第18話 見ず知らずの女の子
会場の片付けが終わり、閉店の時間になった。
能勢は、ドリンクカウンター横の丸椅子に座り店長からの返事を待っていた。
全ての機材が元通りに片付けられ、何事もなかったかのように静まりかえるライブハウスには、先ほどまでの激情のかけらさえも跡形なく消されていた。
全てが夢だったように、無音の暗い空間が広がっている。
「能勢ちゃん」
店長の呼ぶ声が、静寂を破って聞こえた。
「はい」
能勢が振り返ると店長は、後頭部を手で掻きながら事務所から出てきた。
「俺もこの判断がいいかわからないんだけどさ。確かにこの女の子をこのままにしておくわけにもいかないし、そうかと言って外に出すのは俺も賛成できない。だからと言って警察を呼ぶのは、あまりも可哀想すぎるな……。こんなこと頼んでいいかわからないんだけどさ、諸々の経費出すからこの子のことをお願いしてもいいかい?」
苦い顔をしながら店長が言った。
「何かあったらすぐに電話して欲しいし、金銭や貴重品には注意して、明日起きたら必ず連絡を入れて欲しい」
「わかりました。無理言ってごめんなさい。ありがとうございます」
能勢は、店長に深く頭を下げた。勘弁してくれよと店頭はつぶやいて、バツが悪そうに笑った
その後すぐに店長はタクシーを呼び、女の子を後部座席に運んで座らせてくれた。
明らかに嫌そうな顔をするタクシー運転手に店長が事情を話しながら、一万円札を渡した。
それを見た瞬間に、身勝手なわがままで店長に迷惑をかけているんじゃないかと急に能勢は不安になった。
なんでこんなことを言い出したのだろうか?と小さな後悔が頭に中に広がっていく。
見ず知らずの女の子を連れて帰ろうなんて、おかしい人間の言うことだったのではないか?
世間知らずに私は有り得ないことで店長を振り回しているにではないか?
そう思うと冷や汗が額から滲み出てきた。
やっぱりやめたほうがいいいのかもしれない。マイナスに思考が偏りかけた時
「能勢ちゃん」
店長の声が聞こえた。びっくりして能勢が振り返ると、店長が窓の外からこちらを見ていた。能勢は慌ててタクシーの窓を開けた。
「運転手に、女の子運ぶのを手伝ってもらえるように言っておいたからさ。大変だろうけど、よろしく」
「あ、あの店長、すみません。私わがままいてしまって」
「そんなことないよ。俺の店で起きたことなのに申し訳ないぐらいさ。でも本当にいいのかい?」
店長は心配そうに言った。その言葉を聞くとなぜか気持ちが落ち着いた。
「はい、大丈夫です」
能勢はそう言って、店長に笑いかけた。
「そうか。じゃあ、頼むな」
店頭が能勢の肩を叩いた。無言の信頼が触れられた場所から能勢には伝わってくる。不安な気持ちなくなり、心が暖かくなった。。
運転手に自宅の住所を告げると、タクシーはゆっくりと動き出した。
店長が窓の外で手を振っている。タクシーは商店街から幹線道路に至る路地道を進み、右折した。
ライブハウスも店長もすぐに見えなくなった。
タクシーは高架下を抜け、ネオンに照らされる街道を通り過ぎていく。燦々ときらめく人工の光は夜の街を昼間のように明るく照らしている。
タクシーは陸橋を渡り、住宅が立ち並ぶエリアへと進んで行った。
白色の街灯が均等に立ち並び、家々の窓からは小さな灯りが溢れている。細い路地を抜けた所でタクシーは減速し、コンクリート打ちっ放しのマンション前で停車した。
「ここでよろしいですか?」
運転手の男は、低い声で言った。
「はい、ここです」
私は頷き、女の子を揺さぶった。
「えっと、」
そっか、まだ女の子の名前を聞いていなかった。
名前も知らない子を家に泊めようとしているのかと思うと、再び小さな不安が沸きそうになったが、能勢は頭を振って、その考えを無視した。
「ちょっと、起きてもらっていいですか?」
乱暴に揺すったが女の子は起きる気配場がない。むにゃ、むにゃと言葉にならない声を出している。
「あー、何かお手伝いすることあります?」
関わりたくないオーラを全開に出しながら、それでも仕方ないという感じにタクシー運転手が、能勢に声をかけてきた。
「この子運ぶので肩を持ってもらってもいいですか?」
嫌そうな雰囲気を出す運転手にもういいですと言いたい言葉を飲み込んで能勢は言った。嫌悪を顔に出す人となんか関わりたくないが一人ではとても女の子を運べそうにはない。
女の子の両肩を能勢と運転手で抱えて運んでいく。
オートロックのエントランス扉を抜けて、エレベータに乗って三階へ。
夏が終わり始めた季節だったが、重労働に汗が額に滲んだ。
運転手には家のドアを開けるところまで手伝ってもらい、なんとか玄関に女の子と入れることができた。本当は男の人に部屋まで来られるのは嫌だったが、背に腹は変えられない。
この時ほど、エレべータホールにデカデカと貼られている「防犯カメラ作動中」の文字が、気休めでもありがたいと思ったことはなかった。
運転手は疲れ切った様子で、会釈をして帰って行った。
能勢は鍵を締めると汗ばんだ体のまま玄関に倒れるように寝転んだ。
日頃の運動不足が祟って、膝は震えて力が入らない。明日は確実に筋肉痛だろう。
必死になって運んだ女の子は何事もなかったように今も、すぅぅと寝息を立ている。
能勢は大きなため息をつくと這うように、ベッドに進み、シーツを剥ぎ取り、玄関の女の子にかぶせた。一応、体の右側を下にして寝かせる。それだけで、また体力を使ってしまった。
能勢は最後の力を振り絞ってに自分のベッドに上がったところで記憶が途絶えてしまった。
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