第25話 なつみと会う。それは白昼夢のようで。
朝十時。
まず目に入るいつもと同じ白い天井。いつもと同じ気怠さと憂鬱。それでもお酒を入れた次の日に、しっかりと起きることができたのは初めてかも知れない。
能勢は大きく伸びをして起き上がり、コンビニで買った六枚スライスの食パンをトースターに入れた。
焼けるのを待つ間に、電子ケトルに水を入れてお湯を沸かす。そこで、初めて部屋の中が暗いことに気づいた。
あれ?今は朝の十時にはず……。
能勢は慌てて、窓に駆け寄りカーテンを開けた。
世界一面が灰色に染まっていた。薄い鼠色の空がどこまでも続き、静かに霧雨が降っている。
いつから降っていたのだろうか。
昨日、bar梟をでた時には、星が見えていたのに。
能勢は窓越しに霧雨を見つめた。
視界を覆う小さな水滴に景色は煙り、遠い思い出の中にいるような感覚がした。
チンという鈴の音がして、能勢はびっくりとして振り返った。
トースターからパンが吐き出され、香ばしい匂いが部屋に漂っている。
能勢は、深く息を吐き出した。
つい余計なことを考えてそうになっていた。
能勢は、カーテンを閉めると台所向かい、できたてのトーストにたっぷりとバターを塗った。
午後。霧雨はまだ降り続いていた。
能勢は、部屋から出る気にならず、ベッドの上で数ヶ月前に買ったファッション誌を眺めて過ごしていた。
ファッション誌はところどころ、付箋が貼られていて、少し前に自分が欲しかったものが一目でわかる。今ではそのほとんどの服や小物に興味を失ってしまっている。
能勢は、あくびをして雑誌を床に投げ捨てた。
暇すぎてこのまま寝てしまおうかと思った時、ベッドサイドに置かれた携帯の通知音が鳴った。携帯の画面を見ると、なつみからメッセージが届いている。
能勢は急いでアプリを開いた。
『こんにちは。
駅前のオブジェ前に朝十一時集合で大丈夫ですか?』
ご飯に行くことが決まってから、能勢は頻繁になつみと連絡を取るようになっていた。
なつみは驚くほど色々なことに気を使ってくれて、アレルギーや食べ物の好き嫌い、お店の予約から朝の弱い能勢のために集合時間まで調整してくれていた。
こんなに繊細な気配りができるなつみにとって、好きなバンドの解散の衝撃を思うと、あの日のライブハウスでの姿に少し同情をしてしまう。
能勢は集合時間の了承の旨を書いてメッセージを返送した。待ち合わせをすること自体が久々で、緊張と期待で気持ちが高まっている。
ローテーブの上の卓上カレンダーに大きく丸をつけて、集合時間を書き加えた。
不定期に出勤するバイト以外予定がなく、真っ白なままだったカレンダーに初めてスケジュールが書き込まれた。先の予定があることがこんなに嬉しいなんて知らなかった。
能勢は、カレンダーを見ながら一人で微笑んだ。この日は何を着て行こうか、高鳴る胸をおさえて、能勢は投げ捨てたファッション誌を拾い上げ、「大人可愛い最強コーデ」の特集のページを繰った。
ファッション誌を見ながら、ウンウン唸っているうちにあっという間に週末になってしまった。
結局、新しい服を買うことはなく、手持ちの中で選ぶことにした。
前日の夜にはなつみから、明日よろしくお願いますと律儀にメッセージが送られてきて、遠足を楽しみにする小学生のように、能勢はなかなか眠ることができなかった。浅い眠りを何度も繰り返しているうちに気づけば朝になっていた。
窓外が明るくなってくるともう寝られる気がしなくて、携帯のアラームが鳴る前に能勢はベッドから起きて、準備を始めた。
猛暑の時期は過ぎていたが、秋と呼ぶには早すぎるという中途半端な季節で、どんな服を着て行こうかと能勢は散々迷った挙句、チノスカートにレッドベアのノースリーブを合わせることにした。寒いことも考えて、薄手のデニムジャケットを持って、当初予定していた出発時間よりもかなり早めに家を出た。
靴は歩くことを想定してヒールをやめて、お気に入りのベージュのオールスターのスニーカーにする。
能勢は大きく深呼吸をしてから家を出た。
緊張と期待が入り混じった心を落ち着かせたくて、駅までの道のりはあえてゆっくりと歩いていく。
駅前につくと、いつもなら煩わしいと感じる雑踏が、今日は少しだけ何故か嬉しく感じられた。
駅のホームに入って来た電車に乗って、能勢は待ち合わせの場所へと向かった。
集合時間の一時間前に待ち合わせの最寄り駅に着いてしまったのはさすがに早すぎだったかもしれない。
それでも他に特に行くあてもないので、能勢はとりあえず集合場所に向かった。
なつみが待ち合わせ場所に指定したのは駅改札を出て、正面の広場に設置されている現代アートのモニメント。
そこは待ち合わせ場所として有名で、たくさんの人がモニメントの周りに集まっているのが見える。
能勢が駅改札を抜けて、待ち合わせの人混みに近づいていくと、モニメントを囲むように設置されたベンチに座るなつみの姿が見つけた。
空色のワンピースが遠くからでも目を惹いている。
ワンピースの上に白いカーディガンを肩にかけて佇む姿は、まるで物語の中から抜け出したお姫様のようだった。髪色も少しだけ明るくなっていた。
びっくりと嬉しさが綯い交ぜになった不思議な感情が浮かんできて、走り寄りたい衝動を抑えて能勢はゆっくりとなつみに近づいた。
なつみはモニメントを見上げるようにして、座っていた。耳からは白色のイヤフォンコードが携帯につながっている。
能勢は、なつみを驚かさないように数歩手前で立ち止まり、遠慮がちに手を振った。
なつみは能勢に気づかず、空中に視線を置いたままモニメントを見上げている。
能勢は、なつみのすぐ目の前にきて、もう一度手を振った、そこでなつみは能勢の存在に気付いて大きく目を見開くと慌ててイヤフォンを外した。
「え、能勢さん!?は、早すぎませんか?」
なつみは携帯の時計と能勢の顔を見比べて叫ぶように言った。
「それはこっちの台詞なんだけど。いつきたの?」
「ついさっきですよ」
なつみはイヤフォンを携帯から外すと、くるくると丸めて、肩掛けの小さな革のポシェットにしまった。
「あー驚いた。まさかこんなに早くくるなんて思っていませんでした。私が能勢さんを先に見つけて手を振って迎える計画だったのに」
少し残念そうに呟きながら、ベンチからなつみは立ち上がると、能勢に向かって深々と頭を下げた。
「能勢さん、今日は来て下さってありがとうございます。先日はとんでもないご迷惑おかけして、ごめんなさい。今日は少しですが、先日のお詫びとお礼をさせてください」
目の前で謝罪するなつみに能勢は戸惑ってしまう。
「そんな謝らないでよ。私も昔よく泥酔していたからさ。酔った辛さもわかるし。なつみが酔った理由も聞けたからいいんだよ。なんだろ、こういう泥酔介抱は持ち回りみたいなものだからさ、ね、顔を上げてよ」
なつみはなかなか顔を上げてくれない。
能勢は日に光を受けて輝くなつみの頭髪を見ながら困ってしまった。
ライブハウスで倒れたなつみに自分の姿を重ね、よくわからない使命感に駆られて家まで連れて帰ってしまったが、それは善意とかそんな感情はなかった。
なつみを助けることで能勢自身が救われたい。そんな自己中心な思いからだった。
今考えるともっといい方法があったのではないかとさえ思えてくるので、お礼やお詫びと言われると戸惑ってしまう。
能勢はどうしようもなくなって目の前になつみの頭を撫でた。
「ありがとう。気持ちは嬉しいけどさ。本当にたいしたことないから顔を上げてよ」
頭を撫でられながら、ゆっくりとなつみは顔を上げた
「能勢さんは優し過ぎます」
「いや、そんなこのないよ。本当に気にしないで。今日こうやって一緒にご飯行けることが嬉しいからさ」
能勢は、そう言ってつるっとした、別珍のような手触りのなつみの頭を撫でるのをやめた。
「いえ、それじゃ足りないんです」
なつみが不満そうにそう言うので、能勢は気圧されて黙ってしまった。
ちょっと、真剣過ぎない?能勢としてはなつみとご飯に行けるだけで十分なんだけど。
そう思っているとなつみは急に嬉しそうな顔になって、ぽんと、一つ柏手を打った
「そうだ、能勢さん、もしよければ、お昼まで時間もあるので、駅ナカのカフェ行きませんか?」
急な表情の変化に驚きつつも能勢は、嬉しそうななつみの顔を見て、ホッとした。
「うん、いいよ」
「よかった。私駅ナカで気になっていたお店があったんです」
そう言って屈託無く笑ったなつみの表情があまりにも眩しくて、能勢は思わず目を細めた。
「どうかしました?」
「ううん。なんでもないよ。じゃあ、行こうか。」
暗いライブハウスとは正反対のお昼の太陽の下で、あの日泥酔していた女の子と並んで歩いているのは不思議な感じがした。
白昼夢
そんな言葉が浮かび、もしかしたら全部夢かもと思うと、なぜか楽しい気持ちになった。
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