなだらかな坂を下っていく。この後はなつみが一推しするパン屋さんに行くことになっていた。
パンケーキを食べた後だが、美味しいパンとなれば別腹だろう。今日食べられなくても、明日の朝ごはんに食べればいい。
二人でそんな言い訳をしながら、歩みもゆるやかに進んでいく。
歩きながら、能勢となつみは家族のことや今住んでいる家、大学のこと、趣味やメイクなど、とりとめもない話をした。
なつみは服飾系の専門学校に通う一年生で、今年から一人暮らしを始めていた。
実家は、山間の小さな街で、都会の生活に憧れて出て来たという。焦がれが強すぎた結果、今は流行りのパンケーキやおしゃれなカフェについて調べまくっているとのことで、携帯に保存している行きたいリストには、一年かかっても到底回りきれないぐらい、大量のカフェがリストアップされていた。
話題は音楽の話になり、出会った日のライブハウスとその時出演していたバンドの話になった。
「私、本当に何もない田舎の学校だったですよ。でもネットで音楽は聴けて、ずっとライブハウスで好きなバンドを見ることが夢だったんです」
なつみは能勢よりも背が十センチ近く小さいため、前を見つめたままだと、隣を歩くなつみがどんな表情で話しているのか能勢からはわからない。
「この前出ていたバンド、高校時代からずっと好きで、初めてライブハウスでの演奏を聞けた時には、嬉しくて泣いちゃって。それからアルバイトを頑張って、ライブにも通って、グッズをたくさん買いました。今回のツアーが決まった時も自は分のことのように嬉しくて。目標にしていた武道館ライブも叶うかもしれないなって……思って。遠方のライブに行くためアルバイトも増やしました。たくさんの人に私の好きなバンドを見て欲しいな!思っていました……。でもダメだったんです」
坂道を降りた先は緩いカーブの十字路になっている。
「こっちです」
なつみが右側の道を指差した。そこからは平坦な道が続いている。進んでいくと次第に歩道の幅は狭くなり、いつのまにかあたりは閑静な住宅街になっていた。
「でも、私が馬鹿だったんです。自分の好きなバンドは解散しないって、勝手に思い込んで、支えているような気になっていました。今までだって、たくさんのバンドが解散してきたのに、好きだってことで周りが見えなくなっていたんです。一人で熱くなって、迷惑をかけてしまってすみません」
なつみが隣にいる私の顔を見上げた。綺麗に刈りそろえられたショートボブが揺れる。
「でも、もう私、吹っ切れたので大丈夫です。もっと大人になろうと思いますから」
そう言いながらなつみはぎこちなく笑った。
能勢は何も言えずになつみを見つめた。
なつみはすぐにうつむいて、目をこすった。
「ごめんない。こんなこと言うつもりじゃなかたんです」
そう言いながら前を向いて顔を上げたので、能勢からは再びなつみの表情が見えなくなる。
「今日、能勢さんとご飯に行くの、すごく楽しみしていました。私の話じゃなくて、能勢さんの話を聞きたくて、能勢さんのことを知りたくて、もっと……もっと仲良くなりたいなぁ、て思っていたのに。……思って、いたのになぁ」
なつみの声が上ずり、ぽたぽたとアススファルトに涙が落ちて、黒いシミを作った。ごめんなさい。と何度もなつみは謝った。
吃逆が聞こえ、なつみが俯いた。落涙に空色のスカートが、藍色に染まっていく。能勢はなつみの手を握った。
なつみの歩みが止まる。
胸の奥に生まれた衝動のまま能勢はなつみを抱きしめた。心を掴まれるような強い思いが身体中に波及し、抑えきれなくなる。
「大丈夫。大丈夫だよ。辛かったんだよね。大丈夫だから。私は、もっとなつみのことを知りたいよ。もっと仲良くなりたいよ」
それは、私があの日ちぃちゃんに言って欲しかった言葉、だったのかもしれない。
「ごめんなさ……」
腕の中でなつみがもう一度謝る。言葉の最後は嗚咽に混じっって聞こえなかった。
アスファルトのシミはどんどん大きくなり、能勢のノースリーブの肩口も涙で濡れた。それでも、能勢はなつみを抱きしめたまま、大丈夫と言葉を繰り返した。
閑静な住宅街には、他に歩いている人はなく、風が街路樹を揺らし通り過ぎるばかりだった。
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