Vergessenー1

 「朱莉!いつまで寝てるの!いい加減に起きなさい!」

ドアの向こうからいつものアラーム代わりの怒鳴どなり声が聞こえてきた。

これのおかげで私、姫宮朱莉ひめみやあかりは毎朝かじりついている机から離れ、

ようやく時間を確認することができる。

欲を言えばもう少し早く来てくれてもいいんだけど・・・・

まあ母からすれば高校生にもなっていつまで甘えているんだって感じだろうけど。

私は読みかけの論文を机の引出しの一番奥に隠すと、

かばんを抱え部屋を飛び出し、

わざとバタバタと大きな足音を鳴らして階段をりた。

本当はもっと早い時間に、もっと静かに降りてくることもできるんだけど、

こっちの方が、親に起こされて慌てて準備するって方が、

普通の女子高生って感じがするでしょ?

私がリビングに辿たどり着くと、父がコーヒーを片手に朝の情報番組を見ていた。

『ここ数ヶ月、上橋うえはし市で記憶障害を訴えている人が続出しています。

半年前の関西圏で発生した同様の出来事との関係性を調査中とのことです。

近くの研究施設からの有害物質の流出が疑われる一方で、

政府調査機関は原因の特定にいまだいたっておらず、

地元住人達は不安をつのらせています。』

「怖い話だな。原因だけでも早くわかってくれればいいんだが・・・・

おはよう朱莉。今朝もギリギリだね。また夜更かしかい?」

私に気付くと父は振り向き、笑顔で声をかけてきた。

「まったく、もう高校生になって一ヶ月も経つんだから

いい加減に朝くらい一人で起きなさい」

父とは対照的に母は不機嫌そうに言った。

「あれ?省吾は?」

両親を適当にかわしながら、我が家の一員が足りないことに気がついた。

「もう学校に行ったわよ。サッカー部の朝練があるんですって。

どこかのお姉ちゃんと違って、いつまでもぐーたらしてないで

中学生なのにちゃんと自分で起きてね」

「はいはい、わかりましたよう」

いつものように母の皮肉に適当に返事をしながら、パンを口に運んだ。

『続いては天気予報です。

今日は終日、全国的に雲一つない快晴となるでしょう・・・・』

いつもと変わらない光景、どこにでもある平凡な家庭の普通の朝食風景だ。

そう、パパもママも普通、TVから流れてくるニュースも、

バターを塗っただけの素朴そぼくな食パンの味も、全部普通だ。

大丈夫、今日も上手くやれてる。私も普通の高校生の娘を演じられている。

いつも通りに・・・・


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「えっ、今日って数学あったっけ?」

「先週の英語と入れ替えで今日の一限目にやるってハッシーが言ってたじゃん」

「えー!うそだあ!そんなこと言ってたっけ?覚えてないよう」

「マキってば最近そんなのばっかりね。

あんたもあれじゃない。最近話題のキオクソーシツってやつじゃない?」

「やめてよ久美ちゃん。そんなんじゃないよ。最近いそがしいからど忘れしちゃっただけだよ。」

そう言うと、マキと呼ばれた少女は「教科書あったかなあ」と歩きながら鞄をごそごそと探りだした。

私を挟んで言い合いをしているこの二人は、同じクラスの友人だ。

少しぼんやりしている、忘れっぽい子は伊藤真紀子いとうまきこ

前はそうでもなかったんだけど、ここ最近は心ここにあらずといった感じで、

物忘れが多くなった。約束もしたこと自体忘れるので、

トラブルになっている姿を時折見かける。

「ちょっと、こんな道の真ん中で鞄をひっくり返さないでよ!

ねえ、朱莉からも言ってやってよ」

眼鏡をかけたショートカットの女性が私に話を振ってきた。

彼女の名前は長崎久美ながさきくみ、私と共に通学するもう一人の友人だ。

久美ちゃんは気が強く、怒らせると怖いので私は素直に彼女の言葉に従った。

「マキちゃん、何か落としたりして無くすと危ないよ。

私の教科書一緒に見せてあげるからさ。とりあえずそれ鞄に戻そ?」

二人の友人のどちらも立てる当たり障りない言葉を発しながら、今まさにお弁当袋を開けようとしているマキちゃんを制止した。

「本当!?ありがとう!朱莉ちゃん大好き!」

「まったく、朱莉はマキに甘いんだから」

マキちゃんがニコニコしながらお弁当を片付けている横で、

久美ちゃんは呆れたように肩をすくめた。

そんないつも通りの他愛たあいない会話をしていると、見慣れた建物が見えてきた。

上橋高等学校、それほど校舎は大きくないが、周りにある建造物が小さいものばかりのせいか、実際よりも巨大に感じる。

何もかも普通で代わり映えのない通学路だったが、

校門が近づくと見慣れない光景が私の目に飛び込んできた。

「ねえ、あの人誰だろ?」

「何かいかにも不審者って感じよね」

二人も私とほぼ同時にその不自然な人物に気付いたようだった。

その男性は校門の中央に立ち、

頭をかきながら不機嫌そうな表情で校舎を睨んでいた。

登校してきた生徒は皆、一様に怪訝けげんな顔で彼の横を通り過ぎていた。

「怪しすぎる。先生たち呼んだほうがいいかな」

「えー。でも何かちょっとかっこよくない?」

「はあ?マキあんた目悪いんじゃない?絶対ヤバいヤツだって。

そういう負のオーラが出てるね。見たらわかるじゃん。」

「そういう悪そうな感じが逆に良いって言うかさあ」

「うーん。でもあの人そんなに危険な人なのかな?」

私は二人の会話に割って入り、思わず口走った。

「えっ?」

二人は声をそろえて私を見た。

しまった。これは普通の回答じゃなかったんだ。

「いやいや。どう見たって不審人物極まりないでしょ。

服装も春だってのに全身暗い色だし。表情もザ悪人って感じで・・・・ 

あっ。もしかして朱莉ああいうのがタイプ?」

「いや、そういう訳じゃないけど。ほらあんな校門のど真ん中に仁王立ちしてさ、

すごく目立つじゃない。後ろめたいことがある人があんな堂々としてるかなあって」

私たちがそんなやり取りをしているのに気付いたのか、

男の人は私たちの方をちらりと見たかと思えば何も言わずに校舎の中へ姿を消した。

「げえっ、あいつ学校に入っていったよ。やばいんじゃないの」

「あの人新しい先生かなあ。ゴリ先の変わりだったら良いのになあ」

疑り深い久美ちゃんに対して、マキちゃんは相変わらずのんきなことを言っている。

まあ私としては世界史はあの人より合田ごうだ先生に教えてもらいたいものだ。

そんなことを言ってまた変な目で見られても困るので、

言い合いをする2人を黙って見守りながら学校へと向かった。



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