第12話 大人と子どもと
ゲーセンを一通り遊び終えて、そろそろ帰ろうかと店を出た。
日もようやく暮れようとしていて、人通りが増え、昼の穏やかさが夜の騒がしさへその姿を変えようとしている。
電車のブレーキ音が鳴り響き、居酒屋のキャッチがめんどくさそうにスマホをいじっている。まだ日があるから目立たないが、それぞれの店がライトで軒先を照らし、今からこの街が始まるのだという意思表示にも感じる。
店の前に停めていた自転車にカギをさし、帰路につこうと駅の方へ自転車を回転させる。
「ちょっとお茶していかない?」
声を出したのは桃谷だった。
「おお、別にええけど、時間いけるんか?」
時計の針は午後6時を回ろうとしていた。
「そんなに門限早くないよ」
「そっか、高校生やしな」
所々から感じる、桃谷の親の厳しさを気にして質問したが、そこまで厳格なルールはないようだ。安心して遊べる。
「それに、男の子はそれ、聞かない方がいいよ」
「ん?なんで?」
何を意味しているのか分からない。
「女の子の門限は女の子が決めるから」
「はあ。どういう意味?」
「大人になればわかるよ」
何か意味深な物言いだ。女の子の心の機微は難しい。
「そっちもまだ子どもやん」
「此花くんよりは大人だよ」
「確かに俺はまだガキっていう自覚はあるが、直接言われるとなんかもやもやするな……」
俺に人より心も体も幼さが残っているのは理解しているが、他人から子どもだと言われるのはなんだかいい気がしない。悔しい。大人の階段上りたい。
「でも、此花くんは大人にならないでね」
息の多い優しい声でそう言った。顔は下を向いている。伏し目がちな顔に不釣り合いな笑みを浮かべている。笑っているようにも見えるし、悲しんでいるようにも見える。そういうアンニュイな表情。
「嫌でもなってしまうものやろ。俺も10年経ったら丸くなる予定やし」
「それでも、此花くんだけは大人にならないで欲しい。これは私からのお願い」
「お、おう」
その真に迫る表情に少し動揺してしまった。何か強い意志があって、そう発言しているように見える。裏に何か大きい意味がある、そういった影のちらちらする言い方。
けれど、それを問いただすことはさせない雰囲気も同時に醸し出している。心の内にわだかまる複雑な感情が表情筋を動かしているような感じがした。
俺は何も聞かず、というか、何も聞けず、話題を変える。
「そこのカフェでいいか?」
歩きながら見つけた、左側の並びに軒を連ねる有名なカフェチェーンを指さして問いかける。
「うん!」
また、店の前に自転車を停め、二人並んで入店する。
「あの窓際の席座ろか」
「いいね」
カウンターのように横並びで座る形の席に座る。荷物を席において、各々飲み物を買う。俺はアイスカフェラテで、桃谷はアイスコーヒー。なんか俺の方がおこちゃまやな。
「見て、これ。いいでしょ」
桃谷は笑顔と共に、スクールバッグに着いた猫のぬいぐるみを俺に向ける。それは、先ほどクレーンゲームで取ったものだ。うーん。一周回ってもかわいいとは思えんな。
「かばんにつけたんや」
「そう。いいでしょ」
嬉々として語る。
「そ、そうだね」
「絶対思ってない」
標準語+いい淀みですぐさま嘘だとばれる。
「いや、俺の共感力が足らんだけや。それをかわいいと思える感性を持ち合わせてない」
「まだまだ子どもだね」
いたずらに彼女は笑う。少女のような笑顔に、「どっちがこどもやねん」というツッコミは引っ込んだ。
おこちゃまの俺はカフェラテを一啜りして、ずっと疑問に思っていたことを問いかける。
「なんでこんなに俺を遊んでくれるん?」
どうして俺に構ってくれるのか。どうして俺みたいな人間と関わってくれるのか。俺が他人だったら絶対に近づかないのに。
「人と関わるのに理由が必要?」
ストローを加えながら、真剣な目をしてそう言う。さっきまでのあどけない表情とのギャップに思わず心臓がドクっと大きく動いた。
「私が論理で生きていたら、此花くんと関わらないよ。でも、そうじゃないから話したいし、遊びたいの」
「それ、褒めてる?」
「はは、褒めてるよ。私なりの最大の賛辞」
「そうかあ……?」
どうも釈然としないが、彼女が悪意を他人にぶつけるような人間ではないことから、その言葉も信用してもいいのかもしれない。
「此花くんは、なんで私を拒絶しないの?」
こちらの顔を除くようにして問いかけてくる。
真っすぐ目を見られていることに恥ずかしさを覚え、とっさに目を逸らしてしまう。しかし、返答しないのも失礼かと思い、もう一度目を見かえして、口を開く。
「そりゃあ、あの、あれや。何というか、歌上手いし……」
言葉にしようとすれば、うまく組み上げられない。
いや、決定的な理由はあるのに、それが言えない。
一度は断られた願い。
「なにそれ。すっきりしないなあ」
落胆したようにコーヒーを啜り、まどの外を眺めている。
ああ、情けない。もう一度言えばいいだけなのに、それが出てこない。声にならない。
あの時の、衝動に身を任せたような心情が戻ってこない。
彼女の横顔を見る。
小さい顔に相対して、ふわっと膨らむ髪。
幼さが残る顔立ちに小さい手。
その小ささからは想像ができないあの歌声。
まだ、耳の奥に、心の中にその声音が鳴り響いている。
綺麗で、美しくて、艶やかなその声。
残る残響でさえ、人の心を打ち続ける。
音が止まってなお、人の脳を埋め尽くす。
聞いたことのない色が想起され、感覚神経が強く刺激される。
心の底にわだかまっている衝動が、針で刺されて動き出す。
「一緒に音楽がやりたい」
それ以上は望まない。恋仲になりたいとか、そんな浅薄な願望は持たない。
ただ、一つ、その声が欲しい。
俺の曲を歌ってほしい。それだけだ。
「……」
沈黙が響く。
俺は強く手を握り、うつむく。彼女はカップを両手でつかみ、窓の外とじっと眺めている。悲しそうな目で。
声はない。彼女の表情からは、熟慮の沈黙というわけではないことが伺える。
握った拳に汗が滲む。体が熱く、その熱が伝わってしまうのではないかという心配が生まれる。
「それはできない」
悲しい顔で、悲しい目で、悲しい声で、そっと言い置く。
まるで世界に一人取り残されたような、孤独で悲哀に満ちた表情。
端麗な顔立ちから生み出された悲壮感。
裏にあるものが何なのかはわからないが、その薄暗さが夕暮れの光をかすませる。
「そっか」
窓の外を人が過ぎていく。
それぞれに表情があり、感情がある。
それらのすべてを一つ一つの細胞として、街という大きな生き物となる。
その巨大な生物が二人を残して、周囲のすべてを飲み込む。
これから夜が始まる気配がする。
「なんか暗くなってもうたし、そろそろ帰ろか」
「うん」
まだ、半分以上残っているカフェラテとアイスコーヒーをカウンターへ返し、何を話すこともなく、外へ出る。
扉が開いた瞬間、夜の音が耳をつき、現実世界に生きていたことを思い出させる。空想に似た異空間から、元居た次元へ戻ってきた。
自転車が顔を傾けて、静かにたたずんでいる。
空気は冷たい。
二人に会話はない。
静寂という騒音があるだけだ。
自転車にまたがり、力の抜けた手を挙げる
「それじゃあ」
桃谷は何も言わず胸の前で小さく手を振る。
そして、桃谷は駅の方に、俺は駅の反対に向けて進みだす。
彼女は歩いて、俺は自転車で。
数秒をおいて、振り返ってみる。
夜の商店街の街並みの中に、こちらを振り返る少女が一人。
その少女と目が合う。
何かを思い、何かを憂う。
思いはあれど交わらない。
視線はつながっているが、それ以上のことを伝えない。
約5秒、互いが互いの目を見つめ、そして、言い合わせたわけでもなく、視線を進行方向へ戻す。
自転車が軽い。
いつの間にか、息を切らし、全力でペダルをこぐ自分がいた。
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