第9話「愛莉ちゃんのトモダチだよね?」
魔物は、基本的に日が落ちてから出現する。
正確には、魔物が現れるゲートが、日の当たらない場所で開きやすいのだ。よって、魔物は夜に出現しやすい、という認識が魔法少女たちの間に広がっている。
ゆえに、魔法少女たちの
とはいえ、魔法少女たちにも私生活があり、睡眠を取らずに動き続けることなど不可能だ。
担当地域――周辺の魔法少女と話し合って
それ以降の時間、そして睡眠中に出現した場合は、他の魔法少女に任せていた。
……契約精霊が気配を察知して知らせてきた場合は向かうこともあるが。春香と出会った日はこのパターンだった。
乃亜がおらず、代わりに自称・帰還勇者の
遅くなった理由は主に三つ。
昨夜、腹ぺこ少女に食い尽くされた冷蔵庫に、食材を補充するため。
夕食を取ろうとして、春香の希望でファミレスに寄ったため(春香は朝に渡した千円を朝食だけで使い果たしてお昼を抜いていたため腹ぺこだったらしい。愛莉も二食抜いていたので同様に空腹だったが、春香は愛莉の三倍以上食べていた)。
そして、春香が使う生活用品とその他諸々を買い足したためであった。
「うぷぷ。もしかしたらわたしたち、お店の人に同棲してるってバレちゃったかな。歯ブラシやらマグカップやらを買う二人組って、恋人同士みたいだし」
「ただのお泊まり程度にしか思わないでしょ。……というか歯ブラシはともかく、他のを買う必要あった?
予定外の出費によって淋しくなった財布(もともと大して入ってないが)の軽さに心の中で涙しながら、その原因である春香にじとっとした目を向ける愛莉。対し、春香はへらっと笑って、
「気分の問題なのですよ、愛莉ちゃん」
「……、とりあえず、先行投資だから」
そう。先行投資――これからの魔物討伐でバリバリ春香が活躍してくれるなら、この手痛い出費は補完できる。
……己にそう言い聞かせなければ、ちょっとくじけてしまいそうな愛莉であった。
「……それと、服は休みの日に買いに行くわよ」
またも出費が重なるが、仕方がない。……目尻からちょっとだけ涙がこぼれたかもしれないが、努めて平静に振る舞う。
愛莉の悲哀に気付いているのかいないのか、春香は一瞬だけきょとんとした顔になった。が、すぐにへらへら顔に戻す。けれども、愛莉の目にはどこか喜色を浮かべているように映った。
「え、服まで買ってくれるのん? ママありがとー!」
「誰がママよッ! ……いつまでも私の服を貸すのは嫌だから。それとも、服は持っているの?」
「うーん……異世界産のものが少々
「あ、でも」と春香は何か思い出したような反応を見せると、続けて愛莉に妖しい視線を向けてきた。
「穢れなき聖女セットとか、どエロなビキニアーマーとか、脱がせ……貰ったメイド服とか、色々あるぜよ。愛莉ちゃん、着てみない? 超超ちょーう可愛いと思うなーっ!」
「絶対に嫌。何か不穏な言葉が混じっていた気がするし」
「えー」
似合うと思うんだけどなー、と口をすぼめる春香。
愛莉は溜息を一つこぼして、それから胸元に潜む契約精霊に声をかける。
「メルル。魔物は見つかりそう?」
『今のところ、気配は掴めてないです。ゲートが開きそうな魔力溜まりも感じられないですよ』
「そう。……乃亜は?」
『ノアと契約精霊のララプは、近くにはいないみたいです。変身してないから気づけないだけかもしれないですけど……』
魔法少女に変身するとき、一瞬、魔力が閃光のように
「隠蔽するまほーとかあったりせんの?」
という春香の問いに、愛莉は少し思案して、
「私の知っている限り、隠密に優れた魔法少女はいなかった……と思う」
『メルルも、知らないです。でも、そういう魔法が使える魔法少女は、いるかもしれないです』
「少なくとも、乃亜はその手のことはできなかったはずよ」
「ふぅん」
一言、息を吐くようにこぼす春香。
「……何か、気になることでもあるの?」
愛莉が問いかけると、春香は「んー、今の話とはそんなに関係ないんだけど」と続ける。
「愛莉ちゃんって、魔法少女を始めてどのくらいなの?」
「え? 半年と少し、くらいかな」
「へぇ」
何やら思うところがあるのか、春香は視線を中空に泳がせる。そのお綺麗な顔面にはヘラヘラした笑みをくっつけたままだが。
まだ一日にも満たない付き合いだが、なんとなく春香の機微が読み取れるようになった……ような気がする。
「……ま、いいや。
「うん。同時期に魔法少女になって、同じ先輩から基本を教わったわ」
「そっか。愛莉ちゃん、先輩がいるのか」
言って、また思案するように春香は押し黙った。
少しの間、二人と一体の間に沈黙が流れる。
と、
『あっ、ゲートが開く場所があるです!』
「――っ、どこ!?」
反射的に聞き返す愛莉。声に反応し、春香の視線もこちらに向いた。
『ここから直線距離で五十メートルくらい……、こっちです!』
先導するために飛び出したメルルを追いかけ、愛莉は走り出す。
「……ま、考えるのは後でいっか」
そんな呟きを辛うじて拾ったが、春香に問いを投げることはしなかった。
代わりに、
――そういえば、魔法じゃなくても、ポイントで交換した
――いや、でもその手のアイテムは値段設定が高いから、百万もポイントを欲している乃亜が使うとは考えにくいか。
などと考えながら、愛莉は魔法少女としての本業を果たすために契約精霊の後を追った。
◆ ◆ ◆
「いやあ、軽いもんだったねー」
へらへら笑って、春香は大剣――彼女曰く聖剣――を空気に溶かすように消した。正確には、
『ハルカは、やっぱりとんでもなく強いです』
「そうでしょそうでしょー。ねね、愛莉ちゃんも褒めて褒めてーっ」
「……はいはい、凄い凄い」
色々と複雑な感情を呑み込んで、愛莉はそれだけ答えた。
聞き手からすれば雑に感じられるであろう愛莉の返答だったが、春香は「でっへっへー」と嬉しそうな声を上げる。
愛莉たちが駆けつけたときには、すでにゲートが開ききり、三体の魔物がこちらの世界にやって来ていた。
乃亜と二人の時は、片方が二体を足止めしている間にもう片方が速攻で一体を倒し、人数不利を覆した後はそれぞれが一体ずつ仕留める、というような戦い方を取っていただろう。
だが春香は、ただ剣を一振りするだけで、三体を倒してしまった。
「ま、チート勇者サマですから。なんてね」
へらっと笑って
「チート……なにか、ズルをしているってこと?」
「え? ……あー、愛莉ちゃんそういうの疎いんだっけ」
首を傾げる愛莉に、春香はどこか苦笑いにも見えるような――やっぱりいつものヘラヘラ笑いのような、少しだけ複雑な色を顔に浮かべる。
「言葉のあやだよ、気にせんでおいて」
『……使える魔法が一人一つの魔法少女からしたら、ズルであってると思うですよ』
「わたし、勇者ですから。えっへん」
少しの沈黙の後、「……ちなみに今のところは、魔法をいっぱい使うのは魔法使いか賢者の役目では? って突っ込むのが正解だよ!」などと自らのボケに対するリアクションまで説明する春香。ウザい鬱陶しいと思っても、愛莉にはそれを口にしない優しさがあった。
「……ま、戦力として充分以上に期待できるから、いいかな」
充分以上、どころの話ではない気もするが、自身のちっぽけなプライドのためにそのくらいの表現に留めておいた。
相対的に自分が弱く見えて少々自信を無くしてしまうが、愛莉は別に弱くはない……はず。とりあえず、こいつは別格と考えた方が精神的に楽だろう。
「あ、ところで愛莉ちゃん」
「なに?」
「今夜も泊まらせてっ!」
「……、」
手を顔の前で合わせて拝み倒す自称勇者サマに、愛莉は溜息を一つ。
「……ネカフェにでも泊まれば?」
「お金ないです。そもそもうら若き乙女を一人で外泊させるなんて、愛莉ちゃんたら鬼畜ねっ」
……あんたみたいな異次元レベルの戦闘力を持ったやつなら、そこらの暴漢なぞ軽くあしらえるでしょ。
などと思いつつ、愛莉は仕方がない、と今夜も春香に寝床を提供することを決めた。
「……頼んどいてアレだけど、愛莉ちゃんのお母さんが何か言ったりしない?」
「あの人はあまり家に帰ってこないから大丈夫よ。……ま、遭遇したら運が悪かったってことで」
「おおう。……うむ、その時は『勇者の七十八技能』が一つ、超絶隠密術で隠れきってみせるから安心したまえ。ぬふふ」
「なにそれ」
と、そんな話をしているときだった。
前兆はなかった。
その強烈な気配は、唐突に愛莉たちの前に現れた。
「――乃亜の匂いがする」
男の声だった。
少年、と言っていい年頃だろう。身につけている学ランの校章は、どこの学校のものだったか。見覚えはあるが、すぐには名前が出てこない。
見た目だけなら、黒髪黒目の、どこにでもいるような少年だった。
見知った顔ではない。だが、彼が口にした名前は、愛莉の良く知る人のもので。
そして。
彼が何者かと言えば、その身に纏う気配から、一瞬で理解できた。
「魔人――ッ」
愛莉の叫びに反応するように、春香が口笛を吹いた。
「へえ、これが」
「
瞬時に戦闘態勢を取る愛莉が異常に映るほど、その魔人はまるで知人に話しかけるような自然体だった。
ただし、体から漏れ出る穢れた魔力は濃密で。彼が一歩前に出るごとに、愛莉はじりじりと後退してしまう。
「おまえは、乃亜の『何』だ?」
「……、」
魔人と遭遇したのは、初めてではない。
だが、何度相対しようとも、慣れるものではない。早鐘を打つ心臓を必死で宥めるが、額から垂れ落ちる汗を拭う余裕もない。
唯一良かった点は、魔物との戦闘のために変身をしたままでいたことか。変身は隙になるし、敵に正体がばれることほど恐ろしいものはない。
絶望的な今の状況においては、何の慰めにもならないが。
「乃亜とは、どういう関係なんだ?」
黙りこくる愛莉に、焦れたように魔人は言葉を重ねる。
なぜ、こいつは乃亜の名を知っている?
乃亜の知り合い? 魔人と魔法少女が知り合うとしたらパトロール及び魔物狩りの最中だろう。関係も敵対で間違いない。だが、それならば、こいつの質問の意図がわからない――。
「愛莉ちゃん」
と。
思考に没頭する意識を引き裂くように、春香が愛莉の手を握った。
にぎにぎとほぐすように愛莉の手を弄ぶ春香は、へらっと笑う。
「乃亜って、確か愛莉ちゃんのトモダチだよね?」
「え…………、うん」
春香の問いに反射的に頷く。
すると、魔人はぐらりと首を横に倒して、
「とも、だち。友人。なるほど。なら、まずいか。大切な人を傷付けたら、乃亜が嫌がる。それは、俺も嫌だ」
ブツブツと呟く魔人。言葉を拾うほどに、彼と乃亜の関係がわからなくなる。
――誰かが嫌がることをしたくない。
そこだけ抜き出すと、まるで善良な人間のような感性だ。
乃亜の友人だから、傷つけたくない。魔人の言葉をそう解釈するなら、愛莉たちを見逃してくれるかもしれない。――などと、あり得ないことを一瞬だけ考えた。
だが、相手は魔人なのだ。
魔人は魔物を使役し、魔界からこの地球を襲いに来た侵略者だ。地球に住む人間にとっては絶対的な悪であり、決して許してはならない敵対者――。
そして、魔法少女が一人で遭遇した場合、避けられぬ死を覚悟する上位者。
『アイリ、なんとかして逃げるですっ』
愛莉の胸ポケットから悲鳴染みた声を上げるメルルに、しかし愛莉は簡単には頷けない。
――魔法少女は、この世界を守るために戦っているのだ。
――例えどんなに相手が強くとも、セイギノミカタである以上、敵を野放しにはできない。
愛莉は正義感に駆られて魔法少女をやっているわけではないが、それでも最低限の誇りはあった。
乃亜がいれば、と魔法少女を始めたときからの相棒のことが頭を
ぎゅ、と握られた手が、今、愛莉の隣に立つ存在を思い出させる。
「春香――」
果たして、尋常ではない戦闘力を有する帰還勇者・
「でもまあ、愛莉ちゃんと乃亜って子、喧嘩中だけどね。殺されかけるレベルで」
「なら、いいか。殺そう」
――こいつなに言いやがる馬鹿アホおたんこなすぅ!?
という罵倒のような悲鳴は、しかし愛莉の口から出ることはなかった。
刹那の間に春香が愛莉を抱え、中空に跳び上がったからである。
直後。
ズガンッッッ!! と、強烈な衝撃。
反射的に視線を動かせば、魔人が拳を振り抜いていた。その正面から伸びるように地面が
「……外したか」
「ひゅう、まあまあ良い威力じゃん。少年よ、ボクシング始めてみない?」
何事もなかったかのようにスタッと無事な場所に降り立ち、春香は愛莉を降ろす。
対して、魔人は春香の戯れ言に反応することもなく、拳を握り直した。
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