第4話「魔女の足音」
あのあと、サレナは少し部屋を片付けて眠りについた。
親しげとはいえ、皇女殿下と
翌朝目が覚めると、部屋は始めて見た時と同じ散らかり様に戻っていたのだった。
「はあ、どうして……天は二物を与えず、ってことなのかなあ」
床で寝て少し身体が痛いが、生きている自分にまずは感謝した。そして、口をついて出る言葉はエクセリアーデへの疑問だった。
もしや、艦長のイットーはこのことを見越していたのかもしれない。
そう思ったのは、狭い
「やあ、少佐。よく眠れたかい?」
「え、ええ……おはようございます、サカキ大佐」
「エクセはあれでなかなか難しいところがあるからね。でも、少し助かったよ」
「えっ? 今、なんて」
どうやら確信犯だったようだ。
イットーは、エクセリアーデのことを親しげに愛称で呼んだ。
ハメられたと知った時には、指揮所の水兵たちも肩を震わせている。どうやら、お姫様のプライベートがハチャメチャであることは、ここでは有名らしかった。
グヌヌと奥歯を噛むものの、背後の本人は
「おはよう、諸君。惑星ファルロースはもう見えて?」
エクセリアーデだ。
起き抜けのずぼらっぷりが嘘のように、シャンとしている。髪など寝癖で跳ね放題だったのを、サレナが苦心してなんとかしたのだが。
サレナは皇族の召使いになった覚えはない。
だが、見て見ぬ振りもできないし、それほどまでに彼女の生活力は酷かった。
「殿下、今までどうやって暮らしてたんですか?」
「うん? あら、どうやって、とは……どうだったかしら」
「無敵のスマイルで逃げても駄目です。まあ、多分……っていうか、二人って」
サレナの思った通りのことを、イットーが話してくれた。
実は、イットーのサカキ家は代々武門の家系で、彼自身も幼いエクセリアーデの
皇国は皇家を中心とした封建社会なので、貴族たちにはこうした風習がある。
「いやしかし、当時はびっくりしたものさ。一人で着替えもできなかったんだから」
「大佐? ……今は脱ぐだけならもう、一人でできますわ。着るのだって」
「でも、よかったじゃないか。新しい友達ができて」
「……友、達。ま、まあ、交友関係が多彩であることは美徳ですわね」
もしや恋人ではと思った、それはサレナの早とちりだった。
むしろ、兄と妹に近いかもしれない。
そんなこんなで、和やかな朝に
「惑星ファルロース、確認、距離、100,000――ッ! 敵影多数!」
不意に緊張が指揮所を支配した。
目の前に今、緑色に輝く惑星が浮かんでいる。エーテルの海に下側が二割ほど浸かってしまっているが、それは皇国領でも有数の軍港国家、ファルロースだった。
その周囲に、無数の艦影が浮かんでいる。
そしてそれは、皇国軍の艦船ではなかった。
「急速潜航、第一種戦闘配置」
イットーの声は落ち着いていたが、それでも驚きが隠しきれていない。
戦場での敗北から一夜、まさか
だが、この悪趣味なトリックじみた戦術には身に覚えがあった。
そして、その名を悔しげにエクセリアーデが
「……魔女の仕業ね。
――
そう呼ばれる謎の提督が協商軍には存在する。サレナのように士官学校を出た若者の中では、
確か名は、
「確か、リズ・ヴェーダ
「ええ、そうでしょう。サレナ、
リズ・ヴェーダ……恐るべき
モニターの一部が拡大され、光学映像をもとに補正されたCGに切り替わった。
サレナは、画質の荒い映像にグッと思わず顔を寄せる。
「これ……戦艦、ですか?
「協商軍
すぐにエクセリアーデの命令で、過去のデータが検索される。
特装実験艦トゥルーノア……その名の通り、新しい兵装や新兵器を運用実験するための艦らしい。それがどういう訳か、万年戦時下の協商軍内部で巡り巡って、魔女の
そして、以前に取られたデータとは見た目が違う。
はっきりとはわからないが、一回り大きくなった印象だ。
「大きい艦ですね……皇国ではこれほどの艦は」
「
不敵な笑みを浮かべるエクセリアーデ。
だが、ことは重大で深刻だ。
惑星ファルロースは南極の周囲が晦冥洋のエーテルに水没しており、そこを中心とした宇宙港が広がっている。皇国領の要衝でもあり、軍のドックも多い。
それでも、サレナは妙だと違和感を言葉にしてみた。
「昨日の海戦で皇国軍は敗北、敗走しました。その残存艦隊ではなく、
「あら、あるわよ?」
「あ、あるんですか」
「その子のためにわたくしもファルロースに向かっています。サカキ大佐、この子で潜航して進めば、港に入れて?」
協商軍は見たところ、ぐるりとファルロースを取り囲んでいる。
その大艦隊の真下を、この潜洋艦ノルヴィーユですり抜けようというのだ。
とんでもない提案に、
「エクセ、あ、いや、殿下……この艦を持ってしても、難しいのでは」
「そうかしら? この世界にはまだ、エーテルの海を
「……魔女を甘く見ないことです」
「まあ、それはそうね。なら――」
そっとエクセリアーデは、イットーに背伸びして耳打ちした。
まるで、兄に
「酷い話です、殿下。士官学校じゃ落第モノですよ」
「あら、そうかしら? ごめんなさいね、わたくし学校には通ったことがないの。一応、軍での階級はあるのだけど」
「確かに准将待遇ではありますが……いや、しかし」
「いいから、やって。すぐにやって頂戴」
「……他ならぬ、我らが戦姫様のお言葉とあらば」
「そうよ。この手でしか、ファルロースは救えない」
すぐにセレナも、手持ちの携帯端末で軍の戦力を確認した。
ファルロースは軍港惑星だ。当然、皇国軍の大艦隊が駐留している
だが、その期待は淡くもエーテルの
「……嘘。駐留艦隊が、いない……守備隊は巡撃艦が4、
数万もの協商軍艦隊に比べれば、あってなきが
その理由もすぐに知れた。
「協商への
「もっと教えてあげましょうか? サレナ。ファルロースの駐留艦隊司令は、あまりわたくしのことを良く思わない派閥の老人ですの。あの子を持ち込んだことに腹を立てたのね」
「腹を立てた、って……
「不確定情報だけど、民主主義とやらに矯正させるための洗脳教育が待ってるとか? 詰め込みすぎて廃人になるケースってのも聴くわね」
「そんなの、許せませんよ……殿下っ!」
そう、敵の名は
どういう訳か、協商は皇国を目の
サレナたちの故国、絶対君主制のアルス皇国をである。
だが、それだけが戦争の理由かどうかはわからない。この宇宙は大消失時代という歴史的な空白を両陣営が共有しており、千年より前のことはなにもわからないのだ。
「では、サカキ大佐。万事そのように」
「……善処はしますがね、殿下。しかし、こりゃあ
「わたくしたちならできますわ。さて、サレナ。参りましょう」
どこへ? と首を傾げるサレナに、子猫のような笑みを浮かべるエクセリアーデ。彼女は朝食がまだとのことで、サレナの手を引き食堂へと強引に歩き出したのだった。
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