第6話 ニルヴァーナと衝動

 一夜明けて教室。3限目開始のチャイムが鳴り、先生が入ってくる。

 昨日のことがあったから、どこかこっぱずかしい。どう先生を見たらいいのか分からない。まるで告白を終えた次の日のような心持だ。真っすぐ先生を見つめられない。あんな心の恥部を見せつけられたら、そりゃ誰だってこうなるだろう。なんとも不思議な気持ちだ。

 そんな俺の心の機微をよそに、先生は平静と変わらない様子で、いつものようにけだるいヤニでしゃがれた声で号令をかける。

 どうしてあそこまで普通でいられるのか分からない。もうちょっと恥じらいがあってこちらを意識しつつも目を合わせられない的な人間らしい部分を見せてくれてもいいのに。まるで、意識しているこちらが馬鹿みたいではないか。ちょっとメンヘラみたいか。やめよ。

「じゃあさっそく洋楽紹介のコーナーいくぞー」

 いつものようにスピーカーをblue tooth でスマホにつなげる操作をし、スピーカーをこちらに向ける。

「本日の曲はこちら。皆さん大好きCharlie Puthで『Thats Hilarious』。早速聞いてみましょう」

 アプリの再生ボタンを押す。

 曲調はゆったりとしているが、キックとスネアの音がはっきりと前に出ている。ボーカルのトラック数は多いが後ろの楽器の数は少ない。いかにも洋楽らしい作りだ。シンプルだが、ボーカルのCharlie Puthの声、歌唱、演技が素晴らしく、聞いていて飽きない。何より、メロディの運びが素晴らしく、サビの上下する音程が何とも感情を煽る。そこへ、低音の利いたキックとシンセベースでグルーヴが身体を揺らし、ボーカルんオブリが間を繋ぐ。論理と感覚の調和のとれた楽曲だ。

「じゃあ、山川。この曲のいいところ3つ言ってみよう」

 山川とは、桃谷に嫌がらせをしているグループの筆頭だ。

 先日は先生から暴力すれすれの脅しをくらって、その悪態がさらに強くなっている。

 先生に指名された山川は、先生のことを睨めつけながら、不服そうに口を開く。

「どこがいいのかわかりませーん」

 挑発するように語尾を伸ばし、先生への敵対心を表現する。睨めつける目は変わらず、先生を馬鹿にするように口角を少し上げて、取り巻きの女子生徒の方を見て、自分のポジションを確認する。合図を受けた女子生徒たちはクスクス笑い、自分がそのグループの一員であることの証明をする。のけ者にされないように、生存本能がその表面だけで作られた嘲笑を促す。

 それを確認した山川は、さらに挑発を続ける。

「てか、先生。この間のこと謝れよ」

 足を組み、背もたれに体重を預ける。腕を交差させて、大仰な態度で先生の方を見遣る。まるで見下すかのように顎を上げ、長いネイルがついた指で肘をトントン叩いている。

 先生の拳に鼻先をかすめられた時は、ひどく恐れおののいていたが、その先生の行動が逆に直接的な暴力を振るわないという確証になったのか、山川は、自分の存在を誇示するように先生に強く当たる。

 謝るまで授業をさせないぞといった山川の態度に、先生もどうしたものかと首を傾げて考えあぐねている。しかし、それは動揺のような山川に対して腰が引けた態度ではなく、癇癪を起した子どもにどう対処するかといった、子どもに相対したときの父親のような様相だ。先生は全くひるんでおらず、むしろ、このゲームをどうクリアするか、楽しんでいるようにさえ見える。

「んー。じゃあロックでも聞くか?」

 腕を組み、首を傾げながら、いたって坦々と余裕のある声でそう問いかける。先生は本気で彼女を取り合ってはいない。売られた喧嘩にのってあげて、教育でもしてやろうかという勢いで対峙している。

「は?こっちが言ってる意味わかってんの?謝れって言ってんの。てか、毎回自慢げに洋楽流してるけど、こっちは誰も興味ないから」

 ふてぶてしい態度で切り返す。

「お前たちの興味のあるないは関係ない。俺が流したいから流してるんだ。今のお前だって、俺を貶めたい一心でそんな態度をとってるだろ。周りからしたらこんなにどうでもいいこと、そうそうない」

 先生は優しい。受け流さず、真っすぐ喧嘩を買ってやっている。本来なら、適当に無視してもいいところを、彼女に己の青さを自覚させるため、あえてプロレスをしてあげている。しかも、山川が傷つくような直接的な罵詈雑言は吐かず、至って優しい言葉で詰っている。

「……っうう。ともかく、あたし、先生が謝るまで授業受けないから」

 机を軽く蹴飛ばし、授業を放棄する意思を見せつける。あくまでも、先生を謝罪させ、自分が上にいることを証明したいらしい。

「うーん。しょうがないなあ……」

 そう言うと、先生はスマホをポチポチ操作し始める。一瞬間スクロールで目的のものを探すそぶりを見せ、目当てが見つかったのか、教室中に語り掛けるように言説を始める。

「えー。近頃、この教室は空気が悪いです。それは大気汚染とか煙たいとか、そういう物理的な悪さではなく、人間関係を発端にした居心地の悪さです。みんなも人間なので、気の合う人、合わない人がいるでしょう。しかし、その歯車がうまく合わない人たちとも、後の人生、たくさん関わっていかなければなりません。そうなったときに、変な嫌がらせをする、尻に敷いて自分の承認欲求を満たす、そういった対処法ではさらに大きな問題になりかねません。先生は皆さんにそんな大人になってほしくはない。もっと建設的で合理的な対策を講じてほしい。子どもじみた笑止千万、浅薄愚劣な方法で他人と関わってほしくない。なので、先生がお手本を見せて差し上げます。これが大人のやり方です」

 そういうとスマホをまたぽちっとわざとらしく大きな動作でタップし、スマホの横のボタンを長押しし、音量を上げる。

 流れ始めたのは、Nirvanaの『Smells like teens spirit』。ド定番の名曲。それが、最大まで音量の上げられたスピーカーで、爆音で流れる。耳を塞ぎたくなるような音量だが、実際に耳を塞ぐものは誰もいない。皆、わけがわからないといった表情で、あっけにとられている。

 それもそのはずだ。あんな演説の後で、流し始めたのが爆音のロック。理解しようとしてもできない。

 その行動は、先生の意思表示に見え、また、ただの気まぐれにも見える。真相はわからない。ただ、歪んだギターのリフが鳴り響いている。

 当の先生は微動だにせず、腕を組んで黒板にもたれかかっている。意図はわからない。けれど、確かにその音は教室という小さい世界を征服してしまった。誰も動かない。動けない。

 山川は、呆然とした顔の奥に動揺を滲ませ、組んでいた足をほどき、スピーカーを見つめていた。理屈では解釈できない先生の行動に、怒りなどは吹き飛んでしまったらしい。

曲が終わるまでの数分間、教室を満たしていたのは、空気ではなくカート・コバーンの衝動だった。

 曲が終わると、先生は何もなかったかのように教科書を開く。

「では、授業をはじめます」

 誰も何も言葉を発せず、いつものように授業が始まる。

 山川は数秒、出方をうかがったようだが、何をしてもこの先生には意味を成さないことを悟ったのか、しぶしぶといった鈍い動きで教科書を開く。

 デイヴ・グロールのドラムが耳の奥に残っている。力の限りを尽くして叩かれたシンバルが耳鳴りのようにジーンと響き、カート・コバーンのしゃがれた声が脳を揺らす。

 速くなった鼓動が収まらない。

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