第26話 夢のような時間
能勢となつみは駅構内に入り、カフェが集まっているエリアを散策した。昼には少し早い時間だったがすでに、多くの人が行き交い、混雑していた。
比較的空いていたコーヒーショップに入り、ブレンドコーヒーを二つ注文した。
「砂糖とミルクはどうされますか?」
店員さんの言葉に、能勢は迷わず砂糖とミルクを頼んだ。
「私は大丈夫です」
「え、何も入れないの?!」
「はい。私ブラックが好きなんです」
勝手に甘党だと思っていた、なつみがブラック派だと知って能勢は驚いた。
運ばれて来た角砂糖を四つ、ミルクを全部、能勢はコーヒーにいれた。なつみが、不思議そうな顔をして、能勢のコーヒーを見つめてくるので、ちょっと恥ずかしい。
デザートぐらい甘くしたコーヒーを能勢は口に運んだ。うん、美味しい。
「能勢さんて、変わっていますよね」
隣のなつみが急に真面目な顔で言った。
「え、何が?砂糖四つ入れること?」
そんなに変わった飲み方だっただろうか?
能勢は気まずくなって、コーヒーをカップソーに戻した。
「いや、違いますよ」
なつみが楽しそうに笑って言った。
「自分で言うのも変なんですけど、ライブハウスで泥酔してるお客を家に連れて帰るなんて、普通はしないじゃないですか」
「あーそっちか。うん、そうだね。私も初めて持ち帰りしたなー」
「毎回やっていたら親切を通り越して怖いです」
クスクスとなつみが笑った。
「能勢さんには本当感謝しているんです。こうやって、仲良くなれたことも嬉しくて。でもなんで泥酔している私を家まで連れて帰ってくれたんですか?それがずっと気になっていて。何か他意があったんじゃいかなって、私つい考えちゃうんです」
申し訳なさそうになつみが言った。
確かにそうかもしれないと能勢は思った。
見ず知らずの女の子を連れて帰るなんてどう考えてもおかしい。
能勢は、額に手を当てて、あの日、なつみが倒れたライブハウスの光景を思い出した。
感情が渦巻くライブホール。倒れた影。苦しそうな横顔。薄暗クローク。輝く照明と生み出された闇。静寂。絶望。後悔。
「なんでなんだろう?あの時は、なぜかこのまま一人にしといちゃいけないような気がしたんだよね。このままなつみを置いいったら、後悔するなって。気になって落ち着かなくなるなって思ったんだよね」
真面目に答えると、なつみが隣で能勢の顔を真剣に見つめていた。
「能勢さん、かっこよすぎませんか?今プロポーズされたら、私能勢さんと結婚するかもって思いました」
「なんでよ」
能勢は思いがけず真剣に語ってしまったのが恥ずかしくなって、視線をミルクと砂糖によって焦げ茶色になったコーヒーに落とした。
「ただ、なんとなく、心配だったの。泥酔した女の子をライブハウスの外に置いておくのが」
能勢はカップにティースプーンを突っ込むと意味のなく、くるくるとかき回した。柄にもないことを言ってしまった。恥ずかしさに顔が赤くなってくる。なつみはそんな能勢を見て、ニヤニヤと笑った。
「照れている能勢さん可愛いです」
「うるさいなぁ」
能勢はコーヒーを口に運んだ。甘いはずのコーヒーが少し苦く感じた。なつみは嬉しそうに能勢の顔を見つめた。
「能勢さん。改めてありがとうございます。介抱してくれたこと感謝しています。能勢さんに出会えてよかったです」
「そんな大した事じゃないからさ」
こんなになつみに思ってもらっているのに、泥酔したなつみを助けることで自身がもつ罪悪感を薄めたかったのではないか?と、捻くれて考えてしまう自分が嫌になる。
もしかしたら、なつみはちぃちゃんの穴埋め……。
不意に脳内に浮かんだ悪魔のような言葉に能勢はゾッとした。
なつみの好意につけこんでいるだけなんじゃないか。恥ずかしさが消えて、後ろめたさが心の中で鎌首をもたげた。
「そろそろ時間もいい感じなので、移動しましょうか」
なつみの言葉に能勢は我に帰った。
嫌な感情が心中で燻り続けている。
「うん、そうだね」
能勢はぎこちなく、うなづいた。
なつみが予約をしてくれたお店は表通りを抜けた先の路地裏で営業をしているお洒落なパンケーキ屋だった。
童話の世界から飛び出してきたようなパステルな可愛い外装をしていて、近づくとはちみつとバターの香りが漂ってきた。
高鳴る気持ちと同時にお腹がなった。
「二名で予約した鈴音です」
店内は女性客とカップル連れで満席だった。
能勢となつみは窓際のテーブル席に案内された。テーブルの上には「Reserved(予約席)」と書かれたプレートがすまして乗っている。
向かい合せの二人掛け席に座ると、机の右側は全面ガラス張りになっていて、ガラスの向こうにはミニチュアのような洋風庭園が広がっていた。
整然と並んだ木々と迷路のようなブロック型の垣根。その中央を幅が数センチの小川が横切って流れている。
「このミニチュア庭園がお店の魅力の一つなんです」
なつみは楽しそうにそう言った。
庭園からは、ちょろちょろと水が流れる音が聞こえて、庭園の隅には、小人が住んでいそうな煉瓦造りの小さな小屋が建っていた。都会の中にこんなおとぎ話のような場所があることに能勢は驚いた。
「童話の世界に紛れ込んだみたい」
「気に入りました?」
「うん、とっても」
なつみは能勢の言葉に嬉しそうに微笑んだ。
能勢となつみは一緒に季節限定のパンケーキを頼んだ。
焼きたての香ばしい匂いと、バターの香りにクラクラしながら、口に運んだパンケーキは能勢の人生史上、一番おいしいパンケーキだった。
まるで夢のようだと思った。
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