青い僕らは音で刺す

ふぉぐ

第1話 音楽は死んだ

路上の風は冷たい。

ギターをつま弾く指が思うように動かない。もともとひどい歌声も、乾いた空気に掠れはじめ、なんともひどい弾き語りだ。

「なんか歌、へたくそじゃない?」

 うるせえよ。お前たちは声でしか音楽を評価できないのか。いい声で歌われた曲にしか心を動かされないのは、曲を作る人間の苦労にまで想像が及ばないからであって、その人間性の浅薄なことが伺える。

「でも、ギターはうまいよ。おれギター弾くからわかる」

「えー、ギター弾けるんだ。今度聞かせてよ」

「いいよ。でもそんなにうまくないよ?」

 俺の演奏を自分の自慢のために使うな。ギターをだしに女をひっかけようとするやつは大体ロックしか聞かず、そのくせやたらと音楽をわかっている風な顔をしてぺらっぺらな批評をする。歌詞がどうとか生い立ちがどうとか、そういう表層的なところにしか目を向けず、理論的な審美眼を持たない。抽象的な音楽が至高だと思っていて、ⅣM7→Ⅲ7→Ⅵm7みたいな使い古されたコード進行をエモいなどという淡白な一言で表現する。

 なんとも腹立たしいので、C7の上でオルタードを弾いてやる。♭9から♯9、続けてM3、♭13と気持ちのいい運びで進める。そして着地のP8。どうだ。お前にはわからないだろう、この旨味が。

「そろそろいこっか」

「うん。なんかつまんない」

 そうだ。それでいい。本当はもうひと批評してギター自慢をしたかったところだろうが、理解できないものを前に撤退した。それでいい。お前に俺の音楽がわかってたまるものか。

 音楽は変わってしまった。いい音楽とは数字を持っているも音楽で、それ以外のものは市井では音楽と呼ばないらしい。

 SNSが音楽の主戦場となって、再生回数が音楽を評価するうえでの最重要項目となった。再生回数の多い曲こそが良い音楽で、再生回数の少ない曲は聞くに値しないらしい。 ニッチな音楽を好んで聴く、それをアイデンティティとしている奴らも、一定の再生数を持っているものを音楽と呼び、その基準に満たさないような真にニッチなものは彼らにとってニッチとはならないようだ。

 素人の微妙なダンスを映した縦型動画のBGMとして消費され、音楽の造形の深さを自慢するための道具として使われる。内容云々はどうでもよく、いかに周りが聞いているか、己の音楽性を証明できるかが重要である。なんとも非合理的な世の中だ。

 周りが聞いているかどうかはその曲がSNSのアルゴリズムに乗るか否かでしかなく、ニッチなものをかっこいいとするなら再生数が1回くらいのものを聞けばいい。それに目をつむって流行という大きな生き物の威を借りて正義を語る。他人が聞いているかどうかを指標にするなどという行為は弱者のすることだ。

 路上を吹き抜ける風は相変わらず冷たい。声とギターの音は尖っていく。


× × ×


「にいちゃん、なんで音楽やってんねん」

 声が出なくなってきたので、路上ライブはお開きにして家に帰ろうと機材の片づけをしていたところ、後ろから声をかけられる。

 振り返ると、そこにはしかめっ面で頬を赤くした、おそらく飲み会帰りであろうおじさんが立っていた。

「なんでって好きだからですけど」

「好きなんかもしれんけどな、にいちゃん才能ないわ。歌も下手やし、曲もようない。なにより、心がこもってないわ。人に聞かそうという思いやりがない。自分のギターの技術自慢してるようにしかみえへん。そんなんやったら音楽やめてもうたらええねん」

 歌がへたくそだの言われるのは我慢ができる。これまでもずっと言われてきた。

 ただ、音楽への情熱を否定されると、なんとも我慢いかない。

「なんやおっさん。こちとら寝る間も惜しんで曲作って、寿命削って音楽やっとんねん。あんたみたいなちっさい脳みそに理解されてたまるかい。」

 昂って関西弁が出てしまった。悪い癖だ。

 言い返されたおじさんはさらにその眉の皺を深くする。

「なんやその口の利きかた。まず、年上に対する礼儀がなってないわ。若いからもの知らんのやろ。そういうところ、聞く人には伝わってんで。」

「お前みたいな場末のおっさんのどこを敬えばええねん。お前の100倍は努力してんど」

「なんも知らんガキが生意気ぬかすな。生きてきた長さが違うねん。見てきた人の数も違う。お前みたいなやつ、一生売れへんわ。断言できる」

「売れるってなんやねん。数字がデカければいい音楽か。お前みたいなあっさい評論家ようおるわ。批評するのかと思いきや、誰かの受け売りの言葉でわかったようなこと言うやつ。曲も作ったことない癖に業界人ぶって気色悪い。人のこと貶すなら他人と違う意見言えよ。聞いたことのあるありきたりな言葉で俺の音楽を汚すな」

「素人の意見を取り入れようとせんところがまた浅いわ。ほんまに売れよう思うたら人の意見も聞いたらどうや」

「くその役にもたたん意見、どうもありがとうございます。参考にさせていただきます」

「喧嘩打ってんのか?」

「売ってるどころか無料配布じゃい」

「口で言うてもわからんなら、手でわからしたろか?」

「あん、ごら。やったろかい」

 男として、そして音楽をやるものとして、ここは一歩も引けない。引いてはいけない。ここで日和ってしまっては、これまでの自分を否定するようなものだ。

――ぼん。鈍い音が響く。

 一瞬間をおいて気付く。どうやら殴られたようだ。口の中に血の味が広がる。よかったこれで大義名分もできた。

「おっさん。そっちから手出したからな」

――ドス。腹を一発。こちらは頬を殴られたが、意趣返しも面白みがないからあえて腹。

 思いのほかみぞおちの一番効く場所に当たったらしく、一瞬呼吸が止まったようで苦しそうな顔をしている。

 態勢を立て直したおっさんに髪を掴まれ、頭が下がったところに膝蹴りが直撃する。

 鼻頭から顔面の真ん中にクリーンヒットしたが、どうやら格闘技経験はないようで、勢いもなかったことから運よく致命傷は避けられた。

 髪を掴んでいる手を外側に捻り、髪から離れたところを背中に押し付け押し上げる。警官が犯罪者を捉えているような構図だ。

 手が思うように動かず身動きが取れなくなったところに足をかけて前に押し倒す。うつぶせに倒れたところを馬乗りになり、地面に接した頭を抑えつける。

「お前みたいにのうのうと生きてるやつに俺の苦労がわかるかい。曲作って、歌って、馬鹿にされて、それでも曲作り続けてまた馬鹿にされて。この辛酸の味が理解出るか?へたくそな歌でも言いたいことがあって、新進削って書いた歌詞が素通りされる気持ちがわかるか?あほには理解できんのじゃ、ボケ」

 言いたいだけいうと力が抜け、拘束をほどいてやる。のそっと立ち上がったおっさんは服についた汚れを払って、言い残したようにそっと言葉を置いた。


「死んでももうたらええねん」


 喧嘩を仲裁しに入ったサラリーマンに引きはがされ、場は沈静化した。

 周りを見ると、スマホで喧嘩の一部始終を録画している奴や、馬鹿にしたように笑っている奴、見て見ぬふりして通り過ぎていく奴。

 嫌いだ。すべてが嫌いだ。俺の音楽だけが正義だ。

 喧噪の中に取り残された哀れな少年を、4月の鋭い風が優しく諭すように撫でる。


× × ×


 おっさんとのもみ合いから一夜明け、眠たい目をこすりながら教室のドアを開ける。

「あ、来たよ。」

「ほんとだ、ミュージシャン(笑)じゃん」

「そんなに大きい声出したら聞こえるって。殴られちゃうよ」

「やばいやばい。ミュージシャンって怖いね」

 何やら白い眼を向けられているらしい。

 昨日の小競り合いのことか?でも数人しか見てなかったし、学校から遠い駅のロータリーでやっていたから、ここの生徒が目撃したとも考えにくい。じゃあ、何を噂されているんだ。

「みほー、何話してんの?」

「これ見て。昨日ツイッターに上がってた動画」

「なになに。――これって・・・」

「そうそう、あんまりおっきい声では言えないけど」

「やっぱりそうだよね」

「やばくない?」

「これガチのやつ?合成とかじゃなく?」

「だれがあんな陰キャ合成して動画つくるんだよ」

「それもそうか。うわー、引くわ」

「だよね。てか、学校では何にも喋らないくせに普段はこんな感じなんだ」

「意外だよねー。意外ってか恐ろしい」

「恐ろしいって笑。まあ確かにこんな馬乗りになって怒鳴らなくてもね」

「弾き語りの動画も一緒に載ってたよ」

「うそ、みしてー」

「ほい」

「なにこれ。歌、へたくそ過ぎない?」

「私も思った!こんなのでミュージシャン語ってるんだって」

「やばいね」

「うん、やばい」

 もしや。

 すぐさまスマホを取り出し、ツイッターのアプリを開き、駅名、喧嘩で検索をかける。

 やっぱりか。

 一番上に表示されたツイートにはこう記されていた。

『【悲報】路上ライブ中のシンガーソングライター、酔っ払いと殴り合いしてしまう』

 ツイートには動画が添付されており、昨日の俺のひと悶着が一部始終映されていた。

「・・・こ、此花くん」

 か弱い声で呼びかけられる。

 この状況で俺に話しかけるとはいい度胸だ。

「き、きのうのライブ、その、なんというか・・・、すごくよかった!特に、あの『ブルーシンドローム』って曲の「だれも見てないけどこれだって痛みだ」っていう歌詞、あそこすごく好き!だから、その、動画のことだけど・・・」

「冷やかしならやめてくれ。笑いたかったら陰で笑っとけ」

『2年4組、此花志紀くん。2年4組、此花志紀くん。至急、職員室まで来てください』

 お呼びだ。周囲を威嚇するようにドアを勢いよく閉める。


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