第13話『妖力解放』

「はぁっ……はぁっ……」


 立ち込める黒煙。炎属性と雷属性、そして風属性の合成魔術を展開した影響で一定範囲が焼け野原になっていた。射出した魔術の道は黒く燃え尽きていて、その先にある煙の塊の中では、リッチーの崩壊が始まっているはずだ。核を撃ち抜いたのだから。


 勝利を確信し、オルタは地面に倒れ込んだ。既に彼の魔力は枯渇している。指一本も動かせないほどに、全てを出し切った。彼にとっても、最上位魔術を同時に十以上展開することは初めてだ。負担も相当であろう。


 彼が正面を見ると、レヴィもまた倒れていくところが目にはいった。彼女もまた限界だ。慣れない魔力を使って、強大な魔術を防いだ。独特な魔術回路に、異常な魔力波。使ったのは一度とは言っても、その反動は容易に予測できる。


 これで終わり。そう安堵すると、オルタの意識が落ちようとする。

 しかし朧げな意識の中で、オルタは一つのことに気がついた。


(——封魔術結界が、残っている……?)


 薄紫に光る結界。魔術を封じ込める、対魔術師において優位になれる結界が、いまだに残っていた。

 オルタがその結界の限界を超えて、魔術を放っても壊れなかったのか?

 否。彼の魔術で壊れなかったことが問題ではない。

 最大の問題は——


『危ない危ない……あと少しで本当に死ぬところだったよ』


 ——結界を発動した術師が、まだ生きているということだった。

 煙が晴れると、五体満足のリッチーと地に倒れ伏している紫雲の姿があった。


「なぜだ……確実に、俺はお前を撃ち抜いた……紫雲の言った通り、あいつもろとも……」

『あぁ、ワタシも焦ったよ。結界を展開しようにも、やつの刀が砕いてくる。おまけに刺されてしまっては満足に動くこともできない。けれど、ある魔術を思い出してね』


 そう言って、リッチーは一つの魔法陣を空中に展開した。


「その紋様……『平等な苦痛』……か?だがおかしい……それは——」

『そう、元は“他人のダメージを肩代わりするための術“だ。しかし、ワタシが少々アレンジを加えてね。“自分のダメージを他人に押し付ける術“にしてある。……まぁ、対象と接触時限定ではあるがね』


 そう言って、リッチーは倒れている紫雲の方に視線をやった。

 どうやら、紫雲が刀を使って拘束したことが裏目に出たらしい。


『いくら回復できるといえど、ワタシの核を狙った一撃。致命傷となるダメージをそのままこいつに移譲したのだ。しばらく動けないどころか——死んだかもしれないな。妖怪に死という概念があるかは知らないがね』

「こっの……」


 力を込めるが、動かない。リッチーが愉快に笑うのを、ただ見つめることしかできなかった。


『……そうだ。この忌々しい刀を封印するとしようか』

「はっ……それは妖力の塊なんだろう?例えリッチーといえど、できるわけが——」

『既に力の解析は済んである。ワタシは魔術師であるとともに探求家なのでね』


 そう言うと、複雑な紋様の魔法陣を展開し、紫雲が手放していた刀を覆うような結界が現れた。シャボン玉に入っているかのように、結界に留められた妖刀『雨切』は、フヨフヨとリッチーの方へ向かっていく。


『ふむ……やはり破壊はできないか。しかしこの結界で妖力を遮断すれば、確実にこやつも回復は見込めないだろう』


 そのリッチーの見立ては間違っていなかった。妖刀『雨切』は付喪神である紫雲の依代。つまり、紫雲の本体と言っても差し支えない。刀の方を奪われてしまえば、紫雲は弱体化し、満足な妖力を得られなくなる。妖力で欠損部分を補おうにも、残留している妖力しか使えない。だから、リッチーがとった手段というのは非常に適切なものだった。


 ——ある一点を除けば。


「返せ……」


 倒れる紫雲から、そう声が聞こえる。


『!?な……まさかこいつ、まだ動けるのか!?』


 すると、昨晩紫雲が見せた紫色の炎がその身を包んでいった。やがて全身がその紫色の炎に焼かれると、紫雲は立つ。しっかりと、その2本の足で地面をとらえて。


「わしの刀を奪って、ただで死ねると思うなよ」


 目は薄い紫色に光り、頭には黒い狐の面のようなものが付けられている。

 手や足先にも爪形の炎が浮き出てきて、まるで獣のようだった。

 リッチーは見誤ったのだ。紫雲のもつ妖力の大きさ——例え依代がなくとも、紫雲単体で保持している妖力量を見誤った。傷を完治させ、戦闘にすらその力を回す余裕があるほどには有り余っていた。


「——妖力解放、『狐の嫁入り』」


 燃え盛る紫の炎が、不気味にゆらめいた。


『クソッ……上位炎魔術——』

「妖術——」


 互いに手を向け、照準を合わせる。


『「——『火炎重砲』」』


 撃ち出した砲弾は衝突する。しかし残ったのは一方のみ。紫雲の砲弾だ。妖力がリッチーの魔力を侵食し、一方的に相手の火炎重砲を打ち破った。

 そして紫雲の炎はリッチーに着弾する。結界すら砕いて、回避する暇さえ与えない。


『グァァァァッ!?なぜ、なぜ貴様が『火炎重砲』をォッ!』

「見よう見まねじゃ。炎というのならわしの妖力で再現できる。……ぬかったなリッチー」


 畳み掛けるように、紫雲は技を放つ。


「妖術——『煉獄』」

『ぐっ…………上位水魔術——『渦潮』』


 互いの術が衝突すると、リッチーの放った水魔術が先に砕け散った。炎が水をガラスのように砕いて燃やし尽くす異様な光景が、目の前に広がっている。紫雲の妖術が、リッチーの魔術を凌駕している証拠だった。

 リッチーが狼狽えている瞬間を狙い、紫雲は肉薄する。妖力の塊である紫にゆらめく爪をむけて、相手の骨を断とうとする。妖力を解放している影響なのか、人並外れた身体能力がさらに強化されて、もはや人の目では視認することすら叶わない。


 苦し紛れにリッチーが魔術を放つが、紫雲は全身に炎を纏って防いだ。

 また一本、リッチーの肋骨が折れた。


 自分の妖術は相手の魔力を侵食し、一方的に当てる。相手の魔術は自身の妖力で防ぎ、完封する。

 ——対魔術最強形態。それが、今の紫雲『狐の嫁入り』だった。


 ……だが、そんな無敵の状態である『狐の嫁入り』にも弱点は存在する。


『クックク……クァッハッハ……!』

「……なにが可笑しい」

『いやなに、焦っていた自分が馬鹿のようだと思ってな』


 リッチーは、紫雲を指差して笑った。


『——貴様のその状態、持久戦向きではないな? この依代があれば話は別なのだろうが、今は依代から切り離された孤島の妖怪。それだけの大技に身体強化、かなり燃費が悪いんだろう? その証拠に——炎の大きさが小さくなっているじゃあないか。まるで段々と消えてゆく蝋燭のように』

「……なら、さっさと刀を取り戻すとするかのう」

『この結界は対妖力結界。ワタシが放つ魔術とは違って、特別な結界だ。貴様の妖力といえど、そう簡単には破壊できん』

「………………」


 これが、紫雲の『狐の嫁入り』の弱点だった。

 妖術に超身体強化、そして魔術において得られる大きなアドバンテージ。それだけのことを実現するのに使用する妖力は、想像を絶する。並みの妖怪であれば、既に枯れて消えているほどだ。

 妖力を補填しようにも、リッチーの作った結界により、刀を取り戻して妖力を回復することも見込めない。このまま戦っていれば、紫雲が敗北するのは目に見えている。


 そのことに焦りを感じていたのは、紫雲だけではなかった。


(不味いな…………戦線に戻ろうにも、魔力が回復していない……)


 それはオルタだった。彼の前には、慣れない魔力を使った影響で気を失っているレヴィ。さらにその先にはジリ貧な勝負を強いられている紫雲が戦っている。

 リッチーの話も聞いていて、紫雲の置かれた状況もよく把握している。


 だからこそ、せめて治癒魔術で自分とレヴィが戦線に復帰できたのならと歯を食いしばる。


 先ほどの大魔術に魔力を全て注ぎ込んでしまったことが悔やまれる。あれしか突破する手段がなかったとしても、その後のケアが全くできていなかったと、オルタは自分を責め立てた。


(せめて……レヴィだけでも……!)


 そうしてレヴィに魔術を使用しようとするも、わずかな魔力では小さな治癒魔術の一つすら展開することができなかった。

 オルタは、地面に爪を立てる。


 だが、そんな時“ある魔術“を思い出した。


 この絶望的な形勢を五分以上にまで持っていけるほどの魔術。それも、多量の魔力を要するわけではない。

 必要なのはほんの僅かな魔力で十分。今のオルタでも、少し魔力を練り上げればすぐに使用できる術だ。

 それに気がついた彼は、すぐに神経を集中させる。


「絶対に……間に合わせる……!」


 残り少ない気力と体力を使って、オルタは死力を尽くす。

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