第3話 2-1.面接へ行く
妹の結婚式へ出るために買った薄い青のスーツを着て、和彦は、松ヶ崎から面接会場の烏丸五条へ向けて、父から借りた自転車をこぎ、土が跳ね上がらないよう注意しながら、鴨川沿いの土手を走る。
濃紺のスーツ姿の、恰幅の良い中年男性面接官の前に和彦は、緊張して座っている。
男性面接官は、面接マニュアルらしき用紙に目を落としながら手順通りに進めて行く感じで、一つ一つ、和彦に質問を投げ掛ける。
そのひとつ、大きな声が出せますか、との質問に、和彦はピクリと反応し、はい!と、最大限の努力をして大きめの声を出した。
声が小さいと思われていたのだろうか、とあせり、今まで、声が小さい、とよく言われ、誤解されたり損をしたりしてきたので、しまった、失敗した、と思い、しかしそうしてムリヤリ出した声は、自然な大きな声にはならず、抑圧され無理をした声になった。
面接官は和彦のあせりに満ちた声と表情に、どんな意味合いを持つのか察しかねる微笑を浮かべ、店内で商品を売るのに、大きな声を出せなければいけませんから、と注釈を付けた。
お客さん、ではなくお客様、と呼ばなくてはならないが、言えますか?などの質問もあり、今、欲しい物は何ですか?などの、仕事には直接関係なさそうな質問もあった。
やや機械的に感じる質問が終わった後で、面接官は改めて和彦が提出した履歴書を見て、色んな仕事をされてますね、凄いですね、とこれも本当に感心しているのか内心ではアブナイ奴だと思っているのかよく分からない表情でしみじみと言い、何と答えて良いか分からず、紆余曲折です…、とたまたま浮かんだ言葉を述べた。
履歴書には、日本を長期間離れて旅行していたことも書いている。
職歴に空白の期間ができてしまい、何をしていたのか、と疑念を持たれるよりは、正直にやっていたことを書いた方が良いのでは、と思い悩んだ末に書くことにした。
旅行した地域も書いた。アジア、中東、ヨーロッパ。
ずいぶん旅行されていますが、このアルバイトでお金が貯まったら辞めて、また旅行へ行こうとお考えですか?
そう考えているのなら、初めから青果店の面接など受けず、もっと短期間で集中的にお金を稼げる工場などへ行く。
長い旅行を経て、食文化や野菜などに興味が出て、一生の仕事への足掛かりとして選んだのであって、もう長い旅行へ行くつもりはない、ときっぱり和彦は言い放った。
笑顔を浮かべてうなずく面接官だが、腹の底では何を考えているのか分からない。
最後に、何か質問は?と聞かれたので、あくまでアルバイトの面接だが、一生の仕事として考えていることを印象付けるために、和彦は、正社員にはどうしたらなれるんですか?と聞いた。
面接官は質問が意外だったらしく、この時初めて、本当に驚いた表情を見せ、
「正社員、ですか…。それは、それで別に試験を受けてもらわなくてはいけなくて、そもそも雇用する会社が違いまして…」
と、説明を始める。
何ヵ月かアルバイトとして働いてみて勤務態度が良ければ、その会社へ紹介することも可能です、と笑顔で言われると、和彦も笑顔になった。
少し間が空き、気合十分ですね…、と面接官が感想を漏らす。
就職の面接ではろくなことを言われた試しのない和彦は、生まれて初めて、仕事をする、ということに対して本気になって、熱意が通じた感触があった。
高校三年生の時、就職試験を三社連続で不採用となって以来、面接というものにアレルギーのような苦手意識があったが、少し克服したような気持ちで、帰り道の広々とした烏丸通りを、和彦は先ほどのやりとりを反芻しながら、やや興奮状態で、あの質問の時の自分の受け答えは良くなかったな、とか、大きな声は出せますか、との質問は、単にマニュアルにあるのを読み上げただけで、誰にでも同じことを聞いていたんだな、過剰に反応して、声にコンプレックスを持っていることがバレたかな…、と、色んな思いが出てきて、しかし、熱意が伝わったことに、じんわりとした充実感を覚えながら、ペダルを踏むたびキーキーと音が響く自転車を漕いでいる。
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