Vergessenー7

慎也しんや。私がいない時はお前が責任を持って彼女を警護するんだぞ」

非常階段を上りながら月宮つきみやさんが坂木さかきさんにくぎを刺した。

「へいへい」

坂木さんはやる気のない返事をした。

下の名前は慎也なのか。

「まったくわかっているのか。

今回の事件はこのままでは事故として処理されるんだぞ。

現状、他殺と証明できるのはお前だけなんだからな」

「へいへい」

聞いているのか、と月宮さんは坂木さんの背中に蹴りを入れた。

痛みに飛び跳ねる坂木さんをよそに、

私は今の会話から浮かんだ新たな疑問に頭をひねっていた。

やっぱりこの人変だ。警察は事故と断定してるのに殺人だと確信している。

それに警察官である月宮さんが組織以上に信頼している。

坂木慎也さかきしんや、一体何者なんだこの人。

「あの月宮さん。坂木さんってそんなにすごい人なんですか?

ただの用務員さんじゃないんですよね?」

一人で頭を抱えていても仕方がないので質問すると、

月宮さんは驚いたような顔をした。

「慎也、お前何も説明してないのか?」

「だからさっきそこであっただけって言ってるだろ」

「では姫宮さんは彼ともほとんど初対面という訳か」

「一応昨日の夕方に会ってはいるんですけど、何と言いますか、

あまり良い出会いではなかったです」

良くないどころか最悪だけどと心の中で付け足した。

「どうせこの男が失礼なことをしたんだろう。

代わりに私からおびさせてもらうよ」

月宮さんが申し訳なさそうに頭を下げたので、私はあわてて訂正した。

「いや、そんなことないです。たしかにムッとしましたけど、

私も言い過ぎましたし、それに一応助けていただいた・・ことになるのかな?」

あれは助けてもらったって言っていいのかな? 

記憶があいまいだから何とも言えないような気もする。

「そうそう、俺は気を失ってるこいつを介抱してやってたの。

感謝して欲しいくらいだね」

坂木さんは尊大そんだいな態度で鼻を鳴らして言った。

こっちが下手したてに出てたら偉そうにして。

やっぱりこんな人を立てるんじゃなかったなあ。

私が自身の発言を早くも後悔し始めたその時、

月宮さんの鋭い右フックが坂木さんの脇腹わきばらに突き刺さった。

ぐへぇ、とあわれな声が非常階段に響き渡り、

さっきまで偉そうにしていた男は地面にうずくまった。

「な、なにすんだ!」

涙目になりながら坂木さんが怒鳴どなる。

大方おおかた、お前が最悪の態度と言葉遣いで接したんだろう。

いつもそうだからな。少しは反省しろ。

まったく、お前より年下の彼女の方がよっぽど大人だぞ、バカ者が。」

月宮さんは恐ろしく冷たい目で彼を見下ろしながら言った。

「姫宮さん」

「はいっ!」

いきなり呼ばれて背中がビクッとなった。

「このバカが本当にすまなかった。

こいつには私がしっかりと言っておくので

どうか気を悪くしないでほしい」

申し訳ないと頭を下げる月宮さんに私は無言でコクコクとうなずくことしかできない。

今の光景を見せられたせいで謎のプレッシャーを感じる。

もしかして月宮さんって結構怖い人?

「お詫びという訳ではないが、着くまでに私の方から説明させてくれ。

改めて私の名前は月宮蓮花つきみやれんか。知っての通り警察官だ。

横でしゃがんでいるバカ者とは高校からの付き合いで、所謂いわゆる腐れ縁だな」

月宮さんはコホンと咳払せきばらいをすると、息を整え話を続けた。

「そして、こいつは坂木慎也。今は用務員の格好をしているが、

これは調査のためこの学校に潜入するのに使ったいつわりの身分だ。

こいつの本業は――――」

「探偵だよ。ったく全部言いやがって」

坂木さんは脇腹をさすりながら立ち上がった。

「仕方ないだろう。どういう理由であれ巻き込んでしまったんだ。

信頼を得るためにもきちんと説明する義務がある。」

「探偵ですか・・」

納得がいったような意外なような、

たしかに学校の用務員さんというよりは探偵のほうがしっくりくる。

「でもどうして学校に潜入していたんですか?」

私が質問すると、坂木さんはチラッと月宮さんを見た。

彼女が無言で頷くと坂木さんは私に視線を戻しめんどくさそうに頭をいた。

「依頼されたんだよ。こいつに」

そう言って隣の月宮さんを親指で指した。

「依頼って――――」

「着いたぞ。続きは調査が終わってからな」

いつの間にか非常階段上り切り、

三階に着いた私たちは棟内とうないに続く非常口の前に立っていた。

あれ? 

でも芸術棟の非常口は危ないからって学校側に全部封鎖されていたはずじゃ。

坂木さんが非常口に手を掛けた。当然押しても引いても扉は開かない。

彼が何度かガチャガチャとドアノブを回していると

突然ギイイときしんだ音を立てて非常口の扉が開いた。

「・・・・当たりかな」

ボソッと坂木さんが呟いた。

「えっ、どうやって開けたんですか?」

彼は私の質問には答えず、先へ進んだ。

扉を開けると長い一直線の廊下が続いており、一番奥には階段が見える。

あそこが普段使っている校内の階段だ。

非常口から入ってすぐの部屋は今は使われていない空き教室だ。

その次が件の旧音楽室でその隣が楽器などを入れている倉庫、

その奥に軽音部があり、そこから先は色々な部活や同好会の部屋がある。

私たちはそのまま止まることなく、目的の部屋の前まで移動した。

旧音楽室を前にするとあの時の惨状を思い出して、

私の心臓が早鐘はやがねを打つ。

坂木さんがドアを勢いよく開けた。

思わず私は目をギュッと閉じてしまった。

「何やってんだお前?」

「大丈夫かい姫宮さん。辛いなら無理しなくていいんだよ」

デリカシーの無い男の声と優しい女性の気遣きづかいが左右から聞こえる。

「大丈夫です」

私は恐る恐る目を開けた。

一瞬、まだそこに柏木先輩がいるのではないかと思ったが当然そんなことはなく、

目の前にはあの時のままの旧音楽室が広がっていた。

少し違うのは刑事ドラマで見たような番号札などがいたる所に置かれていることと、

柏木先輩が倒れていた所に彼女はおらず、

その代わりに白いテープのようなもので形作られた人のシルエットが描かれていた。

再びこの教室の光景を視界に入れたが、意外にも心は冷静をたもっていた。

私がもたもたしている間に二人は旧音楽室へと足を踏み入れ、

あれこれと調べ始めていた。

私も意を決して中へ入ると周囲を見渡した。

事故だと言われたあの時、私はそんなはずないと感じた。

そう思ったのはこの部屋に入ったときの光景に違和感を抱いたからだ。

それが何なのか、それをはっきりさせないと。

まずは状況を把握しよう。

この旧音楽室は二十人がギリギリ入れるくらいの

正方形をした教室にしては小さめの部屋だ。

教室の前方の壁は一面が黒板になっており、

向かって左が窓側、右がさっき私たちが歩いてきた廊下側だ。

その黒板のすぐ前、位置的には少し窓寄りにグランドピアノが置かれている。

そのグランドピアノから距離を置いて、木製の椅子いすがまばらに並んでいる。

出入口は一つだけで廊下側の一番後ろにスライド式のドアがある。

私は椅子にぶつからないように気をつけながら教室の前に向かった。

教室の最前面、黒板の目の前だ。すぐ左には大きなピアノが置かれている。

その床に柏木先輩は倒れていた。今は乾いて黒くにごった血の跡があるだけ。

先輩、痛かったかな、苦しくなかったかな。

彼女の最後の瞬間を思うと、胸がキュッと締め付けられる。

先輩をあんな目にあわせたやつは絶対に許さない。

沸々ふつふつき上がる怒りを抑えるために大きく深呼吸する。

必ず犯人を見つけるためにも今は冷静にならないと。

自分にそう言い聞かせると、私はゆっくりと立ち上がった。

ふと、前の黒板に目をやるとそこにも血が飛び散っている。

その血は先輩が倒れていた所にある血だまりから道を描くように繋がっている。

血の道の逆側はどこに繋がっているのだろうか。

何となく気になり追いかけてみる。

赤い液体は黒板の左側に続いており、グランドピアノの手前で途切とぎれていた。

ピアノの周りを探してみたが、そこから先には血痕けっこんは残っていなかった。

私はそのままピアノを調べることにした。

先輩がよく練習していたピアノ。

少し古びているが、目立った傷や汚れもなく、綺麗きれいな状態だ。

ひとたび先輩がピアノの前に座れば、

その見た目を裏切らずとても綺麗な音を鳴らす。

姫宮もやってみなよ、と一度だけなかば強引にかされたことがある。

あの時はひどかった。

同じ楽器からこんなひどい音が出ることがあるのかと

自身の才能の無さに絶望したのを覚えている。

柏木先輩は横で大笑いしていたっけ。

懐かしい思い出に駆られながらピアノの周りを歩く。

ピアノは窓を背にする形で座るように設置されているので、

今ぐらいの時間になると窓から西日が差し込み、

演奏している先輩がまるで光に包み込まれているように見える。

私はその浮世離れしている景色が好きだった。

そんなことをぼんやり考えながらピアノを見つめる。

本当に汚れ一つない綺麗な状態だ。

まるで買ってきて設置したてなんじゃないかと疑うほどピカピカだ。

他の物は教室そのものを含め、どれもボロボロなので逆に浮いている。

・・・・汚れ一つない?

「どうやらお前のカンが当たりそうだな」

突然、坂木さんが声を上げたので思わず振り返ってみると、

部屋の中央で坂木さんと月宮さんが

何やらキョロキョロと辺りを見回しながら会話していた。

月宮さんは深くため息をつくと頭を抱えた。

「ということはやはり今回の事件は」

「まだ全部そうって決まった訳じゃねえが、殺人なのはほぼ確定だな」

月宮さんは深刻な顔をしている。

眠そうな顔しか見たことない坂木さんも真剣な顔つきだ。

「ほぼ?」

ただよってるチカラの残滓ざんしが少なすぎる」

「少ないと何が問題なんだ?」

月宮さんが首を傾げた。

「お前、何年やってんだよ」

「仕方ないだろう! お前や颯斗はやとと違って、私は見える目を持っていないんだ!」

月宮さんは顔を真っ赤にして小刻みに震えていた。

さっきまでのクールな感じはどこかへ消えてしまったが、

親しみを感じられて私は少しホッとした。

怖い人かと思ったけど、仲良くなれるかも。

そんなことを考える私をよそに、坂木さんはまじかよと額に手を当てた。

「ったく、いいかまず――――」

言いかけて坂木さんは黙り込んだ。そのまま床をじっと見ている。

「誰かこっちに来てるな」

月宮さんが言った。

すごい、なんでそんなこと分かるんだろう。

「調べられることは調べただろうからとりあえずここを出よう。

姫宮さんもいいかい?」

月宮さんは私に聞いてきた。

私も気になっていることを思い出せたし、この目で確認できた。

ひとまずは充分だろう。

「はい。大丈夫です」

そう言って私たちは旧音楽室を後にした。

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