第二十五章 秋の田の療呪法


 少し時を遡り……舞桜が三笠へ駆け寄っていった頃。同時に、佐々木峻佑も走り出していた。

 彼が向かったのは、三笠ではなく、彼女の友人・村雨霧花のところ。


 舞桜と峻佑の術式によって呪詛結界を破ったとき、中から聞こえた会話によると……どうやら、彼女は呪鬼に操られているらしかった。


(早く、体内から呪いを出してあげないと――)


 峻佑は、そう考えながら呪詛結界内を走り、霧花のもとへと急いだ。


「大丈夫?」


 一応、声をかけてみる。これで普通の反応が返ってきたら、それが一番いいのだけれど。


『み、ん、な……死ねば、いいのに』


 少女の口から、発せられる罵詈雑言。


(やっぱりダメかぁ)


 峻佑は心の中で、ため息を付いた。これはかなり、重症だ。彼女自身が操られていることに気づいていない。少しでも自我があれば、呪いを解くのは簡単なのだが……。


(しかたない、『療呪法』を使わないと)


 峻佑は御札を取り出した。そして、静かに和歌を唱える。


『和歌呪法・秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ』


 天智天皇が詠ったという、百人一首一番を飾っている歌だ。


『結界展開・秋の田』


 峻佑の持つ御札が、淡い橙色に染まり始めた。それと同時に、彼の専用結界が展開されていく。


 秋の涼しい風が吹く田園地帯――その真ん中に、寂れた小屋が建っている。そんな、和歌の情景そのままの結界内には、峻佑と霧花の二人の人間しかいない。

 ヒメカの呪詛結界の空間から、彼ら二人だけを切り取ったのだった。


「よし、結界展開完了」


 峻佑は一人呟くと、結界内の田んぼの間の畦道に立っている村雨霧花の元へ向かう。


『み、かさ、も、しねばいい……』


 その少女は峻佑が近づいてもなお、ぼうっとした目で遠くを見ていた。


『呪って……やる……』


 言動から見るに、まだ操られているらしい。

 しかし、陰陽師の結界内にいるためか、峻佑を認知して攻撃してくるような力は無いようだった。


「自我を呪いに奪われているんだよね……ごめんね、もっと僕らが早く来ていたら……」


 謝っても、仕方がないのは分かっていた。

 だからやるしかないのだ。『療呪法』――呪いにかかった人を、元に戻す術式を。


「これでも、修行した身なんだから」


 そう、佐々木峻佑は高校時代に『祓』直属の医療組織『療(りょう)』で、研修していた時期があったのだった。今こそ、そのときの学びの成果を発揮するとき――。


 峻佑は小さく息をつくと、うつろな目をしている少女の肩を優しく掴んで、その術式を唱え始めた。


『陰陽療呪法・解呪の響(かいじゅのひびき)』


 頭の中で思い描く。

 僕の中のプラスの感情が両手を介して少女に伝わって、それが彼女の中の呪いを溶かす……そんな、イメージを。


 峻佑の両手から、あたたかな橙が村雨霧花の体に流れ込んでいく。


『呪鬼 滅殺』


 お決まりの言葉で締めくくると、秋の風景の真ん中に、オレンジ色の花が優しく咲いた。


「ん。これで体内の呪いは無くなったっしょ」


 少女の表情は、さっきまでの苦悶とは打って変わって明るくなっていた。


 呪いを祓えた感触はしない。でもこれが「陰陽療呪法」の特徴だ。優しく、向こうに悟らせないように呪いを解く。現に、峻佑の結界外にいる早乙女ヒメカは、彼が霧花にかかっていた呪いを滅したことを知らないだろう。


(よし、これで舞桜くんの応援に行ける……。この子は、どうしようか)


 峻佑は、彼の腕の中で目を閉じている少女を見る。


(安全のため、結界内に寝かせといて……任務完了してから出してあげればいいよね)


 そのときだった。彼女が、薄っすらと目を開けたのだ。


「……あれ、私……。あなたは、誰?」


 かすれた声で喋る霧花。峻佑は一瞬びっくりしたが、すぐに笑顔でこう答えた。


「僕の名前は佐々木峻佑。ここは……とりあえず、安全な場所だから大丈夫」


 普通の人たちに、陰陽師のことはなるべく知られない方がいい。


「しゅんすけ、さん……」

「そう。よかったら、君の名前も聞いていいかな?」


「キリカって言います……村雨、霧花」


 少女――村雨霧花は、それだけ言うとまた目を閉じた。呪いに対してなんの耐性もない女の子が、突然に呪いをかけられたのだ。体への負担が軽いはずは、なかった。


「キリカちゃん、か……」


 峻佑は、結界内の庵の床に彼女をそっと寝かせた。


「待っててね、必ず君に呪いをかけた呪鬼を倒して、ここから出してあげるから」


 眼鏡のレンズを秋の陽の光にそっと煌めかせながら、佐々木峻佑は再び御札を指に挟み持った。




『結界外へ』





 一瞬で峻佑の周りの田園風景は途切れ、あっという間に闇に変わる――早乙女ヒメカの呪詛結界内に戻ったのだ。


(舞桜くんは頑張ってるかな……?)


 そう考えながら、桜咲舞桜と早乙女ヒメカが戦っているであろう方向を向いたとき…………




 峻佑は、信じられないものを見た。





 向かい合っている舞桜とヒメカ……ここまでは良かった。その次の瞬間だった。


 “ヒメカが、瞬間移動をした”


 ――――本当に、それは速かった。いや、これは速さの問題ではないのかもしれない。峻佑から見て左手の方に居たヒメカが、一瞬にして姿を消し、次に瞬きをしたときには……彼女は、舞桜の背後に居たのだ。


(なんだ、瞬間移動というより……「ワープ」?)



 そして峻佑は目を見開いた。呪鬼が舞桜の背後にいることに、彼は気付いていない……そんな状態で、ヒメカの片手から赤黒い鋭利なものが。


 舞桜の、背中に――――――――




「やめろぉぉぉぉおおおおおおおお!」


 峻佑は地を蹴って走り出した。しかし、彼は間に合うはずもなく。


〈さよなら〉


 ヒメカの無情な言葉とともに、舞桜に彼女の呪いの刃が刺さり――――そして、引き抜かれた。


 桜咲舞桜が血を吐いたのが見えた。




 ――――嘘、だろ?

 なんで舞桜が負けてんだよ。




 



 それくらい、アイツが強いのか……?






 


 舞桜が、倒れ込むのが見えた。

 

 相当まずい状況だ。さっきの様子を見る限り、ヒメカの刃は、舞桜の背中を貫通していた。早く彼に療呪法を施さなくてはいけない。でないと、舞桜が死……


 

 いや、僕が治してみせる。



 峻佑は、目一杯の力を使って舞桜のもとへ――ヒメカのもとへと、跳躍した。



「死ぬなぁぁぁあ!舞桜おおおおお!」





 

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