第11話 6-1.妹の部屋を使わせてもらうことになる
家から妹がいなくなり、父と母と和彦だけになった。
妹の使っていた部屋はもともと和彦が使っていたが、その狭い三畳間で十二年ぶりに生活することになった。
自分の荷物は長い旅へ出るため東京のアパートを引き払う時に送った段ボール三箱に入る程度の衣類、本等だけなので、物の移動もしなくて良かった。妹が残して行った机をそのまま使わせてもらった。
三畳間は家を建て替えた小学校六年生の時からで、それまで自分の部屋はなく、父がグラフィックデザインの仕事をする大きな机の隣りに和彦の学習机が置かれ、勉強や読書をしていた。
父の仕事の注文は多く、毎日、深夜まで父は机に向かい、ラジオを聴きながらでないと仕事が出来ないために、常に音楽やディスクジョッキー、アナウンサーの声が流れていた。
和彦と妹が寝るのは襖を一枚隔てた隣室の二段ベッドだが、ラジオの音量と部屋の明かり、父の机の電気スタンド、ライティングデスクの光が襖の隙間から漏れる中、眠った。
短気な性分の父が細かい図面を見て苛立つ舌打ちの音や時々発する悪態などが耳に入ると、和彦は自分が怒られているような気持ちになり、身を固くし、音を立てないよう息をひそめて、布団にくるまった。
サラリーマンのような休日もなく一日中家で仕事をする父は、日曜日や夏休み、冬休みなどで和彦が家にいるとうっとおしいようで、お前、どこも行くとこないのか、友達の家へ遊びに行け、と追い払う。
仕方なく和彦は、何の約束もしていないが適当に何人かの同級生宅を訪ねようとする。
もともと引っ込み思案なために、無理して友人宅へ遊びに行くのは苦痛で、結局、本屋で長時間立ち読みをすることで時間をやり過ごすことになることがほとんどだった。
当時は本屋も立ち読み客を追い払う所が多く、和彦は店員の視線を注意深く探りながら、何か言われそうになったら店を出て、別の本屋へと移動する。そうして本屋のはしごを続けて一日を過ごすこともあった。
家に帰ると、誰と遊んで来たのか聞かれるので適当に嘘をつくが、あまり毎回嘘をついていると、母が同級生の親と話した時などに実は友達の家へは行っていないことがバレる恐れがあるので、何回かに一回は本当に友人宅を訪ねる。
どこへ行こうか、どう過ごそうか、と迷い、悩みながら、主に一人で外をうろうろする週末を重ねるうち、次第に、あてもなく出歩くことが楽しくなっていった。
ある週末、本屋から本屋へと移動しながら、和彦はふと思った。将来、人生のどこかで、あてのない旅をしたい。これから、中学生、高校生、となっていくが、高校から大学へ入る前の一年間、とか、大学を卒業して就職するまでの一年間、など空白の期間を作って、その間に、例えば日本一周などの旅が出来れば、どんなに良いだろう…。
その頃は、実際に、大学を休学したり、仕事を辞めて何年も旅行するような人がいることは、全く知らなかった。
中学生になって陸上部へ入り、部活動で休日も出掛けることが増え、また、友人宅へ遊びに行くことも楽しくなったので、休みの日、時間を潰すのに苦闘することも減ってきた。
高校へ入ると、アルバイトを始め、また、友人宅に泊まったり、友人達と外で夜明かしすることも多くなり、あまり家に帰らなくなった。
それはそれで親は心配したが、和彦の意識には、小学校の時に感じた、休日に家に居てはいけない、どこかへ行かなくては、行く所がなくても行かなくては、との焦りのような気持ちが刷り込まれていた。
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