第13話 睡眠の海
睡眠の海の中を難破した船舶のように能勢の意識はゆらゆらと漂った。意識が浮上しそうになると、その度に海の重力が能勢を絡め取り、深い眠りへと連れ去っていく。
何度目かの浮上で、やっと能勢は現実世界に戻って来ることができた。
目覚めたのに寝すぎて頭が重い。
起き上がることが出来ずにぼんやりと天井を見つめていると、急にお腹が鳴った。その音で、朝から何も食べていないことに気づいた、と同時に急な空腹感が押し寄せてくる。何か食べないと。
そう思ってベッドから上半身を起こしたところで、酷い目眩がして能勢は再び横になった。心臓の鼓動が脳内でやけに大きく響いている。
何か口にしないと本気で動けなくなるのではないだろうか?
能勢は急に怖くなってベッドから落ちるように床に降りて、這うように台所まで進んだ。空腹からか、徐々に力が抜けていくのがわかる。
焦りながら、食べ物を探して棚の下の扉を開けた。
洗剤やゴミ袋など並んでいる日常雑貨を乱雑に外に引っ張り出していくが、食べ物類は一向にでてこない。
焦り始めた時、棚の隅に実家から仕送りで送られてきたビスケットとインスタントのカップラーメンが出てきた。能勢は慌ててビスケットの入った袋の方を取り出し、乱暴に袋を破いた。バラバラと何個かのビスケットが手元からこぼれ落ち、フローリングの床に飛び散って、カラカラと乾いた音を立てた、
能勢はビスケットをつまんで口に運んだ。硬くて何も味がしなかった。
それでもただ無心で能勢はビスケットを口に運び噛み砕いて嚥下する作業を繰り返した。のどが渇く、食べるのが苦しくなる。それでも食べることをやめなかった。
すぐにビスケットの袋はからになり、空腹感はいくらか和らいでいた。
糖分が体に入ったことで、身体と頭が働き出したのがわかる。
「動くのってこんなに大変だったのか」
独り言をぼやきながら、よいしょという掛け声をかけて、能勢は立ち上がった。
台所の食器棚からマグカップを出すと水道水を注ぎ、一気に飲み干す。
目眩が消えて、体に力が戻ってくる。
カップラーメンも食べようと台所の隅に置いたままの薬罐に水を入れてガスのスイッチを押す。
水が沸くまでの数分間。立っていることに疲れて、能勢は冷蔵庫に背中を預けて、台所の床に座り込んだ。
フローリングの床はひんやりとしていて、お尻から私の体温を徐々に奪っていく。
このまま体温を全部床が吸収してしまったら、暖かな陽気の中低体温症で死亡した謎の女として世間を賑わせることになるだろう。そういえば昔、ヒマラヤの雪の中で座ったままミイラになった少女の話を読んだことがあった。あれは確か、と思考が空を飛び始めた時、薬罐の先に白い湯気が見え、我に戻った。
お腹がまた鳴った。
カップラーメンを手に持って立ち上がり、ガスを止めて薬罐のお湯を注ぐ。湯気が立ち上り、鶏ガラスープのいい匂いが漂った。思わず口から出そうになった涎を飲み込む。
能勢は、カップラーメンを持ったまま椅子ではなく床に座り、近くの雑誌の束の上にラーメンを置いた。
三分を腹時計で計算して、戸棚にストックしてあった割り箸を出して麺をすすった。麺は少し硬かったが、空腹にラーメンの味がしみ渡っていく。
あぁ、私は今日も生きている。
それは希望であり、絶望でもあった。
無心で麺を啜り、汁を全部飲み干して、やっと一息つくことができた。お腹がいっぱいになると、急に眠くなって、能勢は倒れるようにして床に寝そべった。
高カロリーのカップラーメンが体内を巡り、もう全てがどうでも良くなった。
今日はどこにも出かけたくなくなって、しばらく床に寝そべっていたが、しばらくして能勢は這うようにベッドに戻る。
ベッドに仰向け寝転び、二度目の空を見上げた。寝る前に見たときよりも日は傾き、オレンジ色を帯び始めている。
能勢はベッドサイドに置いてある携帯を見ようと手を伸ばしたが、そこには携帯はなかった。
「あれ?」
不思議に思い、周囲を探すが見当たらない。
仕方なく起き上がって、布団をめくったり、枕をひっくり返したりして携帯を探し始めた。
そいえば寝る直前に電源を切って、どこかに置いた気がする。
その後はどうしたんだっけ?
能勢は少し思案した後、ベッドの下を覗き込んだ。
暗いベッド下の隅に携帯が落ちていた。
能勢は手を伸ばして携帯を取り出すと、電源ボタンを長押しする。
しばらくして画面が光り電源がついた。
能勢はほっとして、座り込んだ。よかった。
携帯を無くしただけで不安になってしまうのは、今と能勢と外を繋いでいるが手の中に収まるこの小さな箱だけだからだ。
何か連絡はないかを確認するが特に通知も返信はなかった。能勢は携帯にイヤホンを刺すと、ベッドに寝転んだまま面白そうな動画を探し始めた。
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