第14話「不器用な子だねぇ」



「ごめんあいちゃん! わたしもホントはあまぁーい真夜中のデートを楽しみたかったところだけど、ちょおっと用事ができちゃったので今日は別行動させてくだちい! あ、浮気じゃないからねホントホント」


 と言い残して愛莉から胡乱な目で見送られたはるは、独り、夜の公園に来ていた。


 昨夜、魔人――旧知の悪魔バラムから聞いた名ははやかわはや――と遭遇した公園とは違う公園。

 バラムから教えられた『良いものが見られる』場所だ。


「はてさて、何があるのやら……」


 特別『良いもの』とやらに興味があるわけではない。


 ただ――予感がしたのだ。勘が働いた、とも言える。勇者の第六感。これに何度も救われた身としては、従ってみる価値はある。


 と、


「――なるほどねぇ。そう繋がっていくわけか」


 誰に聞かせるでもなく呟いて、春香は振り向いた。


 高校生くらいの少女が立っていた。


 髪はよく見るボブカットだが、外灯の光を眩しく反射する水色の主張が日常に埋没することを許さない。瞳は瑠璃色。異世界で色とりどりな色彩を拝んできた春香としてはやや懐かしさも感じるが、現代日本社会で見れば異質だ。あるいはバンドマンか動画配信者か、顔立ちの良さからそういう売り出し方のアイドルにも見えなくもないが。


 しかし彼女がそれらではなく――魔法少女という非日常ファンタジーな存在であることを、春香は知っていた。



 名を呼ぶと、水色の魔法少女は険しい顔を春香に向けた。


「一度、キミと話してみたかったんだよねぇ」

「……あんた、誰?」

「わたしはねー、ずみ春香。愛莉ちゃんの大親友だよ」


 へらっと笑ってやると、乃亜はさらに視線を鋭くして春香を睨んできた。


 肌を冷たい空気が撫でる。

 夜風が冷たい、だけではない。乃亜の魔力が周囲の温度を下げたのだ。強烈な感情の動きは個人ミクロの中だけでなく、ときにマクロな世界にすら影響を及ぼす。彼女たちが異能の力に親しんでいるのならなおさら、常人にもはっきりわかるほどそれは現れる。


「やる気ビンビンだねぇ。わたしはお話がしたいだけだよん」

「あたしには、ないわ。あんたと話すことなんて」

「トゲトゲしてるなぁ」


 びっ、と。乃亜の人差し指が春香を捉える。流れるような魔力の動き。幾度も紡いできたのであろう術式は一瞬にして超常の現象を世界にもたらす。


「あたしの邪魔をするなら、殺すわよ」


 殺意の籠もった視線と共に、氷の矢が春香目がけて飛来する。


 が――乃亜の台詞とは裏腹に当てる気はないようで、勇者のトンデモ動体視力とを有効活用して軌道予測をすれば、春香の頬スレスレを掠めて通り過ぎると結果が出た。


 脅し、ということだろう。

 たぶん次の台詞は「次は本気で当てるわよ」辺りか。


 脳天気にそんな予想をしながら、春香は指を二本立てた。

 計算通りに飛んできた矢を、ひょいと摘まむ。


「……、は?」


 呆けたような声をこぼす乃亜に、春香がいつも通りにヘラヘラ笑ってやれば、立て続けに三本の氷剣が射出された。苛立ちの感情にまみれたそれらに対し、なんてことないような調子でひょいひょい柄を取ってみせる。ついでにそれらを使ってジャグリングでもしてみた。


「こいつ……なんなの……っ?」


 五割の苛立ちと四割の困惑、そして一割の恐怖が入り交じった声に、新米曲芸師・羽澄春香はケラケラ笑う。


「『勇者の七十八技能』が一つ、〝にわか曲芸術〟だよん」

「……ふざけてる」

「その通りだけど」


 正直に認めてやれば、乃亜の顔が大きく歪んだ。憤怒と、未知の存在に対するわずかな怯え。それを目にして、春香はとりあえず掴みはヨシ、と小さく息を吐く。


 パチン、と魔力を閃かせて手の中の氷でできた武器たちを焼き消す。乃亜の体が反射的に数ミリ引いた。わかりやすいな、と春香は口の中で呟く。


『もしかしてー、おまえがメルルのマスターを助けてくれちゃった人ー?』


 間延びしたの声が耳に届き、春香はちらりと視線を向ける。


 潜んでいたのは乃亜のポケットか服の裏か。姿を現したのは、薄い水色の魔力を纏うデカい蠅。


「へえ、これが畜生系マスコット、淫獣かぁ」

『あははー、ひどい認識だー』


 もし愛莉がこの場にいたら、春香の物言いに眉をひそめたかもしれない。


 だが星の魔力で動くソレの契約者である乃亜は、特に苦言をていすことはなかった。あるいは彼女も大なり小なりコレに悪感情を抱いていたのかもしれない。


「んー、今はキミに興味が湧かないから黙ってていいよ」

『あはー、そんなこと言われてもねー。ボクはおまえに聞きたいことが――』


 チョキン、と。

 いっそわざとらしさを感じるほど鮮烈な、ハサミで何かを切ったような音が響いた。


 乃亜が眉をひそめた。きっと彼女にも聞こえてしまったのだろう。


 ――沈黙。

 先ほどまで何事かさえずっていた水色の羽虫は、その小さな口を間抜けに開いた形のまま、空中で固まっていた。氷像になったわけではない。透明な壁があって、そこに釘付けされたわけでもない。ただ、ソレの時間だけが動いていないような、不自然な停止。


「……、あんた、ララプに何したの?」


 いかにも警戒していますと言わんばかりの硬い声色に、しかし春香は感心したような声を上げた。


「ほえー、キミのマスコットはララプって言うんだ。もしかして属性ごとに繰り返す母音が決まってるのかな……?」

「答えて」

「火が『u』で水が『a』かー……アグニ、アーパス、ウォーター、アクア、ウンディーネ、サラマンダー……違うな、変なズレがある」

「答えなさいッ!!」


 しびれを切らした乃亜が放ってくる氷の槍を、デコピンで弾いて粉砕する。キラキラと舞い散る細氷に目を細めながら、春香は適当に答えてやる。


「別に、ちょおっとしただけだよ。異次元に」

「は、あ?」

「こう、ちゃらっと手を振れば、ほら、チョキチョキっとね?」


 右手の指をくっつけてピシッと伸ばし、空気を切るように軽く振ってみせたが、乃亜は納得できなかったのか変わらず険しい目を春香に向け続けている。


「ま、ネタがどんなだったかなんてどーでもいいでしょ。いっつあまじっく。この世の半分は嘘と魔法でできているんだから」

「……、」

「残り半分が何なのかは今後の宿題にするとしましてー」


 などと適当な言葉を並べながら、春香はひょひょいっと軽い足取りで乃亜に近づく。氷の魔法少女は魔力をおこして術式を待機させ、すぐさま反撃できるような用意をしているようだが、春香にとっては警戒に値しない。使


 とはいえ相手が真面目に抗戦しようとしているところを見て何も感じないわけではないので、善意百パーセント、親切心から春香は教えてあげることにする。


「マスコットを黙らせるついでにパスも止めちゃったから、魔法は使えないと思うぜい」

「っ!?」


 驚愕の表情を浮かべた乃亜は、反射的に魔法を使おうとしたようだが――春香の言葉通りに不発だった。紡いだ術式はほどけ、魔力が空気中に霧散する。……下手したら誘導に失敗した魔力が術者の神経を灼いていた可能性もあったので、驚かせるような伝え方はまずかったかもしれない。反省反省。


 しかし自力で術式を組み上げることは――春香の脳内魔法辞典を参照すると実に稚拙だったとはいえ――できていたのだから、彼女はいつかは契約精霊に頼らず魔法まじゅつを使える日が来るかもしれない。その必要があるかは、彼女次第だろうが――。


 などと益体もないことを考えているうちに、乃亜のすぐ前まで来てしまった。腕を伸ばせば当たる位置。魔法なんかなくても拳で語り合える距離。


 能動的に離れようとしたのか無意識なのか、乃亜は右足を後ろに引いた。逃がさないとばかりに春香は乃亜の腕を掴む。


 至近距離で見つめ合い、まず最初に浮かんだのは「こいつも結構美人だな」という感想。魔法少女ってもしかして顔で選ばれているのかな? という明後日の思考を一旦頭の隅に追いやって、春香にしては珍しく真面目なトーンで囁いた。


「本当に殺したら、引き返せなくなるよ」


 一瞬、何のことか理解できなかったのか、乃亜が眉を寄せた。

 だがすぐに思い当たり、舌打ちを一つ。吐き捨てるようにして、


「引き返すつもりなんてないわ」

「でも、どうせ殺せないと思うな」

「あんたにどう言われようと関係ない」


 いっそ視線だけで焼き殺してやろうか、と言わんばかりの眼力で乃亜が睨み付けてくる。


「あたしはポイントを集めなきゃいけないのよ。そのためには、魔法少女だって殺す」

「愛莉ちゃんも殺すの?」

「……殺すわよ。いずれ、ね」


 思わずぷりちーなヘラヘラの仮面がどこかに行ってしまうところだった。


 春香が密かに呼吸を整えていることにも気付かず、乃亜は自らが思う精一杯の悪役顔でも作るように表情筋を動かすと、これまた悪人を演じるように声調を整えて、


「あの子に、あたしが殺すまでにたっぷりポイント集めときなさいって言っといて」

「ふぅん」


 苦笑いをするべきか。

 生暖かい視線を送るべきか。

 それとも――。


 わざとらしく溜息を一つ。春香はとりあえずいつものヘラヘラで対応する。


「不器用な子だねぇ」

「は?」

「ねねね、乃亜ちゃんって呼んでいい?」

「ぶっ殺すわよ」


 ギッ! と音が鳴りそうな睨み方をして、乃亜は春香の手を振り払う。


 フラれてしまった。まあ春香は愛莉一筋なので全く心は痛まないけれど。


「今日襲うつもりだったのは、どんな子なの?」


 夕飯の献立でも訊くような調子で尋ねると、乃亜は渋い顔になって、


「邪魔する気?」

「んー? まあ正直わたし的にはどうなってもいいんだけどね。質問したのは単純な興味だよん」

「……、ちっ」


 はしたなく舌打ちして、乃亜はくるりと背中を向けた。無警戒、というわけではない。意識をこちらに向けたまま、歩き出す。春香から離れていく。


「答えてくれないの? さびしーなー」

「……、」

「このまま行っちゃうならー……乃亜ちゃんのマスコット、ずぅっとそのままだよ?」


 ピタリと足が止まる。効果てきめん、と口の中で笑い交じりに呟いた。

 しばらくして、苦々しい声が返ってくる。


「…………しいざきっていう、ななの最古参の魔法少女」

「へえー。最古参っていうと、どんくらい?」

「一年くらいよ。魔物が現れ始めたのと同時、だったらしいわ」

「はえー……」


 思うところはあったが、とりあえずは飲み込んでおく。気になることは後で調べればいい。時間はたっぷりあるのだし。


「で、勝てるの?」


 質問は簡潔だったが、乃亜の答えはすぐには返ってこなかった。

 十秒ほどの静寂の後、絞り出すような言葉があった。


「……殺すわよ。必要なら」

「そっか」

「もういい? いいならララプを解放して」


 苛立ちの乗った催促を受けて、春香は要望通りに術を解く。いきなり現世に戻され時間も動き出した羽虫が何事か喋っていたが、興味ないので意識的にシャットアウトする。


「キミが死んだら愛莉ちゃんが哀しむかもしれないから、できれば死なないでほしいかなー」


 背中に投げかけた言葉は聞こえていたはずだが、乃亜は何も答えなかった。

 逃げ去るように夜闇に溶けていく魔法少女に、春香はぽつりとこぼす。


「死んで永遠になられるのが一番困るしね」


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魔法少女なんだが、自称・帰還勇者が家に住み着いてくる 水代ひまり @nekomakone

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