第5話「行ってらっしゃい」



 あさくらあいは、朝はそんなに強い方ではない。


 それは夜遅くまで魔法少女として活動していることが多分に関わっているが、今朝の目覚めがすっきりしないものだったのは、確実に愛莉を抱き枕にしている女のせいである。


「……はる

「んぅ……安眠聖剣ネルンジャー……ぐぅ」


 訳のわからない寝言を零す自称・勇者の腕が愛莉をひしと抱き締め、その長い足は愛莉の下半身に絡みついて放さない。そして異常に力が強くて引き剥がせない。


 結果、愛莉は、春香の寝息がかかるほど間近に顔を寄せられ、彼女の高い体温を全身で受け止め続けることに。


 ……まあ、一部柔らかさというかボリュームが足りないので、同年代の平均的な体型の少女に抱きつかれるよりは息苦しくないのは幸いか。自分の結構なものはひんぬー少女の腕に押し潰されて多少苦しいけれども。


「ぬん……やわやわ……びっくりマシュマロ……むにゃむにゃ」

「ぐ……起きなさいっ。そして放しなさい!」


 というかこの女、半分くらい起きているのではなかろうか。意味不明な寝言はともかく、手の動きがどことなく怪しい。わきわきと空気を揉みしだいている左手は、夢の中ではいったい何を掌に収めているのやら。


 ふんぬー、へんぬー、ひんぬー! と、寝込みを襲うケダモノの拘束から全身で抗ってみるが、勇者を自称するだけあって春香の筋力は万力のごとくであった。魔法の力がなければごく一般的な女子高生である愛莉では全く対抗できない。


 であれば、だ。


「……メルル」

『んにゅ……おはようなのです、アイリ……』

「変身」

『ふぇあ?』


 愛莉を挟んで春香とは反対側、枕の端っこにその小さな体を預けていたメルルが、寝ぼけまなこをこすりながら起き上がる。

 反応の鈍い契約精霊をじっと見つめて、


「早く。じゃないと私がこの女に潰されて死ぬ」

『です!?』


 素っ頓狂な悲鳴を上げながらも、メルルはすぐさま魔力パスを繋げてくれる。変身するための一工程目ファーストアクション。そして、普通の少女は精霊の持つ神秘の力を受け入れることで、きらびやかな魔法をる魔法少女となるのだ。


 愛莉の長髪が黒から白に。瞳は赤へ。

 ここから魔力を全身に纏うようにすると衣装が変わるのだが、春香をどかすだけなら不要だと判断して工程をスキップ。


 代わりに、手足に魔力を流し、強化を図って――。


「ふんぬッ」


 ぐいっ、というよりは、ドゴッ! といった感じで、右手で春香の下顎を押し上げた。


「なぎゃらっ!?」という奇っ怪な悲鳴を上げて布団から吹っ飛ばされる春香。その勢いのままコロコロと転がり、やがて壁に頭をぶつけて停止する。


「いっ……たいのだが!?」

「勝手に人を抱き枕にした報いよ」


 毅然と言い放つと、春香はぶうぶうと唇をすぼめた。


「えー、だってお風呂から出たら愛莉ちゃん寝てたから」

「それは……私が悪いけれど。でも、だからって抱き枕にする必要はないじゃない」


 六月は雨の影響で気温差があるが、一昨日から晴れ続きなので朝からそれなりに暑い。ゆえに、密着して寝るのは暑くて寝苦しいのだが。

 という主旨の文句に、しかし春香はへらっと笑って、


「いやあ、わたし、枕が変わると寝られなくてさー」

「はあ」

「でも、愛莉ちゃんは良い匂いがするし柔らかいし温かいし、見事わたしを夢の国に連れて行ってくれたよ。ありがたやー」

「はあ?」


 眉をひそめる愛莉に対し、春香の妙な明るさの声調は変わらない。


「ところでさ。わたし、こっちに戻ったら私物のほとんどが消えててねえ。当然、愛用の枕もないわけです」

「で?」

「だから、これからもわたしの安眠のために、抱き枕になって!」

「嫌」


 毎朝この怪力女に絞め殺されかけるとか、どんな罰ゲームだ。


 溜息を吐きながら、愛莉は変身を解く。髪も瞳も、黒色に。

 その変化をじっと眺めていた春香は、ふうむ、といった調子で顎に手を当てる。


「……なに?」


 視線が気になって問いかけると、春香は感心したような声で、


「魔法少女が変身したら姿が変わるのはお約束だけど、実際に見ると結構印象変わって見えるね」

『それに加えて魔法で認識阻害もかかるですから、たとえ家族であろうと正体がバレないですよ』


 横から答えたメルルに、春香は「なるほど」と頷いた。


「でもパーツは変わらないんだね」

「パーツ?」


 首を捻る愛莉。すると、春香が素早い動きで愛莉の頭を両手で挟み、ぐいっと顔を近づけてきた。


「色は変わるけど、目も鼻も口も、形や位置が変わりはしない。魔法少女って変身したら絶世の美少女になるパターンも見かけるけど、そういうファンタジックな補正なしに愛莉ちゃんは超絶美少女だよねえ。おっぱいも大きいし。スタイル良いし。あとおっぱいでかいし」

「――っ」


 果たして顔の温度が上がったのは、真正面から容姿を褒められたからか、セクハラまがいの台詞のせいか、それとも息がかかるほどの距離に春香の顔が迫ったからか。


 ……春香こそ、顔の造形はとんでもなく整っているし、体もスレンダーで綺麗だと思うのだが。

 という思考はすぐさま闇に葬り、愛莉は近すぎる春香を押しのける。


「……魔法少女って言っても、アニメやマンガみたいな何でもありなわけじゃないってことよ」

「そかそかー。まあ肉体改変はリスクでかいしね」


 愛莉の頭から手を放した春香は、再びヘラヘラした笑みを浮かべて言った。


『幻を纏わせるとかならできるですけど、変身の度に肉体を歪めるのは難しいです。一回変えたらそれきりでいいなら、そういう魔法道具マジックアイテムもあるですけど……』

「マジか。詳しく。具体的には、胸部を大きくすることができたりは?」


 ……などと精霊に詰め寄るまな板族の声を聞き流しながら、愛莉は布団を片付ける。

 チラリと時計を見ると、アナログ時計の針は八時二十分を指していた。


「え……やば」


 今日は火曜日で、祝日ではなく平日。

 愛莉の通う高校は、朝のショートホームルームが八時半からとなっている。このアパートからは、走っても十分はかかるので――のんびり支度をしている暇はない。


 寝坊の原因は、愛莉を一晩中抱き枕にしていたやつか、それとも昨夜の疲労が大きすぎたせいか。

 原因究明しても、時間は戻ってくれない。


 早着替え自己ベストを更新する勢いで制服に着替え、諸々の身支度をいくつかカットしながらも最低限整えると、春香の手の上にいたメルルをすくい上げ、鞄を引っ掴んで外に飛び出す――……。


「愛莉ちゃーん、朝ご飯はー?」

「時間がない。そもそもあんたが昨日冷蔵庫を空にしたから作れないわよっ」

「ひょえ? んじゃ、カフェで優雅にモーニングでもいっちゃう?」

「そんな余裕、二重の意味でないわよ!」


 焦りと苛立ちを滲ませながら、愛莉は財布から紙幣一枚を抜き出すと、鍵と共に春香の手に握らせる。


「うぇあ?」

「どういう鳴き声? ……とりあえず、それで何か買って食べなさい。外に出るときに、鍵を閉めるの忘れないでね」


 愛莉の言葉を理解した(と本人は思っているが、実際は千円で一食分ではなく、朝と昼の二食分のお金だということにまだ気付いていない)春香は、ヘラヘラ顔に喜色を浮かべて、


「やったー! ありがとー、ママー!」

「誰がママかっ! ――メルル、変身お願い」

『お腹が空くと力が出なくなっちゃうですよ?』

「魔法少女になる前は週に三、四回は抜いてたから問題ない!」


 魔物と戦うのではなく、魔法少女のとんでもない身体能力を活かしてスピード登校するだけなので空腹でも大丈夫。授業中に辛くなるだろうけど、我慢するのは慣れているし。


 白く染まった髪を視界の端に流しながら、愛莉は今度こそ外へ――。


「あっ、そうだ。愛莉ちゃん!」

「っ、なに!?」


 振り向くと、春香はへらりと笑って、


「行ってらっしゃい」

「――行ってきます」


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