第10話「魔人を殺したことだってあるわ」



「――燃えろ!」


 相手が動くより早く、あいは練り上げた魔力を炎の球に変えて撃ち放った。青白い火炎球。仮にが全力で氷の壁を出現させても突破できる自信がある。

 そして、鉄をも溶かす超高温の魔法は、一直線に魔人へ向かい――。


「はあッ」


 飛んできた異物を反射的に振り払うような動作だった。

 魔人の手の甲にぶつかった火球は、しかし魔人の肌を焦がすことすら叶わずに消滅する。


 絶対的に、威力が足りない。

 魔人が手に纏わせる魔力の装甲を打ち壊すには、こんな簡単な攻撃では駄目だ。


 だが、高い威力を持った、大魔法とでも言える攻撃の準備を整える余裕など、魔人が与えてくれるはずがない。


「お前、魔法少女だな?」


 唐突な問いに、愛莉は眉をひそめながらも頷く。


「そうだけど……」

「なら、やはり殺す」


 それだけ言って、魔人はもう一度拳を握って引き絞った。


「愛莉ちゃんは、防御に自信ある?」

「ないッ」

「そかそか」


 一連のやりとりで理解した。

 魔力で障壁を作っても、魔人の攻撃力の前には紙のようなものだ。簡単に破られてしまうだろう。だから、愛莉は回避を選択した。


 しかし、一度目に跳躍による回避を選んだはるは、同じ選択をしなかった。


「ッらあ!!」

「そいやー」


 裂帛の気合いは魔人のもの。

 春香は酷く気の抜けた掛け声で、己の拳を突き出した。


 再び、衝撃が夜の町を突き抜ける。

 しかし、今回は地面がめくれ上がることはなかった。

 そして、真正面から迎え撃った春香には、傷一つ付いていなかった。


「上に逃がしたんだよ。こう、上手い感じにスナップを利かせてさ。あ、細かい理論は万能エネルギー(笑)かっこわらな魔力くんがどうにかしてくれたんでわたしにはお答えしかねます。すまんな」


 死にかけていた愛莉の前で魔物を屠ったときもこんな調子だったな、と愛莉は昨夜の振る舞いを思い出す。


「練習すれば愛莉ちゃんもできると思うよー。保有魔力量は充分以上だしねえ」

「……無理でしょ」

『とっても難しいと思うです……』


 魔法少女と契約精霊の冷静な突っ込みは、魔人を前にした状況においては酷く外れたものであった。

 だが、それ以上に勇者の存在感が異常だった。


 自身の放った攻撃の感触を確かめるように右手を何度か閉じ開きしながら、魔人が口を開く。


「訊かせろ。お前は、『何』だ?」

「わたしぃ? 異世界を救って最近地球に帰ってきた勇者でぇーす。いえい」


「真面目に答えろ」

「真面目、ド真面目、大真面目ですぜ。信じてくれないなんて悲しいなぁ。ぐすん」


 よよよ、と泣き真似をする春香。

 魔人は苛立ったように鼻を鳴らし、


「もう一つ訊かせろ。お前は、乃亜の『何』だ?」


 鋭い視線が春香を刺す。

 冗談を許さない、殺意すら混ざった眼。

 春香はへらへら笑う。


「わたしは愛莉ちゃんの大親友なのでぇ、大親友のトモダチというちょっと微妙な距離感でありますぜ。そもそも直接の面識ないしねー」

「なるほど、確かにお前からは乃亜の匂いがしない」


 果たして春香の返答を、魔人はどう解釈したのか。


「なら、お前も殺そう。お前は、俺の邪魔になる」


 魔人が拳を握り直す。


「せやね、せやろな、せやなー。わたしは愛莉ちゃんの用心棒をしているのでねえ。愛莉ちゃんを傷つけようとするなら、容赦なくするぜぃ」


 いつの間にか、春香の手に剣が握られていた。

 彼女の愛剣。昨夜、愛莉を救った一振りの聖剣。


 次元の違う力を持った怪物どもが、真正面からぶつかる――。



 ――



「がッ、ぁッッッ!?」


 認識が正しくなかった。

 


「わたしが剣を握ったときには、すでに攻撃が終わっている――」


 春香は剣に付着した血を払うように振ると、愛莉に顔を向けてぺろっと舌を出し、


「って、なんか格好良くない?」

「…………、」


 言葉もなかった。

 次元が違う。


 愛莉からすれば魔人も充分に段違いな強さを持っていたが、春香の力に比べれば大したものではなかった。


「んやんや、少年もなかなかセンスが良いみたいだよ? 咄嗟に体を捻って致命傷は避けたみたいだし」

「き、さま」


「やだなぁ睨まないでよぅ。ちゃーんと褒めてるって! 反応できなかったら、キミ、今頃縦に真っ二つだったんだから」


 へらりとした笑みは、撒き散る鮮血に彩られて狂気的に映った。

 春香は大剣を片手でくるりと回して、


「んじゃ、二発目」

「ぐッ、ォオ――!!」


 衝撃、そして鮮血。

 春香の一閃に対し、応じた魔人の左腕が飛んだ。


 いくら肉体を魔力で固めようと意味を成さない。魔人が纏う魔力装甲は熱したバターよりも簡単に刃を通し、骨も肉も関係無く切断される。勇者の聖剣は、間違いなく業物であり、使い手の圧倒的な能力も相まって絶対的な切れ味を誇っていた。


「次はー、そうだね。右足で」


 夕食のメニューを決めるよりも気軽に指定して、春香は魔人の体を分解バラしていく。


 もちろん魔人も無抵抗だったわけではない。だが、春香にとってその抵抗は、していないも同然のようで。まるで案山子相手に試し切りでもするように、魔人の体に刃を通す。


「がッ、あ、ろォ……ぐッ、ぞォがァ……」

「日本語でおーけー?」


 どうして死んでいないのか、愛莉には理解できなかった。


 魔人は四肢を切断されただけではなく、腹に穴を開けられ、胸の表皮を剥ぎ取られ、鼻を折られ、耳を削られ、片目を潰され――……ボロ雑巾よりも酷い、と表するしかない血だるになっていた。


 あまりの惨状に口を押さえく愛莉に気付いていないのか。春香はいつも通りへらへら笑う。


「んー、こっちのがどんなものかわかんなかったから遊んじゃったけど、なんというか、イマイチだね。持ってる魔力はそれなりだし、センスもあるけど、使いこなせてない。もしかしなくても、キミ、新人さん?」

「ぐ……お、まェ……はッ、なん、だよ……ッ!?」


 体を支える部位を全て失って地に伏す魔人に、春香はやや辟易した様子で答えた。


「だーから言ってるじゃん。勇者だって」

「……ん、な」


「事実なのになぁ。……ま、キミが知らなくてもみたいだし、良いか」

「……?」


 疑問符を浮かべたのは愛莉だったが、魔人も意味がわからないようで無言のまま春香を睨み付けている。


 しかし愛莉たちの疑問に答える気はないようで、春香は聖剣を地面に突き立てると、魔人の少し横に向けて指を差した。


「ほぉら、お迎えみたいだよー」


 その言葉に釣られるように春香の指し示す先へ目を向けると、不意に強大な魔力を感じた。


『ゲートが開くですッ』


 メルルが叫ぶと同時、空間が歪む。

 それは、魔界に繋がるゲートに似ていた。


 だが、中から魔物が現れる様子はない。

 代わりに、魔人が吸い寄せられるようにゲートへ入っていく。


「え、なに……? どうなってるの……?」


 愛莉の困惑に、春香は端的に答えた。


「回収したんでしょ」

「は? 誰が……」

「他の魔人が。あるいは、彼らの王が」


 ――王。

 魔人たちの親玉。

 愛莉たちの世界を侵略する、その元凶とでも呼べる存在――。


「王、って……そんなのがいるの?」

「え、そりゃあいるでしょ」


 春香の言葉が正しいのかはわからない。

 メルルに聞けば何かわかるだろうか?

 しかし、それを確かめるより先に、やるべきことがある。


 ――このままだと、瀕死の魔人を取り逃してしまう。

 あまりのグロさにこみ上げていた吐き気をなんとか抑え込み、愛莉は魔力を熾す。術式を介し、超高温の炎を作り上げる。


 先ほどは、魔人の防御を突破することはできなかった。だが、春香の手で追い詰められた状態なら――命を落とす一歩手前の今であれば、愛莉の魔法でも魔人を倒しきることができるかもしれない。


 そして。


「や、めろ……ッ」


 死にかけの魔人が、声を絞り出す。


「死にたく、ない――」

「――っ」


 ゴォッ!! と、燃え盛る炎が吹き出した。

 瀕死の魔人を殺しきるには十分な威力を持った火炎放射が、魔人に向かって延びて――。


 しかし、魔人の面前で炎は止まる。


「なに――、壁……?」


 まるで魔人の顔の前に透明な壁でもあるかのような、不自然な炎の遮られ方だった。


「過保護だねぇ。んにゃ、さすがに慎重と言うべきかな」


 魔人を回収する存在が、ゲートの向こう側からガードした。

 それが、愛莉の魔法が魔人にトドメを刺せなかった原因。


「……っ」


 さらに魔力を注ぎ込んで魔法の出力を上げても、魔人を守るバリアは突破できない。

 そして、――ついに魔人がゲートの向こう側に消えてしまった。


「……駄目、だった」

『アイリ……』


 倒せなかった。

 あと一歩が、届かなかった。

 その事実が、愛莉の魔法少女としての誇りを傷つける。


 魔法少女でもない、魔人と戦う義務があるわけでもない少女にこれだけお膳立てしてもらっておいて、簡単な仕上げすらしくじった。

 駄目すぎる。落第点、なんてレベルじゃない。魔法少女である意義すら疑われるほどの、失態。


『仕方がないです。魔人はとっても強いのです。それに、……、…………。いえ、やっぱりなんでもないです』

「……、」


 メルルの慰めも、愛莉の心を軽くすることは叶わない。


 ……春香に対しても、申し訳ない。

 魔人を倒せなければ、ポイントは手に入らない。春香は愛莉の魔法少女活動を手伝う代わりに、その活動の利益を分ける約束だった。守ってもらって、さらに相手を瀕死にまで――その残虐さはひとまず置いておくとして――追い詰めてもらったのに、魔人を取り逃がしてしまった。


 魔人と戦い討伐するのは魔法少女の役目であり、春香にはその手伝いを充分以上にこなして貰っていたのに、愛莉のせいで失敗した。


「……ま、愛莉ちゃんが落ち込む必要はないと思うけどね」

「っ、でも、私がトドメを刺せなかったから、魔人を逃がしてしまった。……春香にたくさん力を貸して貰ったのに、私が失敗したから……魔人の脅威を取り除けなかったし、ポイントも手に入らなかった」


「んー、真面目ちゃんですなぁ」


 愛莉を安心させるように――あるいは本当に何とも思っていないのか、春香はへらっと笑って話を続ける。


「そもそも、ね。いつでもわたしがトドメを刺せたのにやらなかったのが原因でもあるからにゃー」

「春香はあくまで手伝いなんだから、肝心なところは私がやらなきゃ駄目でしょ。……や、手柄を奪いたいってわけじゃないんだけど……」


「んふ、わかってるよーう。……んまあ、確かに愛莉ちゃんがトドメを刺した方が、経験的に良いかもしれないけど」

『えと、待ってくださいです。ハルカはトドメを刺せるのに刺さなかったって……遊んでいた、ということです?』


 メルルの声には咎めるような色が乗っていた。

 春香はあくまで手伝いだ。それでも、魔人という危険な存在を野放しにすることは許しがたい。彼、あるいは彼女の善性から来る抑えきれない感情を浴びた春香は、しかしへらへら笑ったまま答える。


「遊んでたって訳じゃないけど、そう見られちゃうのは否定できないねぇ」

『……、』


「あはは、そう怒らないでほしいなぁ。だってさー、気になるっしょ?」

「それは……」


 あの魔人が、どうして乃亜の名を出したのか。乃亜とどのような関係があるのか。

 気にならないかと言えばもちろん気になるが、それは魔人を野放しにして良い理由にはならない。


「それに、愛莉ちゃん、ほっとしたでしょ?」

「は?」


「殺せなくて良かったって」


 春香の焦げ茶の瞳が、じっと愛莉の双眸を射貫く。


「……、私は、魔人をことだってあるわ」

「そーなの? それにしては、躊躇ってたように思うけど」


「別に……躊躇ったわけじゃない。ちゃんと倒せるか不安だっただけ」


 それで実際に倒せなかったのだから、本当に救えない。

 愛莉は心の中で自分の力不足を嘆き、そっと唇を噛んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る