第二十二章 ヒメカの王国


 あっという間に構築された、早乙女ヒメカの呪詛結界――『独裁王国』。その中には、三つの人影。気を失っている村雨霧花と、彼女を腕に抱いているヒメカ、そして俯く天乃三笠。


〈あれ、声主のお姉さん?〉


 早乙女ヒメカが、蔑んだ口調で三笠に語りかける。


〈もしかして、泣いてるの?〉


 

 三笠は……そう言われてもなお、顔をあげられずにいた。真っ暗な、呪法空間――ところどころ紅い光がちらほら点いているが、まるでブラックホールの前に立っているような心地になる。


 吸い込まれそうで、怖い。


「泣いて……なん、か……」


 ヒメカの嘲りに応えようとするが、うまく言葉が続かない。泣いてないだなんて、嘘だった。今にも涙が零れ落ちそうだった。


〈嘘つかなくていいんだよ?お姉さん〉


 ヒメカがゆっくりと、三笠の方へ近づいてくる。


「嘘、ついてないし……」


〈どうしてそんな強がるの?〉


 気がつくと、気の強そうな少女の顔が、すぐ目の前にあった。肌の白い美少女――早乙女ヒメカ。人間らしい見た目……少なくとも呪鬼には見えない。しかし、彼女と人間との間には、決定的な違いがあった。


“本当に相手を蔑んでいるような態度”


〈お姉さん、ホントのキモチを聞かせてよ〉


 ヒメカは三笠の目の前で、その腕に抱いていた村雨霧花を支えて立たせた。


〈コレ、お姉さんのオトモダチなんだよね?〉


 霧花のきつく閉じられた目を見つめながら、三笠は頷く。私の親友……今日、一緒に遊ぼうって誘ってくれた、大好きなひと……。


〈それ、本当にそうなの?〉


 ヒメカの背後で、闇が大きくなったような気がした。呪鬼は、三笠の目を見てまた嗤う。


〈お姉さんさ、本当はオトモダチでいるのキツイとか、思ったりしたことない……?〉


「そんなことあるわけっ……」


〈ほんとに?〉


 しつこく聞いてくるヒメカ。三笠は眼の前の少女を、信じられないという目で見た。


「なんなのよ!キリカは私の大事な友達だよ!」


 初めて、大きな声が出た。呪詛結界の中で、きちんと喋ることができた。そのことに、一人安心……できなかった。


“次のヒメカの言葉が、三笠を壊した”


〈じゃあ、お姉さん。なんで、ヒメカがオトモダチを人質にとってるって知った瞬間に「助けようとしなかった」の?〉


「……っ!」


〈ヒメカが、お姉さんに話しかけたとき。それから、結界張り始めたとき。いくらでも、ヒメカに飛びかかったり、助けようとしたりできるチャンス、あったよね?〉


 ――そうだ、こんなに完全な形で結界を張られる前なら……、あのとき、駅構内で話しかけられた瞬間だったら……もしかしたら。


〈ヒメカさぁ、このオトモダチを片手に抱いてるから、片手しか空いてないんだよ?なのに、お姉さんは何もしてこなかったよね?まあそれは、ヒメカにとってはラッキーだったけどさ〉


「それは……だって……」


〈だって……?なに?戦う術を知らないから?〉


 ヒメカがそう言いながら、空いているほうの手で霧花の頭を乱暴に掴んだ。乱れる親友の髪。


〈それだけの理由で、オトモダチ助けようとしなかったの?ばっっかじゃないの?〉


「待って、キリカに何しようとしてるの!?」


〈待たないよ。これはね……嘘つきで、ひ弱で、本当は友達想いなんかじゃない、馬鹿なお姉さんへの罰だよ〉



 ヒメカは、片頬を上げて笑った。霧花の頭を掴んだまま、三笠の目を見据えている。


 ヒメカが何やらつぶやくと、気を失っているはずの霧花の顔が、苦しそうに歪んだ。三笠は、それを見て叫ぶ。


「ちょっと!何してるのってば!?」


 やっと、体が動いた。本能のままに手足を動かして、霧花の胴体に抱きつく。そしてそのまま、ヒメカの体を思い切り突き飛ばした。


 思った以上に後方へ飛んでいく呪鬼。それを目の端に見やったあと、三笠は親友の肩を掴んで優しく揺らした。

 

「キリカ……!目を覚まして……!」


 彼女の表情は、未だ苦しそうだ。


 ヒメカは、何をした……?

 さっき、何かを呟いていた。

 なにか、呪いをかけられていたのか……?


「キリカぁ!」


 何度目かわからない呼びかけに、親友はやっと“応えてくれた”。


『ミカサ……?』


 薄っすらと目を開けた霧花に、三笠は笑いかける。


「そうだよ!よかった……目を覚ましてくれて。大丈夫……じゃないよね、なんか痛いとことかない?」


『…………』


 霧花が何やら喋った。


「なに?」


 三笠は聞き返す。


 ――――親友の口から零れ落ちたのは。


『……死ね』


「え?」


『うざいんだよ、転校してきてからの態度も言動も、今日の博物館での行動も』


 村雨霧花の目には、一切の光も宿っていなかった。まるで「傀儡」――誰かに操られているように、言葉を吐き出す。


『ミカサなんて、大っ嫌い。死ねばいいのに』


 天乃三笠は、思わず親友の肩を突き飛ばした。そして、後退りする。


「いやっ……やめて、キリカ、なんで……」


『これが全部私の本心だよ、今日のお出かけも、ほんとは誘わなければよかったって思ったくらい』


「やめてっ、なんでそんなことっ」


『死んでよ、天乃三笠』


 目を見開く。三笠の全身を、恐怖と驚愕と何かわからない感情が貫いた。



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」




〈あはははははははははははっ〉



 三笠の叫びが支配する空間に、笑い声が混じる。呪鬼・早乙女ヒメカだ。


〈ぜんぶ、ぜーんぶ、ヒメカの『台本通り』〉


 暗闇から徐々に姿を現すその美少女の顔には、愉悦の笑みが浮かんでいた。


〈ここはヒメカの『独裁王国』。誰も、ヒメカに逆らえないんだよ〉












「…………ほんとに?」









 突如聞こえた、囁くような知らない声。


〈……誰?〉


 ヒメカも、戸惑いを見せている。

 それもそのはず、現実から切り取られた呪詛結界の空間には、囚われた人以外、壁を壊さぬ限り誰も入ってこられるはずがないのに……。


「俺だよ、オレオレ」


 先ほどの声が、某詐欺手法のような台詞を言うと、


「いや、先に見つけたのは僕なんだけどね?」


 と、また違う声が聞こえた。




〈ヒメカの王国を、壊すのは誰よ……〉


 呪鬼が忌々しそうに吐き捨てた、その瞬間。




 ――赤い旋光が見えたあと、オレンジ色の光が輪を描く。


『和歌呪法・しのぶれど』

『和歌呪法・秋の田の』


 合わさる二つの声は、三笠の耳にもしっかり届いた。


「おい、そこの呪鬼。ぶっつぶしてやる、かかってこいや」


 

 呪鬼・早乙女ヒメカとの戦いが、いざ幕を開ける――。

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