第十五章 九字印除霊法
「ここからは、俺の独壇場だよ」
専用結界を張った賀茂晴。彼は、この戦いを愉しんでいた。
「俺さ、陰陽師やっててよかったーって思うことが一つあって」
笑顔で話しかける。
「こうやって呪鬼を倒すことでさ、ストレス発散できるんだ」
みんなのためにもなるし、自分のためにもなるし。まさに一石二鳥だね!と言いながら、嬉しそうな顔で蹴りを放つ中学生陰陽師。
呪鬼・アオゲサはその攻撃を間一髪で避けた。
〈……チッ〉
ハルのセリフを聞いても、舌打ちするだけで反論はしない。できないのだ——ハルの攻めが鋭すぎて。
「アキは偉いんだよ」
突然自分の双子の兄の話を始めるハル。
「ちゃんと、『家業を継ぐ』という意識を持って陰陽師をやってる。だけど俺は違う。呪鬼はストレス発散の相手——とは言っても、そんな大きなストレス抱えてねえけどさ」
自嘲しながらも、アオゲサを攻撃する手を止めない。
両手で拳を作って、一心不乱にアオゲサの胴体をめがけてパンチを放っていく。そのたびに、暖かな春の輝きが散る。
「だから今回の舞花の采配も的確だった。ミカサみたいな初心者は、アキのような戦い方を学ぶべきだ。……俺なんかより」
〈さっきからなんなんだ!〉
自ら後方に跳んで、距離をとるアオゲサ。少し余裕ができたのか、その顔には笑みが浮かんでいる。
〈もしかして、オレに力をくれるのか?お前の言葉からは負の感情があふれ出てるぞ……呪鬼に、なる気はないか?〉
「へえ、それも面白そうだね」
ハルが御札を取り出した。そして、地面を蹴る。結界内で強化されている術式のおかげか、ハルの体は思ったより遠くへ跳ぶことができた。それこそ、アオゲサの目の前に。
「……とでも、言うと思った?」
〈なにっ!?〉
突如再開される接近戦に、苦い顔をするアオゲサ。
やはり陰陽師の結界の力は絶大だ。呪鬼の動きが鈍くなっている。
「確かにアキの方が凄いから、俺なんか……って思うことは多いよ。それでも俺は」
ハルの目に浮かぶ、憎悪の炎。
「呪鬼に堕ちようなんて、思わない」
ハルは、アオゲサに向かって渾身の蹴りを放った。
〈がっ……〉
はるか後方へ吹っ飛ぶ呪鬼。
『和歌呪法・ひさかたの 光のどけき 春の日に』
ハルの右手に持った御札が、薄黄色に染まる。春の昼下がりの美しい陽の光の色が、そこにはあった。
『しづこころなく 花の散るらむ』
どうせ君らは、俺の八つ当たり相手になって終わるんだよ。
哀愁とも冗談ともとれる声音でハルはそう言った。
跳躍——。
『呪鬼 滅殺』
淡い色合いの呪法御札を額に張り付けられたアオゲサは、静かに消滅していく。
あとには、その肌の青も、無駄に豪華だった袈裟も、何も残ってはいなかった。
「呪鬼って、哀しい生き物だよね」
誰に聞かせるともなく呟くと、ハルは「さて、もう一仕事しますか」と石畳を歩き出す。
三体に分裂したアオゲサ。しかし舞花とハルによって二体が倒された。
残る呪鬼は一体——。
*
「さあ、おしまいだよ」
アキが呪鬼に向かって言い放った。その顔は自信に満ちていて、三笠は思わずドキッとする。
(こんな……アオゲサみたいな、人語を理解できて分身までする呪鬼相手に、なんでそんなに自信満々でいられるの——?)
案の定、アオゲサはまだあきらめていないみたいだった。
〈結界を張ったくらいで、なに威勢のいいこと言っているんだ〉
「結界を張ったくらいで……?」
馬鹿だなあアオゲサ、と呪鬼を嘲るアキ。
〈どういう意味だ〉
「まだわからないの……?君の敗因は分裂したことだよ」
三笠も、アキがなぜこんな話をし始めたのかわからない。
「分裂した君を追って、僕らも三つに分かれ、それぞれの場所で戦ってる——。ここには、もともと桜咲舞花の結界が張ってあったんだ。そのうえ、ハルも結界を張った。そして、僕も君との結界合戦に打ち勝って、結界を張った」
これがどういうことだか、わかるかい?
そう言って笑うアキを見て、三笠とアオゲサは同時に気づいた。
〈まさか……〉
「今ココには、陰陽師の結界が『三重に』展開されてる——」
三笠の驚きに、アキが微笑みかけた。「その通りだ」
「そしてそろそろ、ハルと桜咲舞花が戦いを終えて集結するんじゃないか?」
そのとき、桜吹雪が一段と激しくなった。
春風を思わせる、暖かな風が吹いてきた。
「ほら、来たでしょ」
三笠が思わず振り返ると、舞花とハルがこちらへ歩いてくるのが見えた。
〈……な、馬鹿な……オレが二体とも倒されたというのか?〉
「そゆこと。じゃ、アオゲサ。本当に『さよなら』」
アキのセリフと同時に、後方で地を蹴る音がした——ハルだ。
彼ら双子の、目が合った。
「行くぞ相棒」
「わかってるって」
『九字印除霊法』
息ぴったりに合わさる、ハルとアキの声。三笠は、その姿を見つめることしかできない。
『大八島を神代より守りし神々よ 天空に君臨する我が祖先神よ』
ふと隣を見ると、すぐ近くに舞花が立っていた。
「舞花さん」
「ミカサちゃん……、あれをよく見ときな」
「ハルと、アキを?」
「そう。アイツらが今からやろうとしてるのは『九字印除霊法』——ハルとアキ、二人が揃ってこそできる『共技』だ」
「共技……」
「うん。あれが、あの技が、賀茂兄弟の強さだよ」
舞花はそう言ったきり、黙る。三笠も、背中を合わせて術式を唱える双子を見た。
『世の安泰を乱す悪鬼呪魂を祓う御力、我らに貸し給え』
アオゲサは、二人の気に圧されて動くことができないようだった。
三笠の頭に、「圧倒」という熟語が浮かぶ。
ハルとアキの目が、的確にアオゲサの額を捉えた。
『護神九字――臨兵闘者皆陣烈在前!』
アキが、薄黄色と空色に染まった御札を掲げる。
「呪鬼 滅殺!」
アキが跳ね、アオゲサの額にその紙を張り付けた。
〈ぎゃああああああああああああああ〉
苦悶の表情を浮かべながらも、二人の術式に勝てず、消え去っていく呪鬼。
ゆっくりと、青肌の袈裟鬼は、この世から姿を消していった——。
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