最終話 青い僕らは音で刺す

 その後の一日はずっと大人たちと話していた。

 演奏を終えたところで教師たちが入ってきて、すぐに職員室まで連行された。

 俺と桃谷、二人そろって雷を落とされたが、そんなことは二人にとって些末なことだった。

 俺たちの晴れ晴れとした顔に、教師たちも怒ることに対する手ごたえを感じなかったのか、思っていたより説教の時間は短く済んだ。

 また、桃谷が遺書を書いていたことから、精神的に追い込まれた錯乱状態での行動だったのだろうという見方をとられ、停学・退学といった処分は免れた。

 さらに、その手紙に書いてあったいじめ問題については、担任に一任され、上は責任を取らない方針を取るようだ。

 なぜ、演奏が終わるまで教師たちが屋上へ入ってこなかったのか疑問に思っていたが、他の教師たちの話によると、先生が鍵を見失ったらしく、その捜索作業に時間がかかったらしい。おそらく一芝居うったのだろう。全く、あの人には頭が上がらない。

 屋上へは立ち入り禁止の勅令が出されたが、鍵を持っている俺たちには特に関係なかった。説教の時には、ドアはもともと開いていたと嘘をつき通して、鍵は奪わせなかった。

 そんなこんながあって、今、面談室にて先生と向き合っている。

 相も変わらず、先生はたばこを片手に、ダルそうな顔をしている。

「俺の愛する喫煙所をよくも奪ってくれたな」

 屋上の鍵は俺と先生しか持っておらず、先生はいつもそこで隠れてたばこを吸っていた。唯一のオアシスだとかなんとか言っていた気がする。

「すみませんねぇ」

 これに関しては本当に申し訳ない。ただでさえ肩身の狭い喫煙者の居場所を奪ってしまったのだ。よく考えたら、今目の前でも吸ってるからまあ大丈夫か。

「でも、よくやった。褒めてつかわそう」

 にやっと笑って、手前の灰皿へ灰を落とす。

「でも、俺がしたのは死ぬのを止めただけで、根本のいじめは止められてないんですよね」

 先生からの依頼は、桃谷を助けること。

 そして、過去の遺恨から先生を救うこと。

 正直、まだ助けられたとは言い難い。

 いじめが終わらなければ、ただ学校を少し騒がせたお調子者だ。

 まだ、終わっていない。

 俺のやりきれない表情を受けて、先生は煙を吐きながら言葉を付け加える。

「言っただろ。変えるんじゃない、変わっていくんだ」

 いつか、先生が言った言葉。

 その言葉を受けても、俺はまだやり切ったとは言えないように思う。

「だから、変えても変わってもいないんじゃないですか」

 こんなことで変わる世の中なら、もっと早く変わっていただろう。

 そうじゃないから、彼女は苦しみ、先生も手を付けられなかったのではないか。

 そういう意味を込めて、俺は先生に反論した。

「頭の中がすべてだと思うな。事は意図したようには転ばない。前も言ったろ?」

 描いた青写真がすべてじゃない。

 確かに先生は言っていた。けれど、意図が及ばない世の中なのであれば、俺のとった行動が、悪い方向へだって転がっていく可能性があるわけで。

 変わっていくなんて、そんな無責任なことは、俺には信用できない。

 同じところをぐるぐる回る俺の思考に、先生が言葉を付け足す。

「変わらないことばかり考えるな。思っているより、自分の見えてるものってのは少ないぞ」

 そういうと、先生は缶コーヒーのプルタブをはじき、コーヒーを一口啜る。

 それを飲み込んだ後、すぐにたばこを一つ吸う。

 そして、気持ちよさそうな顔をして、ぷはっと大きく息を吐き出す。

「やっぱり、たばことコーヒーってのは出会うべくして出会ったんだな」

「そんなに合いますか、たばことコーヒーって」

「そりゃ、もう合うなんて言う次元じゃないぞ。マリアージュって言葉はこの組み合わせを指して生まれた言葉だしな」

「嘘つけ」

「はは」

 小さく笑い、また、コーヒーとたばこを交互に口へ運ぶ。

「この二つを見てると、運命って存在するんだなと思うよな。たばことコーヒーが巡り合うことって運命だったんだって。スタンド使いはひかれあう的な。生まれる前から決まってたことなんだよ。何もない砂漠を二人が真っすぐに歩いていたって、必ず一点でぶつかるように仕組まれてたんだよ。神のいたずらだな」

「非喫煙者は、たばことコーヒーの組み合わせにそこまで感動できないんですよ」

「子どもにはまだわからないか、この素晴らしさは」

 そんな冗談を言う先生の表情は誰よりも子どもっぽい。

「あ、そうや。先生、一芝居うってくれたらしいですね」

 一応、感謝を伝えておこうと思い、件のことについて言及する。

「ん?何のことだ?」

「鍵を失くしたふりして、他の先生たちを足止めしてくれたんでしょ」

 こんなだらだらしたふやけた教師だが、ちゃんと先生と呼べるのはこういう部分があるからだ。常に生徒側の肩を持ってくれる。

「はて?そんなことあったかなあ……」

 白々しい。

 しかし、こういうところが先生を先生たらしめているのだろう。

「たばことコーヒーが出会おうとしてるのに、教師がそれを妨げていい理由はないだろう」

 俺にぎりぎり聞こえない小さい声でつぶやく。

「ん?なんて言いました?」

「何でもない。もういいから、早く帰れ」

 俺の退室を促すように、しっしっと手を外側へ払う動きをする。

 手を動かすたびに指に挟まれたたばこから灰が飛び、それが桜の花のようにひらひら落ちる。

 窓を開けていない部屋には、もやっとした煙が充満している。

 俺が部屋を出ようと扉を開けると、その煙が一息に外へ飛び出し、面談室は靄が晴れたような清々しい様相を呈す。

 部屋を抜け出した灰色の煙は、廊下を満たす青い空気に離散し、その色を溶かして、どこかへ消えていった。


× × ×


 朝、教室のドアの前でふと立ち止まる。

 よく考えれば、昨日、あんなことをしたんだ。きっと教室中から白い目を向けられ、居心地が悪いに違いない。至る所から聞こえてくる俺に関するうわさ話に聞こえてないふりをして、面白くない漫画を読んでやり過ごす日々が始まる。

 そう思った途端、教室に入る気力が一気に消え去る。

 サボっちゃおうか、でも一度サボってしまったら再び来るときにハードルがさらに上がってしまうか、みたいな葛藤をしていると、背中から声がかかる。

「おはよう!此花くん」

 振り返れば、桃谷が曇りのない晴れた顔でこちらを見ていた。

「ドアの前で立ち止まって、なにしてるの?」

 俺の心中がわからないといった表情で小首を傾げている。

「いや、俺たち昨日あんなことしてんで。そら、入りにくいでしょ」

 俺の気力のない声を聞いて、彼女は優しく微笑みながら語りかける。

「大丈夫。あなたには私がいるよ。私にはあなたがいる。だから、私たちは大丈夫。そうでしょ?マイギタリスト!」

 綺麗な声でそういうと、俺の背中を押しながら、扉を開く。

 扉が開き、俺たちを見た瞬間、クラスメイト達が銘々に声を上げる。

「あ、来た来た!」

 ああ、やはりだ。地獄のような日々が始まってしまう。

 終わりのない苦悶の旅が始まってしまう。

 これから俺たちを襲う気苦労を想像し、落胆して肩を落としていると、クラスメイト達がさらに声を上げる。

「お前ら、めちゃくちゃすげえんだな!」

「俺、ちょっと感動しちゃったよ、昨日の屋上ライブ」

「あのいい曲、どっちが作ったんだ?」

 ん?状況が飲み込めない。

 俺の想定としては、また罵詈雑言が浴びせられて、また教室の隅で小さく丸まっていることになっていた。

 それがどうした。一聴すると賞賛の声が耳に届いている気がする。それともあれか。高度な皮肉か。日本語独特の婉曲表現か。文学的悪口か。そうだ、きっとそうだ。

「此花、お前あんなにギターうまかったんだな!この間の動画じゃ、歌に隠れて築かなかったよ」

「桃谷さんも、あんなにきれいな声なんだね!私、涙出ちゃったよ」

 野球部らしき奴が俺の肩を叩き、特に見覚えのない女子生徒が嬉々として桃谷の手を取っている。

 まだ、俺はうまく咀嚼できないでいた。

「此花、この間は陰口言ってしまってすまん。昨日の見るまで、お前のこと何も知らなかった」

「正直俺もお前のこと見下してた。ほんとに悪かった」

 うーん。これは現代では普通の反語表現なんだろうか。こんなに遠回しに悪口を言う時代になってしまったのだろうか。

 浴びせられる声に、俺が逡巡していると、一人の生徒がスマホをこちらに向けてくる。

「ほら、みて。このツイート」

 半ば押し付けられるようにスマホの画面を見ると、そこに映っていたのは、学校の屋上で歌う少女とギターを弾く少年。

 まぎれもなく、昨日の俺たちだった。

 見たことのあるこの展開に、ずきんと心が痛む。

「あんたら、すぐに動画とるなあ。俺には肖像権というものが……」

「見てよ、下の数字!」

 俺の言葉を遮るように、女子生徒が画面の下部分を指さす。

 そこに書かれていた数字。ファボが5万、リツイートが1万。前回よりもさらに大きいらしい。

 その数字を見て現実を悟る。

「また、こんなに大炎上したのか……」

 こんなに短期スパンで二回も炎上できる人間がいるのだろうか。もしかして、俺にはそういう才能があるのか。才能というより、もはや、生まれながらにして背負った業なのかもしれない。

 俺が大きなため息をつくと、女子生徒はさらに大きい声を出す。

「違うよ!炎上じゃないよ・今度のは炎上じゃないんだよ」

 そういって、画面をスクロールし、動画が添付されたツイートのリプライ欄をもう一度こちらに見せる。


 『かっこいい!高校生とは思えない歌とギター』


 『屋上のライブっていうのがエモい。俺も高校生の時、こんなことしたかったなあ』


 『歌うますぎ!!!ほんとに高校生?実はプロなんじゃない?』


 『めちゃくちゃかっこいい曲だな』


 『これ、なんていうユニット?曲聞きたいけど名前がわからないから調べられない……』

 

 『心にしみる歌と演奏をありがとう!』


 『屋上って言うのが相まって、歌の美しさがさらに際立ってる!もう一回聞きたいと思える素晴らしさ』

 『ギターうますぎ。ほんとに高校生かよ』


 『なんでかわからないけど、ちょっと泣いちゃった……。いい曲をありがとうございます』


 『絶対に売れる!今日から応援して、古参ぶろう笑』


 『好き!』


 『Glad I came across this』


 『もう100回くらい聞いた気がする。何回聞いても飽きない』


 『なんてきれいな声だ。背景の青空がよく映えてる。シチュエーションといい曲といい、最高の動画だ』


 『屋上でライブなんてすごくロマンチック!きれいな声だなあ』


 『文化祭か何か?こんな学校に行きたかった……』


 その言葉たちは、皮肉でも反語でもなく、まごうことなき賞賛の声だった。

 真っすぐで純粋な声。

 俺たちの音楽が、しっかりと世界に届いたのだ。

「ね?あんたたち、すごいんだよ」

 桃谷の方をちらりと見ると、不意に目が合う。

 数秒間、目を見合わせて、桃谷が俺に笑いかける。

 もう、彼女の目に曇りはない。

 覆っていたものが完全に弾けて、彼女の本当の顔が見える。

 それを見て、俺の顔も自然とほころんでいた。

 


× × ×


 放課後、屋上に来ると、もう監視の目はなかった。

 昨日の今日で監視を解いてしまうとは、この学校も詰めが甘い。

 扉を開けようと、いつも鍵を入れてあるかばんのポケットに手を入れると、鍵がなかった。

 かばんを広げて隅々まで探しても、見つからない。

 荷物を一度すべてかばんの外に出して並べてみるが、やはりない。

 困ったもんだと立ち尽くしていると、桃谷が階段から顔を見せた。

「鍵なら私が持ってるよ」

 そういって顔のそばで鍵をぷらぷらさせる。

「なんで桃谷が持ってんの?」

「ここから飛び降りようとしてたから、こっそり此花くんから盗んだ」

 冗談めかして、にやっと笑う。これが冗談になったことに、少し安堵を覚える。

「いつの間に……」

 桃谷が鍵をさし、扉が開く。

 景色はいつもと変わらない。

 何もない屋上。

 けれど、今日はいつもより風が温かく感じる。

 4月も終わろうとしている。

 春がその姿を隠そうとしているのだろうか。

「春も終わるな」

 いつもの場所まで歩きながら、そんなことをつぶやく。

 夕焼けがやけに赤い。

「何言ってるの。今から始まるんだよ」

 桃谷は、真面目な顔をしてそんなことを言う。

 言葉の意味を悟り、体がむず痒くなる。

 けれど、それを否定することはしない。

 確かに、始まるのだ。

「そういや、どうなった」

 直接的な言葉は使わない。使わずとも伝わる。

「昨日の帰り際ね、誰もいない廊下で山川さんたちとすれ違ったんだけど……」

 フェンスに手をかけ、遠くを見つめながら続ける。

「私を見た瞬間、目を逸らして、私たちは全くの赤の他人だったみたいに、通り過ぎていった」

 一見すれば、無視されているともとれるその行動だが、その意味は全くの別物だ。

 誰もいない場所で、ただ、すれ違った。

 それは、長かった旅がようやく終わったことを意味する。

 ある意味、これ以上何もしませんという彼女らなりの意思表示だ。

 プライドの高い山川のことだ、謝罪なんてことは絶対にしないだろう。

 だから、その行動が、ゲームの終わりを示すブザーの代わりなのだ。

「たぶん、クラスのほとんどの人たちが私たちのことを受け入れたから、もう前まで見たいな機能が、私からなくなったんだよ」

 絶対的な弱者だと思っていた対象が、突然、弱者ではなくなった。

 そのことに失望した山川は、以前のように桃谷をいじめることができなくなったのだろう。

「よう頑張ったな」

 燃えるような夕陽の赤に、瞼が半分閉じてしまう。

「えへへ」

 彼女も俺と同じように、目が半分しか開いていない。

 俺は体の向きを変え、桃谷に正対するように立つ。

「なあ、桃谷」

 俺の動きを見て、彼女も俺の方へ体を向ける。

 そして、目を開き、真っすぐに彼女を目を見つめて、俺は、言葉を紡ぐ。


「俺と一緒に音楽やらんか」


 後方からたばこの香りがする。

 彼女は目を瞑り、ゆっくりと俯く。

 そして、一つ、鼻で呼吸をして、また顔を上げる。

 目を大きく開けて、笑みを浮かべる。


「はい。よろこんで!」



 俺たちには、何もない。

 俺たちは、何も持たない。

 けれど、衝動が身体を突き動かす。

 音だけが、衝動と共鳴する。

 だから。

 

 青い僕らは音で刺す。

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青い僕らは音で刺す ふぉぐ @fog2323

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