第8話 ただならぬ一泊

「いやじゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「テメェ、さっさと風呂に入れ!!臭いが残るだろうが!!」


「……えーと、なんだこの状況」


 風呂上がりのレヴィが、軽装で部屋に戻ってくる。費用や部屋の空きから、三人が泊まれるほどの大きめの部屋を選択したのだが、その広い部屋の中央で二人は取っ組み合いをしていた。

 近くにある枕や小物を投げつけながら暴れている。


「レヴィ!こいつを風呂にぶち込め!こいつは風呂に入らない気だぞッ!」

「入ったといっておろうが!」

「嘘つくんじゃねぇ!なーにが『あぁ、わしは後で風呂をいただくよ。少し外を散歩したいんじゃ』だ!入りたくなかっただけじゃねーか!」

「わしが入ってないとは決まってないじゃろう!?」

「髪汚れてるだろうが!森に突っ込んだし、ワイバーンとも戯れたんだから洗ってこい!」


「え、と……紫雲、なんで風呂に入りたくないんだ?」とレヴィ。


「海は錆びる!湖は沈む!風呂には溺れる!泳げる刀がこの世にあるわけなかろう!?わしは入りとうない!死にとうない!」

「ダメだ!さっさと入りやがれ!臭いやつと同じ部屋で寝るのはごめんだ!」

「臭くないわ!わしをなんだと思うておる!」


 口ではそういうものの、少し心配しているのか、自分の髪の束を手繰り寄せてさりげなく臭いを確認していた。少し顔を顰めたような気もするが、興奮状態のオルタには見られていなかったようだ。

 しかしそばからその様子を見ていたレヴィには見逃されなかったようで、彼女は紫雲の腕を掴んだ。


「まぁまぁ、そんなに嫌なら私も風呂にはいるぞ?」

「わしをガキ扱いする気か貴様!?」

「風呂は大勢で入った方が賑やかでいいじゃないか。ほらいくぞ」

「あぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁ…………!」


 とうとう観念したのか、その手に身を任せて引き摺られていく紫雲。

 その目には僅かに涙を浮かべて、涙の浮かぶ目の奥には燻んだ色が滲んでいた。どれほど風呂が嫌だったのか、すぐに全身を脱力して引きずられていく。哀れな付喪神の姿があった。


 やがて喧騒が遠のくと、オルタは部屋に刀が置き去りにされているのが見えた。

 おどろおどろしい妖気を放ちながら、部屋の隅に置かれている。


「………………この刀」


 じっと見つめたオルタは何かを感じ取ったかのように、おもむろに刀の方へ向かって手に取る。


 しかし。


「づっ……!?」


 唐突に頭部へ、それも強力な電撃を浴びせられたような鋭い痛みが走る。異常を感じたオルタは、すぐさま刀を投げるように放し、肩で息をする。

 余程痛みが効いているのだろう、急激に顔は青ざめ、目が据わっていなかった。

 半ば無意識の狭間の中で彼は魔法陣を展開する。淡い緑色の光。治癒系統の魔術のようだ。


「が……クソ……魔力が……!?」


 淡い光が溶ける。

 発動前の魔法陣崩壊。異常も異常、少なくとも彼の技術不足ではない。


 ———原因は魔力供給の不足。発動に必要な魔力が不十分なら、無論魔術は発動しない。

 ならば魔力供給不足となっているものは何か。言わずもがな、先ほど手にした刀だった。


「あいつの言う……妖力ってやつか……!」


 魔力と妖力は相容れない存在。相克とは言わずとも、油と水のように互いを拒み、弾き合う力。利用すれば魔術をも斬る薬となるが、下手をすれば毒にもなる。

 そして『雨切』の刀に宿るは幾千年かけて蓄えられた膨大な妖力。オルタのもつ魔力では弾くと言うよりも膨大な妖力に霧散する。大きな水槽に絵の具を一滴垂らすようなものだ。それにより本来の魔力としての性質を奪われかけていた。


 オルタに介入した妖力が、魔力回路に作用し魔力供給を妨げる。


 これが激痛と魔術不発の正体だった。


 □□□


「おーい、オルタ。風呂から戻ったぞ〜」

「本当に……もう二度と入りたくないのじゃ」


 またも軽装で紅潮した頬のまま、レヴィは部屋に戻ってきた。それに対して、紫雲はぐったりとむしろ青ざめているようだった。

 対照的な二人は、部屋に戻ってくるとすぐ、地面に倒れているオルタの姿を確認する。おや、と声を出しながら、レヴィが彼の体を揺すってみるが反応はない。


「どうやら疲れが溜まっていたらしいな。……瞬間転移の時、かなり複雑な魔法陣を展開していたし、かなり負担になってしまったろうか……」

「気にすることでもなかろう。なんのための“魔術“だと思うておる。その成り立ちから見守ってきたわしから言わせれば、不可能を可能にすることこそがその本質。こやつにしかできん役目じゃよ」


 初めて魔術と言う紫雲に驚いたような表情を向けるが、レヴィは納得したように「そうだな」と小さく笑ってオルタを寝床へ運ぼうとした。


 そこで、部屋を見ていた紫雲が声を上げた。

 ギョッとしたように小さく叫ぶと、部屋の端に向かう。


「まさかこやつ……!触れおったな、わしの刀『雨切』に……!」


 見つけたのは鞘に収められている刀『雨切』。オルタが気絶する前に投げられた『雨切』は、部屋の端の荷物の山に埋もれていた。

 紫雲が引き摺り出すと、すぐにオルタへ近寄った。


「やってしまった……こやつに触れるなと言っておらんかった……!おい女、その男を運んだら手当てをするぞ。下手をすれば一生魔術を使えない体になる」

「え?ええぇぇぇぇ!?だ、大丈夫なのか!?オルタに何が……」

「いいから早ようせい。全く、どんな神経をしていればこの刀に触れようと思えるのか……」


 珍しく余裕のない表情をしながら、紫雲はオルタの様子を観察する。

 レヴィは訳もわからないまま、すぐにオルタをベッドへ運び、すぐに荷物から医療キットを取り出した。


「ほら、医療キットだ。何が何だかわからないが、これで治療を……」

「そんなものはいらん。必要なのは……女、お主確か魔術は使えないと言ったな?」

「あぁ、魔力回路が独特だと言われてな」


 唐突にそんな質問を投げられて困惑の色を滲ませるが、レヴィはすぐにこたえた。

 紫雲は何やら『雨切』を手にとって、自身の膝下に置いてオルタに向き合っている。


「魔力自体は?」

「魔力量なら人並みにはあるが、まず使用できないから意味が……」

「いや、それでいい。わしが合図をしたらすぐにこの男に魔力を突っ込め。それでうまくいく」

「い、いや、だから私は……」

「問題ない。魔力回路が云々と言えど、こやつが勝手に吸い上げる。多少痛むだろうが、耐えろ」


 すると、紫雲は軽く袖をまくり手のひらをオルタの腹部へと添えた。

 瞳をゆっくりと閉じて、二、三回深呼吸を挟む。


 すると、紫色にゆらめく炎のようなものが紫雲の体を纏うように現れた。


 羽衣のように紫雲を包み、淡く明るい光で燃えている。


「な、お、おい紫雲———」

「問題ない」


 そしてゆっくりと目を開くと、紫雲の瞳はその炎のような紫色で輝いていた。

 ぐっと手のひらに力を込め、軽くオルタの服に皺ができる。

 紫雲が添える右手の甲にマッチ程度の紫の炎が上がったかと思うと、ろうそくの火が吹き消されるようにふっと消え、紫雲は「今だ」と小さくいった。

 逃さずそれを聞き取ったレヴィが紫雲の手に重ね、魔力を送り込む。


 普段とは違う感覚。どうやら紫雲の言っていたように、レヴィのもつ魔力がオルタに吸い込まれているようだ。本来使われないはずの魔力回路を、本来よりも多くの魔力が流れていくことで彼女にも頭痛が生まれ始める。

 苦悶の表情を浮かべながらも、魔力が吸い込まれていく感覚がなくなるのを待った。


「終わりじゃ。よく頑張った」


 紫雲が手を離すと、紫の炎も、頭痛も消える。

 まだフラフラと揺れるような錯覚が残りながら、レヴィはほっと安堵した。


「とりあえず、これでオルタは回復するのだな?」

「あぁ、もう少しすれば目覚めるじゃろう」


 そう言って紫雲はどこかへ行こうとするものだから、レヴィはそれを止めて紫雲に説明を求めた。


「ちょっと待て。まだ、オルタに関して何も聞いていないぞ」

「……茶を飲もうと思っただけじゃよ」

「それよりも先だ」

「せっかちな女じゃのう。……まぁ、仕方がないか。わしの落ち度でもあるしな」


 一度ため息をつくと、彼女の前に座った。

 そして、刀を手に持って話し始める。


「単刀直入に言えば、この刀が原因じゃよ。この刀のもつ妖力は、魔力を持つ者にとって毒となる。そもそも妖力と魔力が相容れない力じゃからな。握れば最後、己の魔力をこの『雨切』の妖力に染められて終わりじゃ」

「じゃ、じゃあ、オルタの魔力はすでに……」

「問題ない。先ほどの“手当て“でやつの中に残っていた妖力を全て吸い上げた。妖力に侵されて使えなくなった魔力分も、お主の魔力で補完したから問題ないじゃろう」


 オルタを見ながら、紫雲は目を細めた。


「しかし大したものじゃよ。普通ならすでに狂うか壊れるかしておる。もともとこやつの魔力量も多かったんじゃろうな」

「なぜそんな危険な刀……」

「そもそもこれは付喪神であるわしの依代。切っても切れない縁がある。そして危険なのも承知であろう?なんせ『雨切』はすでに妖刀と成っているのだからのう」


 刀を手に取って話していると、隣で眠っていたオルタがむくりと体を起こした。いまだに頭痛が治まっていないのか、少し不機嫌そうな表情を浮かべているが、それ以外に問題はなさそうだ。

 それを確認して安堵したのか、紫雲とレヴィは頬を緩めた。


「起きたか。して、どうじゃ?適切な処置は施したが、体に何か異常はあるか?」

「……頭痛がする」

「おかしいのう。魔力に作用する妖力は残さず吸収したぞ?」

「いや……それ以外の何かを感じる……魔力に近い、何か……」


 ちらっとレヴィの方を見ると、オルタは目を見開いた。


「あ、まさかお前、俺にその女の魔力を突っ込んだのか?」

「欠けた力を補完するためにな。わしの妖力と入れ替える形で魔力を注いだぞ?」

「あ〜………………」


 力の入っていない声を口から漏らしながら、頭を抱えて疼くまるオルタ。

 何があったのか理解できない紫雲とレヴィは、揃って首を傾げていた。

 それを見かねたのか、オルタは渋々と言った様子でレヴィを指差しながら説明する。


「レヴィ、確か魔力回路が独特だとか言ってたよな?」

「あぁ」

「どうりで……俺に入れられた魔力の魔力波が異常だ。不安定というか、不安定でも全体では安定しているというか……まぁ、うん、独特だな。そう表現するしかない」

「語彙が死んでおる。貴様、頭でもやられたのか?」

「主にお前のせいでな」


 紫雲はオルタの言っていることを理解していないようであったが、レヴィはなんとなくその話を理解していた。

 難色を示すように苦い顔をして顔を伏せていると、気になったのかオルタがベッドに腰掛けて彼女の方を向いた。


「……その魔力回路、何か気がかりなことでもあるのか?」

「あぁいや……ただ、昔似たようなことがあってな。友人に私の魔力を渡したんだが……その時のことを少し」

「…………そうか」


 どこか物寂しげな表情をする彼女には、どこか詮索を憚られるような気がして、オルタはすぐに話を切った。

 何かまずいことをしでかしてしまった時のように、微妙な空気が流れるので気まずくなって紫雲へと向き直るが……


「のうのう、手品師。貴様、何か不調はないのか?一時的とはいえわしの魔力を取り込んだのだ。それに、そこの女の魔力も異常なんじゃろう?」

「あぁ、すでに魔力は俺のものに置換した。頭痛もないし、魔術も問題なく発動できる」

「本当か?わしが言うのもおかしな話じゃが、雨切を握って妖力を取り込んだ奴が平気でいるとは思えん。一度しっかり確認しろ」

「……わかった」


 そう言うと、彼はすぐさま部屋中に魔法陣を展開した。ざっと数えて二十は超える。おそらく彼の同時展開数の限界———三十はありそうなくらいの魔法陣だった。

 三原色に白や黒、中には禍々しいオーラを纏うものもあった。

 目を閉じて集中する彼を紫雲はじっくりと観察する。異常を確かめるように、瞬きの一つもせずじっと見つめた。


 やがて魔法陣が光を失い全て消失すると、オルタはゆっくりと目を開けた。


「……おかしい、と言えばおかしいな。普段よりも魔力の出力が上がってる」

「やはりな。しかし今回はわしの予想を外れていい方向に作用したようじゃな」

「ど、どう言うことなんだ?」

「簡単な話よ。魔力回路に甚大な負担がかかり、その上異常な魔力が入ってきた。強大な力と異常な力、それを無理やり体に取り込めば、踏まれて強くなる雑草が如く、魔力の出力が上がると言うわけよ」

「ほぉ……そりゃあいいな。また握ろうか、その刀」

「馬鹿者が。今回は運が良かったんじゃよ。それにそれは一時的なものじゃ。いずれ元の状態に戻る」

「なんだ、それなら使えないな」


 残念そうに手をひらつかせるオルタ。冗談ではないぞと睨む紫雲のことも気にせず、彼はレヴィの方を見た。


「まぁ、これで明日、リッチーに挑むほかなくなったわけだ。せっかくラッキーで掴んだこの強化。元に戻る前に決着をつけてやろう」

「当たり前じゃろ腑抜け。もとより貴様の身体が壊れていても引きずっていったわ」

「それを止めるのが私の役目なんだろうけどな……」


 各々、意気込みを語るように顔には笑顔を浮かべた。

 そこで、レヴィが手の甲を上に向けて手を伸ばす。どうやら団結の意を表すらしい。


「………はいはい」

「仕方ないのう」


 なんだかんだと言いながら、二人も手を重ねる。


「それじゃあ、全員生きて帰るぞ!」

「「「おう!!!」」」


 誰一人かけることのないように、もう誰も失わないように、レヴィは誰よりも声を大きく張り上げた。

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