第3話「麗しの姫君、その本性」
軍艦の中だけあって、廊下もドアも簡素で
サレナは、目の前の扉を軽くノックする。だが、反応がないので再度ノック。またしても返事がないので、ドアノブに手をかけた。
「わっ、ロックがかかってない……? えっと、殿下? あの」
おずおずと部屋の中を覗き込んで、サレナは絶句した。
汚い。
散らかってる。
まるで強盗に荒らされたかのような惨状が広がっていた。それで思わず、事件性を感じてサレナは踏み込んでしまう。
着衣も下着も散乱してて、そこかしこに紙媒体の書物やディスクが散らばっていた。
「まさか、この
とりあえず、目につくところから片付け始めて、そして気付く。
水音がして、振り返ればバスルームに
軍艦でも、艦長を始めとする一部の士官には個室待遇が当たり前である。
だが、次の瞬間にサレナは常識の
「……なに? あんた、なにしてんの」
バスルームから
そして、堂々とエクセリアーデが現れたのだ。
全裸である。
神話の時代の芸術品みたいな裸体だった。女神か天使か、はたまた妖精か……ちょっとサレナの
しかも、その口調がなんだか違和感を叩きつけてくる。
「でっ、でで、殿下! なにかお召し物を、っていうか、濡れたままで出て来ないでくださいっ!」
「あたしの部屋よ、好きにしたっていいじゃない。それで? なんであんたがいるのよ」
「他に部屋が空いてそうで、その、すみません」
「謝ること? いいわよ、そのへんにいなさいよ」
気高く
そのイメージが、サレナの中で爆散した。
目の前にいるのは、ぶっきらぼうでだらしないただの16歳だったのだ。
そんな彼女に、つかつかとエクセリアーデが歩み寄ってきた。
「で、殿下、なにか一枚……下着だけでも」
「わかってるわよ。それ、貸して。まだはけるから」
「……は?」
「シャワーを浴びたらまたはこうと思って、そこに置いといたの」
「床にですか!?」
「悪い?」
「い、いえ」
エクセリアーデは、サレナが抱えた洗濯物と思しき衣類の中から、下着を引っ張り出す。それを指でブンブン振り回しながら、濡れたままでベッドに腰掛けた。
サレナはもう、頭がどうにかなりそうだった。
さっきまでの
優雅で自身に満ちたその姿は、眼前の少女には全く見いだせなかった。
「と、とにかく、身体を拭いてください! 風邪を引いてしまいます!」
「大丈夫よ、空調も効いてるし」
「ええと、タオルをお借りしますね! 失礼します!」
部屋を見渡し、観葉植物に清潔そうなタオルが引っかかっているのを発見する。それをひったくるや、サレナはわしわしとエクセリアーデの身体を拭き始めた。
やんごとなき身分の方に対して、無礼とも思ったが、見ていられない。
完全にオフの状態のエクセリアーデは、あまりにも生活力がなさそうに思えた。
「なによ、手慣れてるじゃない。ああ、髪はいいわ。そのうち乾くから」
「いけません! もぉ……どうなってるんですか、殿下。この部屋も、殿下自身も」
「幻滅した? ま、そうよね。フフッ」
サレナは孤児院で育ったので、自分より下の子を面倒見るのは日常茶飯事だった。
それにしても、エクセリアーデのこれは酷い。大人しく髪を手入れされながら、彼女はくああとけだるげにあくびを一つ。まるで大きな
だが、不思議とサレナはそんなエクセリアーデに興味を持った。
世間で知られる完全無欠の才女は、ひょっとしたら
「……ねえ、えっと」
「サレナです、殿下。うわ、髪のキューティクルやばい……まるでシルクみたい」
「その、殿下ってのやめない?」
「いや、やめない? って言われましても」
「エクセちゃん、でいいわ。あたしもサレナって呼ぶから」
「エクセ、ちゃん……あまりにも恐れ多いというか」
「これ、命令ね? 親しい人はみんなそう呼ぶから」
「あっ、ちょっと殿下」
するりとサレナの手から抜け出て、
エクセリアーデは堂々と冷蔵庫を開け放つと、腰に両手を当てて中をじっくり見渡した。あまりに堂々としていて、ここでは裸が自然なのではと思えるくらいだ。
「これにするわ。ほら、飲みなさいよ」
「わわっ、あの! それより髪を」
「もういいわ、ありがとう。それより」
「それより?」
「あの子の話が聞きたいわ。いい機会だから話して
飲み物のボトルを放って、エクセリアーデは自分のも取り出す。そして、行儀悪く尻で冷蔵庫を閉めた。もはや、そこに
けど、隣に戻ってきて足を組むエクセリアーデに、サレナは逆らえなかった。
あまりにも普段とのギャップがありすぎて、現実感が薄れていたのだ。
「ええと、あ、はい。ヴァルツールⅢには半年ほど乗りました。実戦に出ての始めての艦です」
「ファルミリア級
まるで見てきたことのようにエクセリアーデは語る。
彼女は、
ただ、誰もが知ってて口にしない。
エーテルの海に沈んだ艦の、その何万倍もの人間が戦争で死んでいるのだ。
それも、エクセリアーデの采配で散っていったものも少なくはない。
「ファルミリア級も後期型になると、設計当時の不具合が改修されてて」
「設計時の不具合? なにかあったかしら」
「主砲斉射の際に、なかなか艦体が安定しないことがあって」
「あら、そういう話……確かにあったわね。他には?」
やっぱり気になるので、サレナはヘアブラシをベッドと壁の谷間から拾い上げる。そして、エクセリアーデの髪をゆっくりと解きほぐしてゆく。
エクセリアーデはされるがままに、大人しく茶を飲んでいた。
サレナが話す一字一句を己に刻むように、何度も頷いては言葉を
思わずサレナは、孤児院での日々が思い出されて小さく笑ってしまった。
「なによ、おかしい?」
「あ、いえ、失礼を、殿下!」
「だから、エクセちゃん、で。言ってみて、サン、ハイ」
「エ、エクセちゃん」
「はい、お上手。……おかしいと思うわよね。こんなことしても、何の意味もない……あたしの罪が消える訳じゃないのに」
エクセリアーデも僅かに口元を歪める。
だから思わず、サレナは立ち上がってしまう。
「そっ、そんなことないです! こ、光栄です……その、エクセちゃん? に覚えててもらえるなんて」
「そうだといいわね」
「そうなんですよ! あの! わたし、忘れませんっ!」
エクセリアーデは、大きな瞳を瞬かせながらサレナを見上げていた。
思わず熱くなって、サレナは両の拳を握りながら力説してしまう。
「殿下が……エクセちゃんが戦没した艦を忘れたくないのは、
「……えっと、まあ、そんな大げさなものでもないんだけど。フフ、そう」
「そ、そうですよ。た、多分」
「ちょっと、サレナ? そこは断言しなよ。なんで疑問形?」
「い、いえ、まあ……ちょっと格好よすぎるかなーって」
今日、サレナはアルス皇国の重大機密を知ってしまった。
国と民とを背負って戦う、暁紅の戦姫の正体を知ってしまったのである。もしかしたら、この広い晦冥洋で自分だけが……そう思うと、妙な興奮に胸がざわめいた。
同時に、一人の人間、十代の女の子としてのエクセリアーデが好きになりはじめていた。この少女は、華奢なその双肩に無限の重圧を感じて戦っているのだ。
「ま、いいわ。あとは、そうね……サレナ、あんたのことをもっと話して?」
「えっ? わわ、わたしなんかの話ですか?」
「そ。少し興味が出てきたわ……飛び級エリートの艦長さん」
「元艦長、ですけどね」
エクセリアーデはクイと茶を飲み干すと、部屋の隅に空のボトルを放り投げた。
「ヨシ、まずは部屋の掃除からですね。殿下、じゃなくて、エクセちゃん。片付けながらお話しま――」
振り向くと、お姫様はベッドに突っ伏して寝入っていた。
この人は艦隊の指揮を取りつつ、この奇妙な
とりあえず、そっとエクセリアーデに毛布をかけてやると、サレナはサクサクと散らかった部屋を掃除し始めるのだった。
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