第8話「あたしにはあたしのやり方があるの」



 とある廃ビル、その屋上にて。

 夕陽を背に受けた少女が一人、己の契約精霊と言葉を交していた。


「本当に、あいはあいつに関わってたの?」


 ほんの数時間前に殺意をぶつけた相手の名を出し、少女――がきは契約精霊ララプへ冷たい視線を投げた。

 対し、掌サイズの小人は、薄水色の魔力の燐光を小さな体に纏わせながら、乃亜の眼前で優雅に踊る。


『そうだよー。メルルの契約者はつらの皮が厚いんだよ、うん』


 デカい蠅みたいな動きね、と乃亜はふよふよ中空に浮かぶララプを評した。


『で、どうやって殺す? メルルの契約者』


 乃亜の契約精霊ララプは、恐らく魔法少女のことを覚えていない。個々人を認識していない、と言うべきか。彼、あるいは彼女にとって、同類である精霊以外は覚える意味が無いのだろう。と、乃亜は勝手に解釈している。


 ふよふよ、ふらふら。視界の中で無秩序に踊る羽の生えた小人に、乃亜は短く答えた。


「愛莉は後に回すわ」

『は? なんで? さっきの調子なら殺せそうじゃん。ビビってんの?』

「あ?」


 キッと睨んでやれば、ララプは馬鹿にしたような顔をこちらに向けた。


『マスター、キミさぁ。昨日も駄目だったじゃん。せっかく良い感じにゲートの開きそうな場所に魔物を誘導して、罠も薬も使って、あと一撃食らわせられれば殺せるってとこまで追い詰めたのに』

「うるさい」


『今日だってさぁ。誰かに見られたって良いじゃん。殺せば。一応普通の人間だって魔力持ってるんだからさぁ、ちっとは足しになるよ? 効率は確かに悪いし運も絡むけど』

「黙れ」


『――逃げてばっかで、どうすんの?』


 ガッ! という打撃音。

 乃亜の拳に吹っ飛ばされたララプが、錆び付いたフェンスに背をぶつける。

 乃亜は衝動的に振り抜いた拳をポケットに戻し、吐き捨てるように言う。


「あたしにはあたしのやり方があるの」

『いてて、酷いなぁマスターは。ボクは全部、善意で言ってるのに』


 人殺しを薦めたことすら善意というのなら、精霊界はずいぶんと無法地帯らしい。

 再びふらふらと飛び上がって近づいてくる契約精霊に、乃亜はいっそう冷たい視線を向ける。


「愛莉がそう簡単に死ぬわけないから。警戒されてるだろうし」

『そうかなー?』


「それに、愛莉はポイントを溜め込んでおくタイプじゃないしね。……そう考えると、あの子のポイントなんて要らないわね」

『ふーん』


 ララプの息を吐くような相づちには、果たしてどんな感情が込められていたのか。

 乃亜が読み解くよりも早く、ララプは言葉を続ける。


『なら、今日は北には行かない方がいいよ。メルルの契約者がそっちの方で活動してるから』

「そんなことわかるの?」


『んまぁ、ボクはそういうのが得意なんだよねぇ。あぁ大丈夫、向こうはこっちに気付いてないと思うから』

「そう。なら、今日は南の方に行くわ。……ちょうど良いから、あのクソウザい女でも襲おうかしら」


『クソウザい女? ……あー、ヤヤハの契約者のこと?』


 ななの魔法少女は、乃亜と愛莉だけではない。

 ララプが思い至った魔法少女は、乃亜が嫌いな魔法少女の一人だ。恨みというほどではないが、襲う動機があると思ってもらえる。

 少なくとも、愛莉よりは。


『……ま、良いけどさ。ろっかくはすぐに襲わないの?』

「魔法少女を殺す感覚を掴んでからの方が勝率上がるでしょ? あの狂人の前で隙を作るようなことはしたくないから」

『そーいうもんかなぁ?』


 理解できないのか、ララプは首を捻った。

 精霊自身が戦うわけでもなく、そも精霊とは人と相容れない神秘の生き物なのだから、感覚にズレがあるのは仕方ない。


 もっとも乃亜は、己の契約精霊に自分の感覚を深く理解して貰おうなどとは考えていないので、そのことについて特に言葉を重ねることはない。


『うーん、ちゃっちゃとメルルの契約者を殺せば、マスターの言う感覚とやらも掴めるんだし、そっちを優先した方が良いと思うんだけどなー。今の七瀬で一番危険なのもメルルの契約者なんだし』


 乃亜は精霊の感覚に合わせる気はないし、精霊を人間の感性に合わせるような不毛なことはしない。だが、これだけは口から出てしまった。


「……そんな簡単に、親しい人間を手にかけられるわけないでしょ」

『んー? ならなおのこと、今のメルルの契約者は殺しやすいんじゃない? さっきだってロクに反撃してこなかったじゃん』


 ララプの言葉には、乃亜の心が考慮されていない。

 ……いや、考えてはいるのか。ただ、表面的なものしか見ていないだけで。


「人間の心が一本の道だなんて考えてるなら、あんたは一生人間を理解できないわよ」

『まー、別に理解しなくても良いかなー』


 それは契約精霊としてどうなのだろうか、と愛莉なら突っ込んだかもしれない。彼女と彼女の契約精霊は、乃亜とは違って、良い関係を築いているようだから。


 魔法少女とマスコットの仲が良いのは、優しい世界で描かれる子供向けのお話の中だけ。

 マスコットがいたいな少女を騙すばかりとは言わないが、実際のところ、互いが互いを利用しているだけに過ぎないのだから。


 ビジネスパートナーのような関係であれたなら、その方が良かったのかもしれない。


『あ、そういえば』

「なに?」


 思い出したようにララプは呟いた。


『メルルの契約者を罠にかけたとき、マスター、なんか他の仕掛けでもした?』

「……?」


 愛莉を罠にかけた日。罠を仕掛けて一網打尽にすると愛莉に言い、彼女に誘導させ、彼女ごと罠に巻き込んだとき。


 乃亜がやったのは、獣型の魔物には効きづらく魔法少女には効く痺れ薬を蒔いて愛莉の動きを鈍らせ、愛莉を巻き込むように罠を起動し、自分が簡単に仕留められるくらい愛莉をボロボロにした。……それだけのはず。


 ゲートが開き易い場所に誘導したのだから追加の魔物も湧いただろうが、それ事態は自然に任せていた。ゲートを人為的に発生させるなど、魔法少女には不可能だ。少なくとも、乃亜はやり方を知らない。


「最初に考えていた計画通りのことしかしてないわよ」

『そーだよねー。そんで、とどめを刺す前に逃げ出した、と』

「っ」


 反射的に拳を出したら、今度はひらりと避けられた。

 くるりと旋回したララプは、にやにやとした顔のまま乃亜に謝罪する。


『ごめんごめん。で、話を戻すけどー』


 ララプはずいっと乃亜の顔に近づいて、


『マスターがとどめを刺さなかったんだから、メルルの契約者は、ゲートから現れた新たな魔物に殺されるはずだった。でも、死ななかった』

「それは、愛莉が強かったってだけの話じゃない。もしくは、ゲートが開かなかったか」


『んやー、開いたのは確実だし、魔物もこちらの世界に来ていた……はず。そういう魔力の動きがあったからねー』


 ポイントは魔力であり、魔法少女が魔物を倒した際に数値化して獲得する。その流れを細かく見ると、魔物が保有していた魔力を精霊が何らかの手段で吸収するフェーズがあるのだ。魔力感知に優れた精霊ならば、その動きを察知できるのかもしれない。乃亜はそう解釈した。


「……なら、誰か助けに来たんでしょ」

『誰が? マスターもわかってるでしょー。あの日、ヤヤハの契約者のチームは別の場所で魔物に釘付で、夜行性の魔法少女はその応援に行ってた。誰も、助けに行けるはずがない』


 たまたま他の町から来ていた魔法少女が、ピンチを救った。

 愛莉が独力でなんとかした。

 あるいは、乃亜の知らない新しい魔法少女が現れた。


 ……どれもあり得ない話ではない。だが今日、体育館裏で相対した愛莉は、体に傷を残していなかった。罠にかかって瀕死になり、その上で複数の魔物に襲われた彼女が、一晩で完治できるとは思えない。


 ――いや。


「あのウザ女が治癒魔法の使い手だったかしら」

『でも、ヤヤハの契約者は』

「そうね……」


 距離的にも、状況的にも間に合わない。確信がある。だって、そうなるように誘導したのは乃亜とララプなのだから。


「……闇雲に考えてもわかんないし。なんか、ヒントになるようなものを現場から探すしかないわね」

『あー、魔力を探ったんだけどね。知らない魔力があったよ』


「だったら、知らない魔法少女が現れたんでしょ」

『それなら一緒にいる契約精霊でボクがわかるんだけどなー……うーん』


 呻き声を上げて首を捻るララプ。

 ふと、周囲に目を向ければ、町にかかっていた赤みが失せ、薄暗い闇が眼下に広がっていた。


「そろそろ行くわよ」

『んー? りょーかい、マスター』


 目的は、魔法少女の襲撃。

 相手はチームを組んでいるので、複数人を相手にしなければいけないのが辛いところだが、問題ない。相手は愛莉ではないのだから、乃亜は迷わない。


『今度は、ちゃんと殺してね、マスター』


 わかってるわよ、と口の中で呟いて。

 魔法少女は、闇夜に消えた。


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