第4話「素直じゃないですから」



「……覚えてない、か」


 ――ま、分かってたけどさ。

 口の中で呟いて、ずみはるは何とはなしに浴室の天井を見上げた。


 春香は三年前、異世界に召喚され、勇者として戦った。

 紆余曲折を経てこうして地球に帰ってきたわけだが、故郷であるはずの世界は、春香のことを忘れて回っていた。


 地球と異世界が同じ時間で進んでいるなら、春香の席が中学校に残っていなくてもおかしくはない。

 ――けれど。


 元同級生に話しかけたが、春香の名を出しても思い出さなかった。

 実家があったはずの場所は、駐車場になっていた。

 親戚の家を当たったが、誰も羽澄春香などという人間はいないと言った。


「違う世界、なのかねえ……」


 限りなく故郷に近い、しかし春香の知っているものとは別の世界。

 ……いや、魔法少女なんてものがいて、異世界の生物であるはずの魔物が侵略してきている世界は春香の知っている世界ではないので、やはり故郷ではないのだろう。


「まさか、わたしがいない間に魔法少女が生まれた……なんてね」


 魔法少女についての詳しい話は、あいに尋ねれば教えてくれるはずだ。と、春香は気楽に考えた。


「愛莉ちゃんは、優しいからねえ」


 ――と、ちょっとぬるめの水温をゆったり堪能していると。


『――ハルカ、ちょっといいですか?』

「わっひゃい!?」


 突如目の前に降ってきたナマモノに、春香は奇妙な悲鳴を上げた。


『あ、あ、ごめんなさい、あまり大きな声を出さないでください。アイリちゃんが起きちゃいます。あとお隣さんがすごく怒るです』


 春香の極楽お風呂タイムに襲撃を仕掛けてきたのは、愛莉の契約精霊であるというメルルだった。

 春香は早鐘を打つ心臓をすぐに鎮めると、メルルの頼む通りに声を抑えて言う。


「あ、うん、ごめんねー。……って、愛莉ちゃん寝ちゃったの?」

『はい、すっごく疲れちゃったみたいで、ぐっすりです』

「そかそか。ま、仕方ないね。死にかけてたし」


 ――血だらけボロ雑巾の美少女は、その手の趣味の人ならめっちゃそそるよね。

 死にかけの愛莉の姿を脳裏に思い浮かべ、春香は心の中でイイネボタンを連打する。


 目の前の勇者がそんなやべー性癖を持っているとは知る由もない精霊メルルは、早速用件を切り出した。


『ハルカは本当に、異世界の勇者なのです?』

「んー? そうだよー。異世界に召喚されて、勇者をやってたのん」

『それで、その異世界では、今日会ったような魔物とも戦ったことがあるです?』

「うん。我が聖剣でバッサバッサ斬り裂いてやったぜい。同じだけボコスカやられたけどな!」

『そう、ですか……』


 今のところ、笑うポイントだよ? ……などと精霊に言っても仕方ないだろう。

 この不思議生物――神秘を魔力で固めた謎のナマモノに、人間と同じ感性を求めるのはナンセンスだ。宇宙人に人間なりのユーモアを説いても無理・無駄・無謀。そういうお話。


『一つ、頼みがあるです』

「なーに?」


 ニッコリスマイルで、春香は続きを促す。

 他人にはヘラヘラ笑って見えるらしいが、メルルは気にせず頼みとやらを口にした。


『魔物討伐、手伝ってほしいです』

「へえ」


 予想通りの展開に、春香は平坦な吐息を零した。

 だが、続くメルルの言葉に、眉を顰め困惑を露わにする。


『できれば、ハルカからアイリに頼む形で、魔物討伐に同行して欲しいのです』

「はん? なんで」

『アイリは素直じゃないですから』


 答えになってないだろ、と口の中で吐き捨てる。

 ……いや。


「……もしかして愛莉ちゃん、わたしのこと結構心配してる?」


 メルルがこくりと頷いたのを見て、先の答えが完璧だったと、春香は評価を修正する。


 ご飯にお風呂、寝る場所まで与えられて、命を救った分の対価は払って貰った。と、春香は考えている。

 だから、愛莉が積極的に春香を援助する理由はない。


 ……それでも愛莉は、困っている春香を助けたいと思っているのだ。

 春香はそれを察して、思わず苦笑を浮かべた。


「んやー、愛莉ちゃんさまさまですわ。……とりま、わたしがみっともなくすがり付けば、愛莉ちゃんは聖母の如く助けてくれるってことだよね」

『見た目は渋々って感じを装うですけど、アイリはきちんと助けてくれるです』

「んで、対価として魔物討伐の手伝いを申し出ろ、ってこと?」

『です。ハルカが強いことはアイリもわかっているですし、受け入れてくれると思うですよ』

「ふむん」


 魔物を倒して、生活環境を提供して貰う。

 異世界にいた頃と変わらないな、と春香は心の中でぼやいた。


『……アイリは今、仲間と喧嘩中……なのです。だから、ハルカが力になってくれると、ありがたいのです』

「喧嘩中、ねえ。青春だわ」


 魔法少女の喧嘩って、「マジカル☆ドンパチ」って感じなのだろうか。

 キラキラエフェクトで殴る蹴る撃つ燃やすファンタジックバイオレンスが頭をぎり、いやもしかしたら魔法少女のグループで陰湿な嫌がらせを行うのかもしれない、とやや現実的な想像が湧き出す。


 あるいはネットで正体を晒すとか。魔法少女の正体は一般人には秘密なのが鉄則、と春香のサブカル知識が言っている。


「……ちなみに魔法少女って、普通の人は知ってるの?」


 考えているうちに気になってきたので質問すると、魔法少女の相棒マスコットはキラリンと小さな体に纏う魔力を赤く光らせて、


『普通の人は知らないですよ。認識阻害の魔法が掛かっているですから、変身後の姿を見られても、普段の姿とは結びつかないようになってるです』

「おおー、お約束のやつ」


 春香がケラケラ笑ってみせると、メルルは小さな首を傾げた。


『……あれ? そういえば、どうしてハルカはずっとアイリを認識し続けられているです?』

「変身解除するところを見てたからじゃない?」

『です? ……うーん、なにか引っかかるです』

「もしくは、わたしの魔力抵抗レジスト性能が高かったとかね。勇者に精神干渉は聞かぬのだ、ふはははっ」


 うんうんと唸り続ける掌サイズの精霊に、春香は「気にすることでもないっしょ」と話を打ち切った。


「あ、そういえば、わたしが寝る場所ってあるの?」

『え?』


 唐突な春香の言葉に、思考をリセットされたメルルはきょとんとした顔になる。


「ほら、愛莉ちゃんのお母さんの布団を他人が使うのは、愛莉ちゃんが嫌がるでしょ? だから、わたしはどこで寝れば良いのかなーって」

『アイリが嫌がるのは、アイリの母親の布団を他人に使わせることが申し訳ないからなのですが……というかなんで知ってるです?』


 いぶかしむメルルに対し、春香は妙案を思いついたとばかりに声に喜色を含ませた。


「来客用の布団を用意する余裕はなかったはずだし……ん? これは合法的に愛莉ちゃんの布団に潜り込むチャンスなのでは?」

『えと、アイリの安眠を妨害するのはやめてほしいです』

「だいじょぶだいじょぶ! ちょっと柔らかい体と甘い匂いを堪能してわたしが良い気分になるだけだからさ!」

『不安です……メルルがきちんと見張っておかないといけないです……!』


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