第11話「わたしほど勇者してる美少女もいないってのに」



 深夜。頭上から降り注ぐ月光を全身で受けながら、帰還勇者・ずみはるはとあるビルの屋上に降り立った。


 同行者はいない。

 春香が護衛契約(という名の養ってもらうための交渉)を交わしている相手は、自宅の布団でぐっすりしている。今日の魔人との遭遇で消耗しているから、こうして春香がこっそり抜け出しても気づきはしまい。

 ……もっとも、異世界で培った春香の隠密技術があれば、たとえ厳重に警戒している警備員だろうが容易に騙してみせるが。


 丑三つ時を少し過ぎた町は、春香にとっては少し騒がしく感じる。文明レベルの差か、住民の気質のせいか。異世界では夜闇に沈んだ町は相応の静寂を保っていたが、科学によって光を灯した現代日本は人々の活動時間を大きく変え、夜のとばりが降りてもそこかしこから生活音が聞こえてくる。


「暢気なものだと思わんか?」


 低い、男の声だった。

 どこの誰が所有しているのか不明なビルの屋上、落下防止の柵の上に立つ男が一人。その男の放つ気配に比べれば、夜風の冷たさすらぬるく感じられる。


 男は春香に背中を向けたまま、町を見下ろし続ける。


「あの闇夜の中で『魔』はうごめき、そしてそれを狩るものがはしる。民衆は、それを知ろうともしないが」

「みんなが外敵に怯え続けるよりはいいんじゃないの? って、善良な一般市民であるわたしは思うですます」

「それでは困るのだよ」


 人と変わらないシルエットでありながら、その身に秘めた力は生粋の魔のもの。

 春香とは正反対の性質を宿す男は、冷然と続ける。


「ヒトは、技術は、文明は、外敵の存在によって成長する。平和に浸かりきってしまえば、あとは腐り落ちるのみ」

「キミら的には、それでいいんじゃなーい?」


 それらは魔のもの、ヒトに仇為す敵対者。であるのだから、ヒトが堕落し、弱ることは歓迎すべきだろう。

 ヒトの守り手である勇者の言葉に、しかし悪魔は嗤った。


「まさか。収穫する果実が腐っていることを歓迎する農家はおるまい」

「あはは、前提が間違ってるでしょ。キミらは果実をついばむ害鳥なんだから」

「だとしても、喰らうものは腐っていないほうが良い」


 人類という果実を、育てたものカミサマの目を盗んで喰らう害鳥アクマが振り返る。


「久しいな、勇者。その顔、二度と拝みたくはなかったぞ」

「そりゃあこっちの台詞なんだよなぁ」


 知古の悪魔――の刺すような視線を受け、春香はへらっとした笑みを貼り付けた。


「わたしの、妨害しなかったんだね」

「ああ。良い機会だから、顔合わせでもしようかと思ってな」

「顔も見たくなかったのに?」

「立場上、そうも言ってられんよ」

の雑用係筆頭は大変だねえ」

「……、不名誉な表現だな」


 言いつつも訂正しないのは、本人が一番その評価が正しいと感じているからだろう。

 哀愁というかなんというか、酷く苦労していることを感じられる声色に春香は「変わってないなぁ」と思いながら、本題を切り出すことにする。


「やっぱり、キミがあの少年を回収したんだねー」


 今日――いや日付が変わったから昨日か――遭遇した魔人を、ゲートを使って転移させた人物。それが目の前の魔人だと、春香は確信していた。


 春香は、あいと共に遭遇した魔人がゲートに吸い込まれる際、を使ってゲートの向こう側を探っていた。その結果、目の前の魔人に行き着いたのである。


 果たして魔人は、特に誤魔化すこともなく答えた。


「そうだ。アレにはまだ価値があるからな」

「ふぅん」


 何を考えているのか。ロクなことではないだろう、ということは春香にも予想できる。なにせ相手は魔人で、悪魔で、魔王の側近の一人なのだから。


 だが、春香は追求しなかった。

 春香は勇者だが、まともな正義感を持っていないので、「まあ何か起きてからでいっか」と判断したのである。


「……貴様は本当に、勇者に向いてないな」

「うわあ、名誉毀損だよこのヤロー。わたしほど勇者してる美少女もいないってのに」

「……、」

「哀れみの眼で見られるのが一番キツいぜクソ悪魔」


 ともあれ。

 春香は宿敵相手に聖剣の切っ先を突き付ける代わりに、質問を投げた。


「ちなみに、あの少年の名前は?」

「本人に聞けば良かっただろうに」

「んー、愛莉ちゃんが知ってる名前だったら、ちょおっと困ったことになるかもしれなかったしさー」

「……、まあ良い」


 春香の言葉、そして表情から何を読み取ったのか。魔人は一つ鼻を鳴らし、答えを口にする。


はやかわはや、とアレは名乗っていた。魔人らしい名前ではないがな」

「改名させりゃいいんじゃなーい? キミらもそうしてきたんだし。ねえ、バラムくんよ」

「本人次第だ。己の目的のために名を捨てられるか、それ自体が一つの試練である」

「……悪魔のくせに導師みたいなムーブするのやめてくれない?」

「知ったことではないし、あながち間違ったものでもないだろう。我らと、ヒトの関係は」


 果たしてこの悪魔があの少年をどこへ導くのか――彼の行く先に待つ破滅を予想しながら、人類の救い手の少女は笑う。


 へらへら、ケラケラ。

 ともすれば邪悪なそれに、悪魔は少しだけ顔をしかめた。


「――勇者」

「んー?」


 いつの間にか、魔人バラムは柵から降りて春香の目の前に立っていた。


「貴様は、この世界で何を望む?」

「この世界に望むことなんてないよん」


 春香は相も変わらずへらへら笑みを浮かべ続ける。


「ならばなぜ、この世界に来た? あちらの世界でも、貴様は好き勝手に生きられたであろうに」

「そりゃあ故郷に帰りたかったから、ってだけだじょー」


 ――それに、向こうの世界は嫌いだし。

 心の中で吐き捨てた台詞は、へらりとした笑みに隠されてバラムに伝わることはない。


「では、こちらの世界で勇者として振る舞う気はないと?」

「ううーむ。……まあ、人類の守護者を気取るつもりはないかなー。面倒ですしおすし」

「……そうか」


 魔人バラムは表面上納得を示したが、果たしてその心中はいかなるものか。清廉潔白で質実剛健な美少女勇者と呼ばれていた(気がしないでもない)春香には、根っこが真っ黒な人類の敵の心など推し量るすべもない。


 異世界にいた頃、なぜか聖剣によって浄化されないことをとある妖精さんに褒められたことのある聖剣の担い手・羽澄春香に、バラムは魔力を操って一枚の紙を生み出すと、それを投げ渡してきた。


「んにゃ? なんこれ」


 律儀に二つ折りされたそれを開くと、何事か文字が書かれていた。


「明日の夜。この場所に行けば、良いものが見られる。もっとも、貴様にとってはどうでもいいことかもしれんが」

「……、ふぅん」


 目の前の魔人の考えが読めずその目を覗き見ると、彼は鼻を鳴らして、


「貴様が勇者として剣を振るうのでなければ、我らは敵対する必要はない、ということよ」

「あはは。キミが悪魔で、わたしが人間である限り、敵対者であることに変わりはないでしょ」

「そうだな。貴様が人間ヒトのままであれば、な」


 それだけ言って、バラムは再び春香に背を向けた。


 隙だらけ、である。春香の力があれば、こちらに目を向けていない魔人など、異空間収納インベントリから聖剣を取り出す手間すら枷にならないレベルで瞬殺できる。


 だが、春香には目の前の魔人を殺す気はなかった。


 自分は勇者であるが、この世界で勇者として振る舞う気はない。だから、魔人を、悪魔を問答無用で殺す気はない。

 情けをかけるとか、旧知の間柄だから見逃すとか、そういうわけではない。


 気分じゃないから。

 なんとなく面倒くさいから。


 それだけの理由で人類の敵対者を見逃すほど、春香という人間は興味がなかった。

 その結果、どれだけの被害が出ようと、もう、知ったことではない――。


「いやあ、わたしってホントに勇者だねえ」


 へらりと笑って、春香は魔人に背を向けた。

 異世界で殺し合った化け物どもの邂逅は、両者が持つ恨み辛みに反して、静かに終わった。


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