第12話 現実の渦

 気づけば朝だった。

 変な夢を見た気がしたし、見ていない気もした。

 今日も世界は正しく回っているのだろうか?

 起き上がって、カーテンを開けると眩しいぐらい晴天。

 どこか遠くへ出かけたい気持ちと、部屋に引きこもっていたい気持ちが反発しあっている。

 どこかに行きたいって、どこへ行きたいのだろう。

 朝から気持ちが滅入るような気がした。

 能勢は、とりあえず充電器に刺さっている携帯電話を開いた。今日の天気予報通知の下に、メッセージが入っている。

 アプリのアイコンにタッチしてメールボックスを開いた。

 送り主は大学のサークルに所蔵ていた時にお世話になったライブハウスの店長からだった。

 商店街の真ん中にあるそのライブハウスには、機材搬入の手伝いをする代わりに何回も無料でライブを見せてもらったことがあった。


『能勢さんお久しぶりです』


 そんな文面から始まる店長の文章は出会った時から変わっていない。

 学生に対しても常に一人の大人として、丁寧な言葉で、誠実に対応をしてくれた。そういうところに能勢は好きで、誰よりも店長に懐いていた。


『能勢さんお久しぶりです。ご無沙汰しておりました。お元気でしょうか?

 一週間後の土日にライブがあるのですが、急にバイトの子が来られなくなってスタ

 ッフが足りません。

 もしよろしければ、ドリンク受け渡しのお手伝いをいただけないでしょうか?もち

 ろんバイト代はお支払いします』


 願ったり叶ったりの連絡だった。

 スッと曇っていた心が晴れていくような気がした。何度かバイトをしたこともあるライブハウスなので勝手もわかっている。

 能勢はすぐに店長に返信した。


『お久しぶりです。店長と会わない間に色々なことはありましたが、元気にやってい

 ます。明後日のライブの件ですが、ぜひお手伝いさせてください』


 送信ボタンを押した。

 店長は基本昼過ぎまで寝ているので、返信があるのは夕方以降だろう。 

「とりあえず、シャワーでも浴びますか」

 独り言を呟いて、能勢は風呂場に向かった。


 お風呂から戻ると、一件の通知があった。店長からの返信かな?と思って開くと、母親からのメールだった。

 学校から退学の連絡が来たこと、畑で採れた野菜と一緒に食料品を送ったことがですます口調で書かれていた。

 そして手紙の最後には、今月で仕送りを止めるから、早く実家に戻ってきなさいという旨が添えられていた。

 今になって、母親の期待を裏切ってしまったという罪悪感が足元から這うように上がってきて、能勢は我慢できすに携帯の電源を切った。

 心がザワザワとして、髪も乾かさずにベッドに寝転がり、布団を頭まで被って、膝を抱えて小さく丸まった。

 心のザワザワはどんどん大きくなっていく。

 早く消えろ。早くいなくなれ。

 嵐が過ぎるのを待つように、必死に耐える。

 せっかくお風呂に入ったのに、体全体に汗が吹き出していた。

 どうしたかったんだ。一体何をしているんだ。

 頭の中を今までの思い出や人生がぐるぐると、鳴門海峡の渦潮のように高速で回転をしながら、轟々と音を立てて全てを飲み込もうとする。

 そのあまりの早さに能勢は目が回り、吐き気がした。

 この渦に飲み込まれたらどこかへいってしまう。そんな気がして、皮膚に爪を立てて、歯を食いしばって、吐き気に必死で耐えた。 

 なんでこんなに苦しいんだろう?なんでこんなに辛いんだろう?

 助けてよ、ちぃちゃん。ねぇ、どこかへいったの?

 もっと一緒に居たかったのに。

 私を置いてどこかにいったのちぃちゃん。

 ずっと友達だと思っていたのに。ちぃちゃんはどう思っていたの?

 ねぇ、ちぃちゃん、寂しいよ。

 能勢はゆっくりと唾液を飲み込む。

 飲み込んだ唾液は喉に引っかかりながらも、お腹にゆっくりと落ちていく。

 頭の中を回っていた渦の回転が急に遅くなったかと思うと、少しずつ小さくなっていき、最後はなんの余韻も残さずに消えて無くなった。

 一体何だったのだろうか。

 能勢は大きく息を吐いた。

 吹き出した汗で体中が濡れ、酷い倦怠感に起き上がることができない。能勢は掛け布団を胸の位置まで下げて、窓の外の空を見つめる。

 どこまでも青い空にはなんの苦悩も存在しないように見えた。

 能勢はゆっくりと目を閉じた。

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