第12話 6-2.閉店後、店のご意見番の話を聴く
和彦は午前中の時間を旅行中の写真や日記を整理することと、時々ハローワークへ行ったりすることに費やした。
父の仕事の注文は和彦が十九歳で家を出た頃からめっきり減り、午前中、ビル掃除のアルバイトへ出掛けるようになっていた。
グラフィックデザインの仕事は、コンピューターにほとんど奪われていた。
その前後から、母と喧嘩を繰り返すようになった。
どちらかと言うと横暴で強権的な父に、養われているから…、と我慢を続けてきた母が、父の仕事が減り収入が少なくなった途端、今までは言わなかった不満を露わにするようになった。
母がフルタイムのパートを始めたのはその頃で、父とは意識的に口をきかなくなり、父と母が話す機会は喧嘩をする時ぐらいになった。
今も、朝から夕方まで母はパートへ出ている。
午前中、家の中で和彦は一人になる。
父が帰って来るのと入れ替わるように、和彦は昼から出勤する。
店へは、歩いて三分から五分程度の近さだ。
この近辺は子供の頃からの慣れ親しんだエリアで、店の隣りに本屋があり、よく立ち読みに通ったが、この自然食品店のことは知らなかった。聞けば、和彦が中学生の頃からあるらしいが、全く記憶にない。
店のご意見番である年配の溝口さんは、パートさん達からかなり疎んじられているようで、ちょっとした品出しのやり方、野菜のカットのしかたなどを巡って激しく対立していた。
溝口さんは色んなスーパーを渡り歩き、バイヤーやパート、アルバイトの管理や指導をしてきて、この店には去年入って来た。
元々居て、やり方が出来上がってしまっているパートさん達に対して自身の経験からズバズバと物を言うので、嫌われていた。
話を聞いてもらえない苛立ち、愚痴を、先月からアルバイトで来たばかりの和彦にぶつける。
和彦は父の理屈っぽい話を口出しせずに聴くような習性があったので、溝口さんにとっては話がしやすいようだ。
その日、溝口さんの苛立ちはピークに達していて、閉店後、店に残り、ちょっと付き合え、と言われ、野菜の作業場の二階の、面接した事務所の隣にある惣菜を作る調理場で食事をし、少し酒も飲みながら延々と話を聴いていると、いつの間にか夜中の十二時を回っていた。
定休日前だったこともあり、まあいいや、と付き合っていると、溝口さんの話は自身の少年時代にまでさかのぼって行く。
あまり友人に恵まれず、ひとりぼっちで川へ行き、フナの生態をじっと観察していた、とのエピソードが語られる。
和彦はもともと、人の人生のストーリーを聴くのは好きなので、興味深く聴く。
溝口さんの思い出話は、和彦が小学生の頃、本屋を立ち読み行脚していたことと妙に重なり、共感できた。
そう言えば和彦も、小学生の頃、暇を持て余し、本屋へも行ったが、一人で鴨川へ行き、闇雲に石を投げたりもした。
和彦が身を乗り出して頷きながら溝口さんの話に聴き入っていると、突然、誰かが階段を昇ってくるのに気付く。振り向くと、父が立っていた。
ずっと家を出ていた和彦を親が心配するはずがない、と思い込んでいたが、父は、旅行から帰って来たばかりの和彦は金を持っていないし行き場などない、と思い、以前には決してしなかった心配をしていた。
「お前、遅なるんやったら、連絡せえよ!店に、何べん電話したと思ってるんや!」
電話は店舗には繋がるが、溝口さんと和彦が居る事務所部分の電話番号は、別になっている。
溝口さんが和彦の父に謝り、事なきを得た。
和彦は父に遅れて一人で帰るが、だいぶ酔っ払った溝口さんが和彦に、スマン、と頭を下げたが、三十歳を過ぎて親が出てくるなんて、恥ずかしいことこの上なく、和彦は恐縮しきりだった。
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