第2話 そして始まる
「なんで呼ばれたか、わかるな」
たばこの煙をくゆらせながら、担任の鶴橋洋二はけだるそうに問いかける。
「いやでも理解させられますよ」
別に知りたくもないのに、無理やり耳にねじ込まれるからしょうがない。
「僕だってこの件に関しては被害者です」
「わかってる。お前がそんなに悪い奴じゃないってのはよくわかってる。けどな、俺も上からの圧力でどうしてもお前と話さねえといけねえんだよ。変な仕事を増やしてくれるな」
一つため息をおいて、灰皿にたばこの火を圧しつける。そうかと思えば、また一本取り出して、慣れた手つきでライターのスイッチをはじく。
「変な仕事って。絶対怒るべきはそこじゃないでしょ」
「なんだ、こっちは気を使って核心にはまだ触れないようにしてやってるのに。それともあれか。怒られて言い返して、喧嘩になって青春のむしゃくしゃした心情を表現したい的なあれか。中二病というやつか」
「普通、大人は若者のそういう心の機微には気づかないふりして接するんですよ」
「あー、ごめんごめん。・・・じゃあ、一本吸う?」
「教師が未成年に喫煙をすすめんな。あんたもここで吸って大丈夫なんすか」
「別にいいでしょ。この面談室、ほとんど使われてないし。誰も来ない」
「臭いでばれるでしょ」
「ううっ。その発想はなかった」
「あれよ」
「まあ、窓も開けてるし、大丈夫でしょ」
何も考えていなさそうな顔で、ふーっと長く煙を吐く。この人は本当にうまそうにたばこを吸う。
「ていうか、説教するならさっさとしてくださいよ」
「なんでそんなめんどくさいことしなきゃならんのだ。学年主任に話聞けって命令されたから呼び出しただけで、俺だってお前と話したくて話してるんじゃねえよ」
「あんた、ほんとに適当だな」
「適当で結構。仕事なんて流してやるくらいがちょうどいいんだよ」
「よく教員試験受かったな・・・」
「ところで、なんでもみ合いになったんだ?」
「急にくるなあ」
「この一本吸い終わるまでに簡潔に話してくれ」
「まあ、お察しのとおりですよ。路上ライブ終わって帰ろうとしてたら喧嘩吹っ掛けられて。そんで、売り言葉に買い言葉でああなりました」
「関西人ならエピソードは面白く話せよ」
「簡潔に話せって言ったのあんたでしょ。それに今は東京在住です」
「学校に連絡がないってことは警察は呼ばれなかったのか」
「はい。あの小競り合いもほんの数分だったので」
「それは運がよかったな。警察呼ばれてたら、問答無用で校長と面談だったぞ」
「え?この後、校長と話すんじゃないんですか?」
「俺がうまいこと言っといてやるよ。てか、これ以上仕事増やしたくないし」
「仕事増やしたくないって茶化すところがかっこいいですね。ほんとはやさしさのくせに」
「普通、子どもは大人のそういう心の機微に気づかないふりするもんだぞ」
目はけだるげなのに、怒りは伴っていない。これだからこの人は嫌いになれない。
「わかったらさっさと行け」
たばこを持った手で退室を促す。燃えカスが散ってテーブルに落ちる。
「助かります。今度たばこおごりますね」
「おう。赤マルのボックスな」
「大学生が吸う奴やん」
窓から吹き抜ける風に煽られて、一条の煙が鼻先をつく。乾いたその香りはほんのり苦い。
× × ×
節々に刺さる白い眼の矢の痛みに耐えながら、なんとか午前の授業をやり過ごした。なお、内容は何も頭に入っていない。
もう一度ツイートを確認してみる。ファボ数1万、リツイート数3千。結構バズっているらしい。なんとも不快だ。
屋上の空気は澄んでいる。下層にたまったよどんだ空気を下目に、コンビニの絶品サンドイッチを頬張る。
この屋上は、校則では立ち入り禁止だが、俺が先生の弱みを餌ににゆすったところ、こっそりカギをくれた。そもそも、普通の生徒はこんなところが存在することすら知らない。
あーあ。どうせバズるなら音楽でバズりたかったな。しばらく路上ライブはできないだろうし、学校に来るのもめんどくさい。いっそ、ほとぼりが冷めるまでサボるか。でも、そんなことしたら、世間の目に屈してしまったことになるか。難しい。
RYHMESTARでも聞くか、とイヤホンを耳につけ、冷たいコンクリートに寝そべり、目をつむる。この瞬間だけが幸福だ。
「や、やっぱりここにいた」
歌さんでもDさんでもない声が聞こえ、怖くなって急いでイヤホンを外した。なんや、幽霊か。
「んー。最近は幽霊も黒パン履いてんのか」
「ちょ、ちょ、ちょっと!ど、どこ見てるの!?」
頬を赤らめたその幽霊は、恥ずかしそうにスカートのすそを引っ張って、必死で足元を隠す。
一周回って黒パンもいいと思えるようになってきたが、やっぱり生のパンツには適わない。なんてったってパンツだから。いや、パンティーだから。
「幽霊がなんか用ですか。お迎えにでもきたんですか」
「な、なに言ってるの?幽霊?」
自分のことを幽霊だと自覚していないタイプもいるのか?じゃあ、教えてあげるのが世の情け。酷な現実だが、真実を伝えてあげるのが優しさだ。
「ここは俺しか知らないし入れない場所だから、ここに人間が存在しているはずがないんですよ。だから、消去法的にあなたは幽霊です。残念ながら、それが真実です」
「んん?何言ってるの?普通にドア、開いてたけど・・・」
「あ」
しまった。カギを締め忘れていた。この反応は幽霊ではないか。でも、なぜこの場所がわかったんだ?
「カギ開いてたにしても、なんでこんな場所あるって知ってんだ?」
「・・・そ、それは、ちょっと・・・」
急に歯切れが悪くなった。なんだ、ストーカーでもしてたのか。いや、それはうぬぼれすぎか。俺にファンはもとい、背中を追いたくなる奴なんかいるはずもない。
「う、後ろをつけてきたというか・・・。ちょっとついて行ってみたら・・・」
「もしかして、ストーキングしてたってこと?」
「す、ストーキングじゃない!ただ、後を追っただけで・・・」
「それを世ではストーキングと言います」
「じゃ、じゃあ別にそれでいい!なんでもいいけど、これを渡したかっただけ」
すると彼女はスカートのポケットをまさぐり、俺にとってはなじみの深いものを取り出した。
それはピックだった。
「なんでこんなん持ってんの?もしや、結構ヤバ目のストーカー?」
「ち、違う!」
必死で顔を横に振る。ヘドバンでもするかの勢いだ。
「ただ、昨日のライブで此花くんが落としたのを拾っただけで」
「昨日?もしかして見てたの?」
「・・・うん。私、最寄り駅があそこだから」
なんだか恥ずかしそうに、上目がちでうなずく。
あちゃー。目撃者がいたとは。此花志紀、一生の不覚。
「もしかして、喧嘩も見てた?」
俺の醜態を見られていたのか、一応問いかける。まあ、動画が拡散されている以上、見られていたからどうといったことはないが。
「も、もちろん」
うん。気まずい。学校では漫画を読んでるか、イヤホンつけて寝たふりしかしていない、スクールカースト最下層、いや、ランク外の俺が、あんなに声を荒げているところを間近でみた同級生が存在したとは。シンプルに嫌です。
「で、でも、あれはあれでかっこよかった!此花くんの曲の説得力が増したというか。すごく、ロックンロールだった!」
ロックンロールか。いっそギターでも叩き割ったらもっと盛り上がったのか。
「そういや、あんた、朝も話しかけてきたな」
「うん。ピック渡そうと思ったら、先に昨日のライブの感想が出てきちゃった。それと、喧嘩も此花くんが一方的に悪いわけじゃないから、元気づけようと・・・」
「なるほど。からかおうとしたわけじゃないのか。それは悪かった」
「ううん。気にしてないから大丈夫」
それにしても、純粋な心で俺の音楽を肯定してくれる人間がいたとは。人生何があるかわからない。ていうか、俺、自分の音楽に自信なさすぎやろ。
「わ、私もここでご飯食べていい?」
「だめです」
ここは学校という地獄に唯一存在する俺のオアシス。俺以外の何人たりとも安住することは許されない。気持ちいい風に吹かれながら静かに音楽を聴くこの時間を邪魔されるなんてたまったもんじゃない。
「そ、そっか。わかった・・・」
残念そうな顔でうつむき、地べたに座り込む。かと思えば、弁当袋のひもをほどき始めた。ん?
「だめっていう言葉の意味わかる?」
「うん、わかるよ」
そういいながら、手際よく弁当を食べる準備を済ませ、小さな手を合わせて小さい声で「いただきます」といい、卵焼きを箸でつかむ。
「絶対にわかってないよね」
「ううん。わかってるよ」
だめだ。無敵の人だ。女の子ゆえに無理やり押し出すわけにもいかない。それをわかっていてやっている。なんてずるい女だ。シャ乱Qもびっくり。
「なんで俺と一緒に食べたいの?恋でもしてんの?」
「してないよ」
割と食い気味に反論される。そんなにきっぱり否定されると悲しいな。
「ただ、教室が息苦しいだけ。みんなの此花くんのこと避けてる。触れてはいけないものっていう空気が充満してる。みんな言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに」
「あんた、もしかしていいやつ?」
「みんなが間違ってるだけだよ」
なんだか心がぽかぽかする。敵しかいないと思っていてた教室に、こんなに人情あふれる人が、いや、天使が存在したとは。
「あんた、友達おらんやろ」
「な、なんでわかるの?」
やっぱりか。往々にして、正義は嫌われる。世の中にとっては世論が正義だから。
「正しいって、生きにくいよな」
「・・・うん。自分が全部正しいとは思わないけど、それでも世の中間違ってることが多すぎる」
「間違いを許容できる奴が人生うまいこといくんやろうな。優しくない世界や」
ご飯でリスみたいに頬を膨らませながら、彼女は大きくうなずく。彼女も、自分の正しさと社会との溝の間でもがいている一人なのだろう。
「ていうか、あんた」
「あんたじゃない。桃谷京花。」
「ああ、すまん。桃谷さん」
「ふふ。なんか違和感。京花でいいよ」
「下の名前はハードル高いっす」
「じゃあ桃谷。さん付けは遠い感じがしていや」
「桃谷」
「まあ、許容範囲。それで?」
なんだかむず痒い会話だ。
「あ、そうそう。桃谷、俺の音楽をいいと思ったって言ってたやろ?」
「うん」
「それはほんまなん?お世辞とかじゃなく?」
「もちろん本心だよ。此花くんの音楽は、深く人を刺そうとしてる感じがする。それは救うことでもあるんだけど、助けるというよりはもっと鋭い、ナイフで心の中のもやもやの風船をを刺してくれる感じ。はは。なんかうまく言葉にできないや」
音で刺す、か。
「なかなか見る目、いや、聞く耳あるな」
「でしょ。うふふ」
人生において褒められた経験がないので、どうしても恥ずかしくなってしまう。どういう顔をしたらいいのか分からない。
「あ、忘れてた。はい、これ」
ずっと手に持っていたらしいピックをそっと差し出す。受け取ろうと手を向け、ピックが手に触れた瞬間、ピックと共に彼女の手も掌に触れる。彼女の指は華奢な身体とは違い、皮が分厚く硬かった。
「ギターかベースやってる?」
「うん、へたくそだけどギター弾いてる。ギターというか歌いたいから仕方なく弾いてるだけだけど」
「やっぱりか。でも、その指の硬さやったら、結構始めて長いんじゃない?」
「うーん。中2からだから3年ちょっとくらい?」
「なるほど」
3年ちょっととは思えない硬さだ。そうとう弾きこんでいるとみえる。
「歌えるんか」
「ちょっとだけ」
「今、歌えるか?」
「ん?今?」
きょとんとしている彼女をよそ目に、ドア口の裏にかくしてあるギターを持ってくる。
「なんでこんなところにギターおいてるの?」
「誰にも触られたくないから」
言いながら、いつものように、幾度となくしてきた作業であるチューニングを始める。6弦から順にE、A、D、G、B、Eと、周波数がぴったりになるようにペグを回していく。
「3弦、ちょっとずれてるよ」
「ん?あ、ほんまや」
3弦をはじき、チューナーを見ると、ほんの少しだけ針が左に触れていた。急いで修正する。
「絶対音感あるん?」
「うん。小さいころピアノやってたから」
「なるほど。いいな」
なんど絶対音感があればと羨んだことか。作曲しているうちにある程度相対音感は身についたが、それはあくまで二次的なもので、絶対音感には適わない。
「こんなのあっても、ギターがうまくきゃ、ないのと一緒だよ」
「そうか?」
確かに鋭すぎる絶対音感を持っていると、すべての音が音階を伴ってしまって生きにくいという話は聞いたことがある。それでも、作曲をする身としてはうらやましい。
「ほんで、何歌える?」
「んー。吉澤嘉代子の『残ってる』とか」
「お、いいね。あれキー何やったっけ?」
「Ⅾメジャー!」
「おっけい。じゃあ4カウントでサビから」
「うん!」
「1、2、3、4・・・」
――それは衝撃と呼ぶにはあまりにも大きかった。
――外界の音がなぎ、まるで世界が彼女の歌声を前に口をつぐんだかのようだった。
鮮烈で、美しく、艶やか。
力強くて、やさしい。
耳をそっと撫でるのに、脳内で大きく増幅される。
何色でもあり、何色でもない。
音なのにも関わらず、触れた体中が心地いい。
それは表現という領域をはるかに超えていた。技術によって魅せるのではない。音の根本から、音楽なのだ。
演じているのではない。憑依している。曲の世界の中に、彼女が存在している。
「ん?どうしたの?」
「ああ、ごめん」
あっけにとられてギターを弾く手が止まっていた。まだ、体がピリピリしている。
「綺麗や」
「え、あ、ありがとう」
何が何だかわからないといった顔で首を傾げている。
「綺麗や」
「う、うん、ありがとう。そんなに強調すること?」
一瞬、静寂が屋上を満たす。
「俺と一緒に音楽やらんか?」
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